36「あのときの」
「どけよ!!」
肺の空気が破裂するほどの呼気とともに繰り出される拳に狼が粉砕される。
だがレンレンが呼び寄せた狼は一匹だけではない。一列に連なるように連続でアマトへ飛びかかる。
「邪魔だっつの!」
「わお♪ やるねぇ!」
飛びかかってくる狼を全て一撃で払い除け、レンレンまでの道が開ける。
眉間にシワを寄せるアマトと、楽しげに笑みを浮かべるレンレンの対照的な視線が交錯する。
「でも、まだまだこれからだよ!」
レンレンが手を差し向けると、従えた動物が一気に数を増す。新たに鳥が動物を運んできて、狼の他にも猿や兎などが増えた。
そのどれもが飢餓状態のように危険な本能が剥き出しにされ、全てアマトへ向けるように魔法で操作されている。
空中から落とされた兎は着地すると同時、発達した後脚でアマトへ向かってバネのように跳躍。目にも止まらぬ速さに体当たりをもろに喰らう。
だが所詮、兎は兎。蹴鞠ほどの大きさしかないので衝撃はあれどダメージはない。
幻の森兎を追いかけて逃げられていたあの頃のアマトとは違う。充分対応できるはずだ。
──そう思ったのだが、とにかく数が多い。
「おぶ?!」
捌き切れず素早さと数に押され、兎が顔面に取り付く。
毛皮を鷲掴んで引き剥がし、取り戻した視界には異様に腕の長い猿──ウォーウータンの握り拳が鼻先まで迫っていた。
「ガッ?!」
吹き飛ばされ、レンレンとの距離が開く。
すぐさま受け身を取り、追撃に備える。のんびりしている暇はない。動物たちは無尽蔵と思えるほどの数がおり、その全てがアマト一人を狙うのだから。
「あはは♪ ただの動物だと思わないほうがいいよ?」
痛みに顰める顔を見てレンレンは口を歪ませる。
──連携。
普通はあり得ない組み合わせの動物たちが人間顔負けの連携で攻めてくる。
レンレンの魔法により、人間並みの知能を発揮しているようなものだ。厄介この上ないだろう。
「くそっ、あの鳥をなんとかしないと!」
体当たりしてくる兎を蹴り飛ばし、悪態をつく。
こうしている間にも鳥はどんどん動物を追加している。せっかく最初に倒した狼も、まるで無かったかのように、当たり前にそこにいた。
散々修行はしてきたが、思い返してみれば〝一対多〟の戦いかたは教わらなかった。
この場で対処し、学ぶしかない。
兎の体当たりをはたき落とし、猿の伸びるような拳は受け流すようにいなして反撃。狼の爪や牙は致命傷になりかねないので当たらないように細心の注意を払いつつ腹を蹴り上げて屋上から叩き落とす。
振り払っても払い退けても、殴り飛ばしても蹴り飛ばしても、川の流れのように止まるところを知らない。
なにも全てを倒そうとしなくていい。屋上から落としてしまえば鳥が回収に向かうためその間は数が減る──
「いや、ダメだ」
良案だが首を振って却下する。今も下では一般人が闘技場へ避難している最中のはずだ。その最中へ動物たちを落とすわけにはいかない。それに上に連れてきたということは下の数は減っているということ。
屋上で倒してしまうのが、下の安全にも繋がる。
しかし、再度心の中で首を振る。
(そんな消極的でどうする)
動物を倒していてはどれだけ時間が掛かるかわかったものではない。本人も言っていた通り、レンレンを打ち倒すのが最も手っ取り早い。
ならば話は簡単だ。
「今っ!」
無理やりに道を切り開き、穴の開いた包囲網を最短距離で一点突破。
悠々と狼に腰掛けていたレンレンが少し驚いたような表情を浮かべたが、手を差し向けるとアマトの両手首に激痛が走る。
「っく?! いつの間に?!」
追加で呼び寄せていた狼が大きく回り込み、死角からアマトの手首に牙を突き立てていたのだ。
