絶望……それはいつもあなたに
※令和4年4月24日に改稿されました。
踏みつぶした草の汁が青臭い匂いをまき散らして弥生にまとわりつく。
それ自体を弥生は不快に思わなかった。それどころではないのだ……汗でじっとりと背中に張り付いた服、少し伸びた前髪、時間の経過と共に肩に食い込むリュックのベルト。
痛い、苦しい、力が入らない。
ありとあらゆる力を総動員して一歩を踏み込む自分を誰か褒めて欲しい……弥生の心の声は酸素を求める肺の前ではぜひょー、ぜひょーとしか実現できなかった。
「噓でしょ……」
エキドナの声は膝に手をかけていっぱいいっぱいの弥生の背中にさらなる重みを乗せて来る。
「エキドナ姉……だから言ったじゃん。無理だって」
「えきどなおねーちゃん、文香なら大丈夫だよ」
真司と文香がさもありなん、とかぶりを振りながら弥生から視線を逸らす。
「しん……ふみ、か」
何とか呼吸を整え弥生が言葉にならない声を発するが、一度オーバーヒートした身体はいう事を聞いてくれなかった。
「だって……たった10分しか歩いてないのに……真司、文香。君らのおねーちゃんはどうなってるのさ」
エキドナの言葉は事実だった。村から出てある程度舗装された街道を歩いて弥生は力尽きた。しかもまだ村の門番さんが見える程度の距離である。
「えっ、きどナさん……いった、はぁ……じゃない。ですか……ぜつ、ぼうする。って」
息も絶え絶えの様子な弥生はだれがどう見ても限界なのだけれど……早すぎた。
「……絶望してるよ。もやしっ子どころの騒ぎじゃないね」
「姉ちゃん……本気で運動神経も体力もなくてさ……小学校の学内マラソン校庭半周で保健室送りになったんだ。それ以来体育の時間は取扱注意レベル」
「おねえちゃん……文香がリュック背負うから、ほら、腕スポん!」
着替えやテントの部品が入ったリュックを弥生から受け取って軽々と背負う文香。
弥生の背中をさすってあげながら革袋の水筒を取り出してゆっくりと水を飲ませる真司。
どう見ても手馴れている弟妹の連携に呆れるべきなのか、褒めるべきなのか、はたまた弥生をからかうべきか判断しかねるエキドナ。
「…………………………ちょっと村に戻って忘れ物持ってくるよ。真司、文香。任せていいかい?」
一旦エキドナは荷物をすべて降ろして全速力でダッシュ。
その走り出しはスプリンターも真っ青な加速力で文香と真司が目を丸くするほどだった。
「「早……」」
砂埃が少し舞っただけであっという間にエキドナの後姿は小さくなる。
そのまま村に入ったと思われるエキドナを待つこと数分、今度は何かを背負ったエキドナが金髪をたなびかせて戻ってきた。
「おまたせっ!!」
「お帰り、ほら姉ちゃん……エキドナ姉が戻ってきたよ」
「はえ? えき……どナさん。どこか行ってた、の?」
まだ回復していない弥生に乾いた笑いしか返せないエキドナ。
すでに歩いた時間よりも休憩の時間のほうが長い。
「えきどなおねーちゃん。それなにー?」
「背負子だよ……残念ながらたった今から弥生は荷物扱いさせてもらうよぉ……この様子じゃ野営地まで三日以上かかりそうだし」
あくまでも今回は体験なのである。
遠足気分できゃっきゃうふふな感じで行くはずなのであって……強行軍を強いた覚えはエキドナには無い。
「エキドナ姉、リュックは?」
「いったん入れなおして弥生と一緒に背負うよ……」
「エキドナ姉……見た目は僕と同い年ぐらいにしか見えないのにすごいね」
「これでも僕は軍用の高級品だからね……真司と文香も大したものだよ、そのリュック15キロぐらいあるのに」
「ランドセルのほうが重いよー?」
文香の言葉を聞いて、むしろ弥生がどうやって学校に通っていたのか聞いてみたい気がする一方で聞いてはいけない気もするエキドナだった。
「ほら、姉ちゃん。エキドナ姉の背負子に座って……」
「だが、こと……わる」
「……そんな言ってみたかった事を言ってみました的な発言はいいから」
結局、弥生が息を整えて強制的に背負われるまでさらに30分……。
道中ではエキドナがどうやってウェイランドに行くか真剣に悩み、弥生が死んだ目で「景色がきれいだなぁ……あはは」と絶望しつつも何とか予定より早めに野営地に到着できた。
「エキドナ姉、このロープもやい結びでいい?」
「お、良いねぇ。手馴れているねぇ……うん。完璧だよ」
「えきどなおねーちゃん、この猪さんの血抜きそろそろ終わりそうだよね? 皮は剥いでいいの?」
「おおお? 文香、できるの?」
「あー、エキドナ姉……文香得意だからナイフに慣れるまでだけ見てあげてもらっていい?」
「良いよ。文香が使えそうなナイフは……これかな、ちょっと大きいかもしれないけどウェイランドに行った時にでもあつらえよう」
エキドナが予想していたよりもはるかにスムーズに野営準備は進む。
真司はテントの設営に手馴れていたし、文香も罠にかけた猪の皮を剥いだり火を起こしたり。
何より二人ともナイフの扱いが上手い……文香が火を起こす時に乾いた細枝をナイフで薄く削り始めたのを見てエキドナが感心したほどだ。出来上がったのはなんとフェザースティック。
しかし、その二人よりも。
エキドナが予想してなかった相手がもっとすごかった。
「文香、そのかまどに火入れて。真司、テントのタープはり終わったら野菜の下ごしらえしてー」
うーい、はーい。と弥生の声に答える真司と文香。
そう、連携度が弥生の指揮で最大限に高められていた。
「なんだろね……真司がバランス型で、文香がテクニック型で、弥生が指揮特化型。うまくできてる3きょうだいって感じだねぇ」
野営の準備自体は結局エキドナの出る幕がほとんどなくて、文香の手元が狂わないように見てあげることぐらいしかなかった。
「あ、文香。その部分剥ぐ時は先にそっちに切れ込みを入れて筋肉の筋を切っておくと後で楽だよ」
「おねーちゃんありがとー」
鍋を抱えて通り過ぎる際に的確に文香へアドバイスする弥生。
エキドナが見る限り、弥生は一瞥したかどうかだと思うのだが……。
「……文香、弥生はどうなってるんだい?」
やることがいよいよ無くなりつつあるエキドナはため息交じりに首をかしげるばかりだった。