閑話:弥生の退院 後編
「……前例が無いのでどうしたものかと。幸い身体には影響がないらしく」
とりあえず弥生の生命には何の問題もないらしい。
そこが確認できて全員が安堵のため息を漏らす。
「すぐに何とかならんのか? あれではその、あんまりではないかのう……」
「洞爺さん。あれはあれで最高なんですよ? あの子見てください。あのとろけるような顔」
「牡丹……あれはの。とろけた顔ではなく名状し難い阿呆の顔じゃ」
ソファーでおなかをぼりぼりと掻き、コーヒー用のスティックシュガーを咥え、もぞもぞと最高のだらけ姿勢を追求しながら文香の絵本を読みふける……いつもの弥生を知る者全員が目を逸らしたくなる格好である。
しかも涎を袖でごしごししてだらしなさの度合いがひどい。
普段が闊達で行動的な分、反動がとてもとても大きいという典型的な例だ。
「姉ちゃん、パンツ見えるよ? あと砂糖そのまま食べちゃダメだってば」
「履き替えるの面倒でござる……真司、よろしく……棚の二番目に換えの下着があるから~」
「おねえちゃん、だめだよぉ! ソファーで手を拭いたらアリさん来るよ~?」
「大丈夫、こうすれば」
ぺろぺろとソファーをなめはじめる始末。
どう考えてもお薬が原因なので弥生を責められない……。
「オルトリンデ……仕事は問題ないんだよね?」
「ええ、そもそも溜まるほど来ないですしここ最近は手持無沙汰。一週間くらい止めても何ら問題はありません」
「もう好きにさせちゃおうか?」
エキドナが身も蓋もない解決を図ろうとする。
実際中和剤で何とかなる気がしないのだ……ならばいっそ普段がんばってる分お休みの意味も兼ねて自由を満喫してもらうのも一手だと思ったのだ。
「僕反対!! 絶対お風呂とか面倒くさがって僕が身体洗わされたり服着せたりしなきゃいけなくなるって目に見えてるもん!?」
そう、この場合間違いなく真司は被害者になるだろう。
この一時間ほどであれだけ弟と妹を護る事にブレがない弥生が……。
「しんじー、じゅーすー……あ、お砂糖無くなった……ごはんー」
どんどん自堕落になって真司をこき使い始めたのである。
「真司……後でおねーさんがおいしいもの奢るから……」
「真司君、後で私の胸触らせてあげるから」
「おにーちゃん、文香のお菓子あげるから」
「二人目の発言者、正座!!」
本当に大丈夫なのだろうか、洞爺が窓の外に煌めく一番星を見つめて妻の事を思う。
「ううう、真司。お願いです……もう頼れるのは貴方だけなのです。ギルドで評判の女の子を紹介しますから!!」
「職権乱用って知ってるかな!? オルトリンデ監理官!!」
それはちょっと紹介してほしい、と心の中で思いつつも皆の前なので断らざるを得ない真司。
「……もう一回入院とか?」
「……不憫すぎやせんかのう? 嬢ちゃん完全に被害者じゃな」
ぶわぁ! と涙目のオルトリンデが崩れ落ちた。
「オルちゃん!」
「な、なんです弥生!!」
お、現状に気づいてやる気を出したのかと真司が期待のまなざしで姉を見る。
「食堂のクッキーたべたい……」
「ごめんなさい弥生ぃぃ!! 私のせいでぇ!!」
だめだった。悪化の一途をたどっていた。真司も崩れ落ちた。
「それにしても、見事なだらけっぷりじゃな」
「楓が学生の頃こんな感じで年末過ごしてたわね……」
「うちの妹もこんな感じだったなぁ……」
全員が諦めかけたその時であった。
――こんこん
「だれかな? はーい!」
ドアをノックする音に、一番玄関に近いエキドナが対応する。
時間帯としてはそろそろ仕事終わりの人達が帰宅の途についている頃なのだ。
弥生の同僚でも心配して訪ねてきたのかと予想した。
「すみません、夕食時に……弥生さんの入院していた所の主治医ですが。開けていただけませんか?」
エキドナが首をかしげる。
弥生が薬を飲み間違えた事を誰かから聞いたのか?
それとも別な理由?
一瞬様々なことを考えたが当人から聞いた方が早いか、と返事をしてエキドナは玄関のドアを開ける。
そこに立っていたのは青黒い肌の夢魔の青年。
今は仕事帰りなのかラフなシャツとスラックスを着ていた。
「はいはいー、先生どうしたんですか? 今別な問題が起きてしまっていてぶっちゃけいいタイミングで来てくれたなぁと思ってます!」
「あー、やっぱり……」
「やっぱり?」
「ええ、実は……」
主治医の話はとても簡単だった。
エキドナが天を仰いで解決策を瞬時に導き出すのに必要な情報もすべてそろっている。
「あー、弥生。これあげる」
「んあ? えきどなさんー、ありがとーいいにおいだね」
だらーんとソファーに寝そべる弥生にエキドナが飴玉を一つ差し出した。
ふわりと花の匂いがするそのキャンディを弥生は躊躇なく包み紙をポイして口へ放り込む。
甘い、それでいてしつこくない清涼感のある味に感嘆の声を上げる弥生。
だが、エキドナの表情は明るくない……沈痛そうな面持ちでじーーーーっと弥生を見つめていた。
「おいひいへ(おいしいね)」
「うん、そりゃあそうだと思うよ。甘くしないととてもじゃないけど食べられないから」
「?」
「弥生、それね。ある薬を飴でコーティングしたんだ……」
「おくひゅり?(おくすり?)」
「オルトリンデ……」
「はい、エキドナ……」
「はに?(なに?)」
「「弥生、しばらく我慢をっ!!」」
いうが早いかエキドナとオルトリンデが弥生の手足をロープで縛り、口に猿轡を噛ませ始めた。
絵面が完全に誘拐犯のそれである。
もがもがと抗議の声を上げる弥生を躊躇なく拘束し、二人は弥生を担いで彼女の部屋へと向かう。
そこでは牡丹が待機しておりエキドナたちと同じ表情を浮かべていた。
弥生もさすがに何かされるのではと怯えているが、何のことはない。
「ふも!?」
唐突に口内に走る刺激、それは青汁も真っ青に逃げ出す程の『苦味』だ。
弥生が飲んでしまった薬の中和剤である。
そもそも国王に処方された薬は魔法薬であり、対抗薬であっさりなかったことにできるものだった。
ただ、ちゃんと処方された薬なので対抗薬というのが思いつかなかったのは単にオルトリンデが慌てていたからだ。
主治医の先生が身体には影響ないとしつつも、年齢的にちょっと……とこれまた親切心で薬を持ってきてくれたのだが一点だけ問題があった。
それはただただひたすらに苦い丸薬を舐め溶かして飲み込まねばならない。
大人でも嫌がるほどの苦さ、そして今まさに口に入れている弥生には渋みまで加わっている。
即効性を出すための調合ではあるのだが、拘束でもしないと吐き出してしまうから……。
「弥生、二十分もあれば効果が出るらしいから……頑張って」
「すみませんすみませんすみませんすみません」
「最悪気絶させるから……言ってね?」
「んふうううう!!」
最後の牡丹の言葉に弥生は猛抗議していた。
猿轡のせいでしゃべれないんですけど!? と……
そんなこんなで弥生の退院は一筋縄ではいかなかったのであった。
「んもーーー!?(にがいいぃぃ)」