それでもアマトは強引に歩みを進める。たかが狼程度が、ドラゴンの血によって身体強化されたアマトの歩みを止めことなどできやしない。
もちろんレンレンもそんなことは百も承知。一匹で駄目ならば複数だ。
尻尾を噛んで連なり、狼の長大な列が出来上がっていた。一匹一匹が屋上に爪を立て、アマトの動きを拘束しようと肉球で踏ん張る。
動きが僅かに鈍った隙を見逃さず、兎がぶつかり猿が殴りかかってくる。
体当たりしてくる兎は気合で無視し、殴りかかってくる猿は足裏で蹴り飛ばし、頭突きで黙らせ、雄叫びを上げる。
「うおあああぁぁぁぁあ!!!」
両腕に力を込め、さらに食い込む牙も気にせず強引に振り回し、足が浮いた狼を鞭のようにしてレンレンに叩きつける。
「おっと♪」
大きくしなる狼の鞭など見切るのは容易く、簡単に躱されてしまう。しかし屋上に叩きつけられた狼たちは全身の骨が砕かれ絶命した。
だがレンレンは見向きもしない。
彼女にとっては動物などただの捨て駒でしかない。ゆえに、アマトのこの反撃は大きな隙を生み出す行動でしかなかった。
「しまっ?!」
瞬きをするほどの刹那。
気がつけば、レンレンの嗤う顔が息がかかるほど目の前に。
「やっぱり綺麗な目。大切にするからちょーだい? ──やんっ♪」
「誰がくれてやるもんかよ。ふざけんな!」
真剣味の感じられないレンレンに苛立ちが募り、手で振り払う。
手を後ろに組み、身軽な足取りで距離を取ると、
「女の子をぞんざいに扱うなんて、男の子失格だぞぅ?」
指を突きつけてニヤニヤと笑みを浮かべるレンレン。
それが挑発で、わざわざ怒らせようとしているのはわかっている。
わかってはいるが、それでも抑えられないことはある。
狼に噛まれた両手首の治癒によるジュゥゥゥゥゥ……という音と湯気の勢いが強まり、眉間のシワはより深く刻まれる。
アマトの怒りが、ドラゴンの血を沸き立たせる。
煮え滾る血液が全身へ廻り、目の前が真っ赤に染まり始める。
(ダメだ、呑み込まれるな!!)
絶大な力の波に流されそうになる意識に鞭打ち、自我を保つ。
自分自身とも戦っているアマトの様子を見て「……もう一押しかな」とレンレンは呟いた。
「酒場で聞いたよ。アマトきゅんファウストリ村出身なんだってね?」
宿屋兼酒場でリィチたちと食事をしているとき、そんな話をしていた。まさかそのときに彼女もそばにいたと言うのか。
「……だったらなんだよ」
「あの村の連中は物分かりが良くて助かったよ。お陰で簡単に実験材料が手に入っちゃった」
「…………は?」
──なにを言っている?
──この女はなにを言っているんだ?
アマトの頭の中には嫌な予感がグルグルと渦巻く。
「『ご褒美にもっといいこと教えてあげよっかな』って言ったよね? アマトきゅんの村を襲ったのはなにを隠そうこのわたしなのです!」
ふんす、と鼻息荒く豊満な胸を張る。まるで己の功績を自慢げに語る子どものように。
「まさか生き残りがいたなんてねぇ。あの老人は『これで全員じゃ』って言ってたのに。騙されちゃった♡ あのときはわたしもまだ八歳とかだったし仕方ないよね?」
ブツン──
なにかがはち切れる音がした。
堰き止めていた負の感情が決壊し、荒れ狂う奔流に全てが呑み込まれていく。
アマトの赤髪が炎のように揺らめき、歯も爪も鋭く尖る。肌には鱗のような模様が浮かび上がり、瞳孔が縦長に細まる。
息が荒くなり、低く喉が鳴る音はまさにドラゴンのそれであった。
アマトに変化が現れ、レンレンは喜色に歪む。
「アハァ♡ 本性を現したね! それが見たかったんだ! その怒りと憎しみに満ちた獰猛な目を!」
ズンッ……──!
