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5「時の流れ」

 アマトが眠りから目覚めたのはどうやら夜明け前だったようで、驚きの連続を体験しているうちに気がつけば空が明るくなってきた。

 と言っても巨木が生茂る森の奥深くにいるので、朝であろうが昼であろうが鮮やかに彩られることはなく、全体の薄暗さに変わりはない。ゆえに『深緑の森』である。


 今は早く村に帰って無事を知らせつつ、ドラゴンに出会ったから今後森には近づかないほうがいいという報告と、最悪村を放棄して移住するという判断の打診を進言するためにも、帰還している最中だ。

 かなり歩いているので、フォレスノーラビットを追って、気づかないうちに随分と森の奥深くに入ってしまったらしい。


 野草や山菜、あわよくば動物を狩るために森に入ったはずなのに、まだ夢でも見ているんじゃないかという状況に囲まれていて、彼はもはや考える事を放棄しかけていた。人間に僅かながら残っている帰巣本能に従ってただ歩いていると言っても過言ではない。


 ちらりと横を見やると、森に入ったときにはいなかった人影が一つ、二つ、三つ。彼一人であったはずが、人数が増えていた。


「アンタはまだわからなくもないんだが……」

「チ・ト・セ。早う我の名を覚えよ」


 横顔を見ながら独りごちる彼に文句を垂れたのは、褐色の肌と土色の艶やかな髪を伸ばした快活そうな美少女。幻の森兎(フォレスノーラビット)を追いかけていたら出会してしまった伝説級の存在であるドラゴンが人の形をとった姿である。


 見上げるほどの巨体だったドラゴンが人の姿へと変貌したまではいい。気持ちが落ち着いてきてなんとかその事実を受け入れることはできた。


 だが両腕にぶら下がるようにくっついてくる二人(﹅﹅)はどうしたことだろうか。


「パパー! だっこしてー!」

「パパー! おんぶしてー!」


 左右から彼の両腕をちぎらんばかりの勢いで振り回す双子の女の子が二人。


 そう、卵から孵化したばかりであるはずの双子のドラゴン。この二匹までもが人間の姿へと変わる術をすでに会得していたのだ。


 ちなみにスッポンポンであった彼女らの格好は、アマトの服を着せることで解決──しようと思ったのだが、流石に三人分を用意することはできず目のやり場に困っていたら、不思議な力を使って自分で服を用意してしまった。


 そんなことまでできるとは、とこんなところでもドラゴンの力に圧倒されてしまうアマトであった。


 彼は駄々をこねる子ども二人を無視して、言葉を続ける。


「子どもまで人間の言葉を喋ったり人の姿になったりできるのはどういうことだ?」


 せいぜい生後半日といった程度にも関わらず、双子のドラゴンは日常会話に支障がないほどに人間の言葉を習得している。誰がどう見ても彼女らのことをドラゴンだと気づく人間はいないであろう。


 ドラゴンとは賢い生き物であることは有名な話として一般的に広まっているが、それにしたって限度がある。


 彼の質問に、チトセは胸を張ってしたり顔を浮かべた。


「我の英才教育の賜物というやつだ。卵の時分から人の言葉で語り聞かせておれば、自然と習得もしよう。なんと言っても我の自慢の子であるからな!」

「さいで」


 自信満々に語るチトセにアマトは引きつった笑みを浮かべた。


 ごく稀にだが、人間の中にも母親のお腹の中にいた頃の記憶を持ち合わせている場合がある。歌を聴かせてくれたり、呼びかけられたりといった記憶が残っていると話す人が少なからずいることがわかっているのだ。


 ドラゴンの場合は人間と比べ、生まれてくるまでに相当の時間を要する。つまりは学習できる時間が長いため、孵化した時点ですでに言葉は習得済み、ということらしかった。

 おかげで意思疎通ができるので感謝の一つも述べたいものだが、見た目は人間でもそれがドラゴン相手だと思うとそんな気も失せてくる。


 どうしてそんな早い段階から人の言葉を習得させたのか、聞くのも怖い。


「そのご自慢の子どもを連れてきてよかったのか。どうなるかわかんないぞ」


 アマトからすればドラゴンという伝説級の存在を村に連れ込もうとしているのだから内心気が気でない。


 もちろんついてくることを許可したわけではない。彼はただ村に帰らねばという一心で歩いていて、彼女らはそれに勝手についてきているだけ。


 下手に逆らおうとしてもドラゴンであることを考えればまず間違いなく返り討ちに遭うため手を(こまね)いていた。

 それにあちらには『竜言(りゅうごん)』という逆らうことのできない命令権がある。彼は変に波風を立てず、流れに身を任せることしかできなかった。


 ドラゴンの紙芝居をしていた八代目村長に「この人ドラゴンです」と紹介したところで村長には信じてもらえないだろう。村長どころか、誰にも、だ。


 チトセは波打つ巨大な根を軽々と飛び越えながら言う。


「森に置いてくるほうが心配だ。この子らなら我がいなくても生きていけるであろうがな、愛なくして成長しては(すさ)んだドラゴンになってしまうであろうよ」


 そして人間を児戯(じぎ)のように弄ぶであろうな、と冗談でもないことを言って「くくく」と小さく笑う。

 まさに児戯のように弄ばれて死にかけた経験があるアマトはちっとも笑えなかった。


「子らよ、木の根に足を引っ掛けるでないぞ」

「わかったママ!」

「だいじょうぶだよママ!」


 母親らしく子どもを心配するチトセ。現在の見た目だと若すぎてあまり母親らしくはないが、その気遣いや振る舞いは立派な母親である。


 そんな様子を見ていると、相手の姿が人間だからか、気持ち的に多少は話しやすくなってきて、聞かれたことに答えられるようであれば簡単に答える。こちらも気になることがあれば聞いてみるなど、少しずつではあるが彼らの距離は縮まっていた。


 ……アマトは認めないであろうが。


 そうして話しながら歩いていると、やがて森を抜けて丘へと出た。緩やかな曲線を描いて山となっており、見える範囲で草花が風に踊っている。


「久々に心地良い風を浴びた。して、アマトよ。お主の村とやらはどっちだったか?」

「この丘を越えた先だ。何度も聞くが、本当に食ったり襲ったりしないんだろうな?」

「当然だ。我はあまり(﹅﹅﹅)人肉を好まん」


 アマトが問うと彼女は当然のように答える。


 が、何度言われてもいまいち信用に足らない。自身が危うく食われかけたのだから、さもありなん。


 あまり、という点に引っ掛かりを覚えなくもないので、村に着く前にしっかりと釘は刺しておこうと心に決める。


(変な騒ぎにならなきゃいいんだけど)


 混乱を避けるためにドラゴンであることは伏せておくにしても、森から帰ってきたら美少女が一人に、将来有望な子どもを二人引き連れているなんて、この状況をどう説明すればいいのか。

 迷子の姉妹を拾った、とでも言って押し切ろうか。妻と、その子どもだ、などと紹介はできない。そのような事実はない。


 だが、彼の悩みは徒労に終わることになる。


「丘の先……そうか、すまないことをした……」


 隣で丘の先を見つめているチトセの曇ったような表情と小声には気づかない。

 そんな表情を写し取ったかのように、青空は厚い雲にその姿を隠していた。




   ***




 案の定降ってきた雨の中、ファウストリ村の入り口でアマトは立ち尽くす。


 絶望に潰されて小さく感じる彼の背中にかける言葉はなく、チトセは黙って子どもらの手を取って静かにさせていた。


 村が全焼して跡形も(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)なくなっていた(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)のだ。原型を保っている建屋は一つもなく、たくさんいたはずの家畜の姿も見当たらない。


 人の姿も、なにもかも。


 ボロボロに崩れ去った家ばかりが目につき、僅かな農地も荒れて固くなっている。


「…………」


 言葉が出てこなかった。


 アマトの視界には村の住人たちが仕事に精を出している光景が焼きついていて、あたかもそれが現実であるかのようにありありと思い描くことができるのに。

 目の前を歩く人に手を伸ばしてみても、虚しくすり抜けていく。


 ──現実ではない。これは夢に違いない。


 そう思いたくても、まざまざと見せつけられる悲惨な光景は嫌でも彼を現実に引き戻す。


 あまりにも静かすぎて、まるで時が止まったかのようだった。


「…………」


 呆然と立ち尽くすだけだったアマトは、雨で全身がぐっしょりと濡れたころ、彼の中で整理がついたのかようやく動き出す。


 真っ黒に炭化して崩れ去った近くの家に歩み寄り、しゃがみこんで観察する。記憶が正しければここは八代目村長の家だったはずだが、原型を留めておらずこの村で生まれ育ったアマトですら確信は持てなかった。


 感覚を頼りに村の中央広場を目指す。そこならば全体をある程度見渡せるからだ。


「これは……?」


 中央広場にあった初代村長の石像は縦に真っ二つに割られていて、代わりにとある国旗が突き刺さっていた。


 それは、白地に竜の爪と牙が意匠(いしょう)された国旗──バドラギ王国のものであった。


 正反対の北側から最近勢力を拡大しつつある新国家。建国してまだ間も無く、他の国と比べ歴史は浅いものの、現在進行形で目覚ましい成長を遂げている。

 そんな国の国旗が、どうしてこんなところに。


 中央広場からぐるりと周囲を見渡す。


 ほとんどが焼失していてわかりずらいが、焼け残った柱に切り傷のような痕が刻まれていたり、小さな穴が穿たれていたりと、わずかに痕跡が残されていることに気がついた。


 ここからわかることは、争いがあったということ。そして相手はバドラギ王国の可能性があること。情報が少なすぎて理由まではわからないが、そういうことだろう。


「チトセ」

「なんだ」


 黙ってそばに寄り添い続けてくれていたドラゴンの少女へ呼びかけると、彼女は小首を傾げた。


「肝心なことをすっかり聞き忘れてた」


 最北端に位置しているバドラギ王国からすればこの村はセターン王国を挟んだ最南端。この村までバドラギ王国の軍勢が来るためには大きく迂回するか、はたまたセターン王国を攻め落としでもしないと不可能だ。


 森に入っている僅かな間でそのようなことが可能なのだろうか? いや、不可能だろう。


 だが、可能性があるとすればキーワードは──ドラゴン。

 ドラゴンに関わることで、ありえないようなことが起きたとするならば。


 例えば──


「俺は……どれくらい寝てたんだ?」


 ──一瞬に感じる気絶が、悠久の時だったとしたら。


 チトセは瞳を閉じ、厳かに答えた。


「……十年(﹅﹅)だ」


 夢にも思わなかった時の流れに、アマトは空を見上げる。もはや驚きの声は出ない。


 ここまで燃やされていながら、冷え切って静まり返る村の様子は昨日今日のものではないと思っていたが、まさか十年も経過していたとは。


「出発したときも雨降りそうだったから、気づかなかったな……そうか、十年……」


 口にしてみてようやく実感がふつふつと湧き上がってくる。チトセは、嘘はついていないとわかってしまう。チトセの血が混じり、存在がドラゴンに近づいてしまったからだろうか。


 膝から頽れるアマト。彼の頬を伝う滴は雨か、涙か。


「村長、みんな……ゴメン、なにも知らなくて……! なにも、できなくて……!」


 静かに嘆く悲痛な叫びは、滴と共に大地へと染みていくのであった。

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