アマトが一歩を踏み出しただけで、センカンダル闘技場に激震が走る。彼の全身からは禍々しいほどの怒気が間欠泉のように吹き出している。
二歩目で、屋上の一角が消滅した。
踏み込みの蹴り足に耐えられず、チリと化したのだ。
そして次の瞬間には、レンレンの胸をアマトの右腕が貫いていた。
「カッハ──?!」
レンレンは吐血し、背中から貫通した腕が生えている。
これで勝負は──
「──決まったと思ったぁ? ざぁんねんでしたぁ☆」
悪魔のように歪んだ笑みを浮かべ、嬉しそうにアマトの左目をくり抜いた。
***
双子は全速力で走る。その後ろを付かず離れずの速度でついてくるのは三つ首の獣だ。
巨体の筋肉は盛り上がるほどに発達し、涎を垂らす口からは鋭い牙が覗き、四つ脚の爪からは紫色の毒が滲み出ている。
幸いなことに、と言っていいのか、三つ首の獣は執拗に双子を追いかけてくるので人気のない場所まで誘導するのは簡単であった。
「ここなら」「だいじょうぶ」
センカンダルの外れにある公園らしき広場までおびき寄せ、双子は足を止めて三つ首の獣と対面する。
なにも知らない者がこの状況を見たら力量の差は歴然だが、なにを隠そう双子の正体は伝説のドラゴンである。まだ子どもとはいえ、その実力は計り知れない。
しかし実力が計り知れないのは相手も同じこと。三つ首の獣など見たこともなければ聞いたこともなく、油断はできない。
絡み合う三つの視線と二つの視線。ジリジリとすり足で距離が縮まっていく。
痺れを切らし、先に動いたのは三つ首の獣。収縮させて盛り上がる筋肉を一気に開放し、爪を地面に食い込ませて伸びるように跳躍。その爪で引き裂かんと太い腕を振りかぶった。
飛び散る毒が付着した瞬間から腐敗していく。
それを左右に分かれるように躱す。相手が一人なら二人で撹乱も可能だったが、一つの体でも三つ首が左右へしっかりと追いかけてくる。死角からの強襲は難しいと見ていいだろう。
宿屋兼酒場で見たので爪に強力な毒を持っていることは知っている。爪に引っ掻かれたら終わりだと思って双子は固い唾を飲み込む。
「「────」」
緊張感が場を支配する。
そこにあるのは命のやり取り。油断はできない。
アマトと一緒にチトセと組み手の修行を行なってきたヨウとリョクは、グリズギルを相手にしていたときよりも格段に動きが洗練されていた。
「やあ!」
手加減なく、植物を操る〝奇跡〟でリョクお得意の蔓の刺突が繰り出される。同時にヨウも風の〝奇跡〟で見えない刃を飛ばした。
たちまち串刺しになり、八つ裂きにされるであろう。
──相手が普通の動物であったなら。
巨体に似合わぬ俊敏さで後ろへ跳躍して回避される。
「「まだだよ!」」
が、双子の操る〝奇跡〟はこれで終わりではない。今度はこちらが追いかける番とばかりに三つ首の獣を追尾して軌道がねじ曲がる。
蔓と風を巧みに操るコンビネーションで追いかけるが、視野の広さと身体能力の高さでなかなか捉え切れない。
三つ首の獣は大きく回り込むように動きながら、まずはリョクに狙いを定めた。蔓の攻撃は目に見えるので躱しやすいと判断したのだろう。
事実、まるで猫のように身体をくねらせ、器用に躱して接近を許してしまう。
三倍の手数を誇る噛みつき攻撃が雨のように襲ってきて、避けるのに必死で手も足も出ないリョク。
ならばと、子どもの柔軟な思考と双子の以心伝心で、囮と攻撃に自然と役割が分かれた。
「くらえー!」
ヨウの風の刃が巨大な横っ腹に命中するが、分厚い筋肉に阻まれて大きなダメージにはならなかった。
だがどうにか生まれた僅かな隙を見逃さず、リョクは距離を取ってヨウと合流する。
「風、あんまりきいてないみたい」
「ね」
間近で見ていたリョクに、ヨウが同意する。
「どうしよう」
「わかんない」
困り眉を浮かべるリョクに首を振る。
まだ突破口は見出せない。それでも、やるしかない。これしきのことで諦めたりはしないと、大好きで大きな背中がいつも教えてくれた。
「でもママとパパのほうがつよかった!」
「うん!」
手強い相手だが、双子の目に諦めの色は滲まない。
毒の爪があるから不用意に近寄らず、このまま距離をなるべく保った状態で戦いたい。威力の低い二人の〝奇跡〟では長期戦になりそうだが、体力には自信がある。
避難はだいぶ進んでいるようで、人気の全く感じられない街を駆け回り、撹乱しながら隙あらば攻撃を重ねていく。
「「それっ!」」
そしてとうとう、二人の渾身の一撃が同時に入る。
吹き飛ばされ、家屋の壁を破壊して暗くなった室内へ。
「リョク、いくよ!」
「まかせて!」
とどめを刺さんと意気込む双子。
ボロボロの三つ首の獣は低く唸り、呼吸も荒くなっていた。
双子との攻防に疲れが現れたかと思ったが、否。
そうではなかった。
「「……っ!?」」
──異変は同時にやってきた。
息が苦しい。声が出せない。手足が痺れ、だんだん言うことを聞かなくなってくる。
堪らず、双子はその場に倒れてしまった。
立場が入れ替わった三つ首の獣は、勝ち誇ったように見下す。
「な……で……?」
双子が動けなくなってしまった理由。
──それはやはり、毒であった。
口から無色無臭の毒霧を生み出していたのだ。
閉鎖された空間である家屋の中に入ってからすぐに三つの口から吐き出され、室内を満たすのにそう時間はかからない。
爪の毒にばかり気を取られ、初見の相手に他の毒を持っている可能性を考慮できなかった双子を、一体誰が責められよう。
動けない双子に三つ首の獣は勝負は決まったとばかりに悠々と歩み寄る。
こんなところで終わってしまうのかと、歯を食いしばって見ていることしかできない双子。
太い腕を振りかぶって最後の止めを刺そうとしたとき、それは颯爽と現れた。
「弱い者いじめは感心しないな、ワンちゃん」
とても安心感を感じさせる、男性の声が天から湧いて降ってきた。
さらに降ってきたものは声だけではない。リョクの風の刃など比べ物にならないほどの見えない何かに切り裂かれ、あっけなく三枚におろされる。
双子と三つ首の獣の間に風のように降り立ったのは、金髪に空色の瞳が印象的な青少年、キボード=タイピン。センカンダルの英雄と名高い最強の男であった。
彼に屋根や壁という物理的な障害物は意味を為さない。
その手には、虹色に煌めく不思議な刀身の剣が握られていた。闘技大会の予選でも本選でも使っていない特別製の剣。彼の持つ宝具【無尽刀】はあらゆる刀剣の召喚を可能とする。
虹色に煌く剣は空間を切断し、どんなに距離が離れていようとも相手を直接切ることができるというとんでもない性能をもった宝剣。動物を相手に、もしものときだけ使うと決めていた一振りだ。
「【次元斬】じゃなかったら間に合わなかった……君たち、大丈夫かい?!」
虹色の剣を鞘に納め、ぐったりと横たわる双子の様子を診る。
「これは……毒か。ちょっと待ってね、怖くないから安心して」
タイピンはどんな環境にも対応できる宝具を身に纏っているため、毒霧の効果はない。
双子を落ち着かせるように言うと、タイピンは一度鞘に納めた剣を再び抜き放つ。すると、剣の様相が変化していた。
エメラルドグリーンに煌めく刀身は神聖を帯びていて、その剣は人を切らず、人に害をなすあらゆるものを浄化する力を持つ。
刀身に触れるだけで、瞬く間に室内を満たしていた毒霧が浄化されていく。
切っ先を優しく双子の肌に当てると、ほんの少しだけ血の球が浮かび上がり、刀身に吸い込まれるかのように消えていった。
二人の体を蝕んでいた毒をあっという間に浄化し、室内の毒霧までも消し去ってしまうとは、癒しの力まで扱えてこその英雄か。
たったそれだけで全身から痺れがなくなって不思議な表情を浮かべる双子。なにが起こったのかよくわからなかったが、助けてもらったということはわかる。
立ち上がって体の具合を確かめてから、双子は丁寧に頭を下げた。
「「ありがとうおにーさん!」」
「どういたしまして」
タイピンは白い歯を見せて爽やかに笑い、双子の頭を撫でた。
そしてすぐに表情を引き締め、癒しの宝剣を鞘に納める。
「ここは危険だから、闘技場まで送ってあげる。そこなら安全だから」
闘技場。そこには大好きな両親がいるはずなので、双子は断る理由はなかった。
タイピンはヨウとリョクを軽々と両脇に抱えると外へ出ると、靴から光の羽が生えてきて羽ばたき、みるみるうちに高度を上げて空を飛ぶ。
「「とんだぁ! すごーい!」」
「舌を噛まないようにね」
空を飛んだことを不思議に思わず楽しそうにするなんて、好奇心旺盛な子どもはやっぱりすごい生き物だなと、正体がドラゴンとは知らないタイピンは内心で感心していたのだった。




