35「センカンダルの防衛」
「ほいっと」
チトセは小石でも放り投げるような気軽さで、異様に手の長い猿の頭部をデコピンで吹き飛ばす。
傍にはその場にへたり込んだ男性が、悪夢から覚めたばかりのように呆けた表情を浮かべている。
「怪我はないか?」
手を差し伸べると、我に帰った男性は「は、はい!」としっかりとした返事を返す。どうやら大事には至っていないようだ。
「うむ、ならば歩けるな。先のアマ……男の声は聞こえていたであろう? 道中の動物は片付けてある、真っ直ぐ避難しろ。良いな?」
「はい! ありがとうございます!」
走って闘技場へ向かう男性の背を見送っていると、すぐそばから女性の悲鳴が聞こえてくる。
「またか」
先程からずっとこの調子だ。次から次へと動物が現れて小休止を挟む暇もない。
「まったく……これではキリがない。人気者は辛いのう」
小言を挟みながら、声の聞こえた方向へ家の屋根を飛び越えて最短距離で向かう。双子の様子も気になるので宿屋兼酒場を目指しつつ動物を駆除したいのだが、どんどん逸れていっていた。
──まるで行かせまいと誘導されているかのように。
そのことにチトセは気付いてはいたが、襲われる人々を放っておけるわけもなく、舌打ちを溢しながらも救出に専念していた。
「我の自慢の子らならやられはせんだろうが……やはり心配になってしまうな。親とは難儀な生き物よ」
己の母性をボヤきつつ声の聞こえてきた場所に近づくと、ゴリゴリと硬い物を引きずる音が聞こえてきた。目を向けると穴の開いた巨大な岩を背負ったヤドカリが、大きく発達した鋏を腰の抜けた女性に向け今にも閉じんとしていた。
チトセは一瞬見失うほどの速度で接近し、掌底で軽々と岩ごと粉砕する。
続けて、砕けてもなお大きい岩を片手でヒョイと持ち上げ、高く放り投げた。
綺麗な放物線を描くその先では、男性がモグラのような動物に足を取られて転倒し、強靭な爪に引き裂かれる──寸前、完璧な狙いでモグラの頭上から岩が降ってくる。
男性を助けることはできたが、モグラは咄嗟に穴の中に逃げてしまったようで、仕留められていない。
だが、チトセ相手にそれは悪手であることをモグラは知らない。
「地母竜相手に土の中か? よほど死にたいと見える」
ドズンッ! と鋭く震脚をすると、地面の一部がボゴッと凹み赤い染みが滲む。モグラは地下で圧殺され原型を留めぬほどペシャンコにされたのだ。
転んだままの男性に駆け寄り手を差し出す。
「あ、ありがとう……!」
「うむ。そこの女子が腰を抜かしていての、肩を貸してやってくれないか? 我は掃除で忙しいのでな」
「あ、ああ、わかった!」
「頼んだぞ」
男性に後を任せ、次なる悲鳴の元へ。
「アマトよ……急いでくれよ」
チトセの呟きは喧騒に揉まれて消えていった。
***
「えいっ!」「やぁっ!」
宿屋兼酒場に、女の子の声が二つ。
突然壁を突き破って突入してきた異形の化物を相手に、ヨウとリョクの双子が果敢に立ち向かう。
それは大人でも見上げるほど大きく、筋肉の盛り上がる四つ足三つ首の獣。爪からは紫色の体液が。牙を剥き出す口からは涎が。真っ赤に輝く瞳からは殺意が溢れ出している。
ヨウの幼い掛け声から繰り出された拳は風の〝奇跡〟を纏い、周囲の風を巻き込んで渦を形成。三つ首の獣を軽々と吹き飛ばして外へ追い出した。
リョクの植物の〝奇跡〟で、外に自生していた普通の花が突然変異し、牙を持った蕾となってその中に巨体を捕らえ、深々と獣の肉を抉り取る。
硬く閉じられた花弁の隙間から真っ赤な体液が滴り──しかしそれが地面に垂れることはなかった。突然変異した花が自らの栄養として瞬く間に吸収し、赤く染め上げられたのだ。
「あ、あんたたち……いったいどうなってんだい……?」
厨房を担当していたおばちゃんが幽霊でも見たかのように放心状態で呟く。
酒場でお手伝いをしてくれていたときは普通の子供同然だったのに、いきなり人間離れした現状を見せつけられては自分の目を疑うだろう。
双子は巨大な蕾を見つめて、なにか様子がおかしいことに首を傾げた。
「あれれ?」「まだみたいだね」
すぐに真っ赤な花が咲き誇り、干からびた獣が吐き出されるはずだったが瑞々しさを得たのはほんの一瞬で、紫に染まり、萎れ、枯れていく。
爪から分泌されていた毒が植物を死に至らしめたのだ。
蕾から這い出てきた獣は手負いの状態ではあるものの、まだまだ戦える状態だった。それどころか手傷を負ったことにより、より凶暴性が増している。
怨嗟を練り固めたような低くおどろおどろしい不協和音の咆哮を上げ、三つ首の獣は双子に飛びかかる。
何倍もある大きさの獣が全身のバネを駆使し、凄まじい速度で接近する。
体の小さな双子には相対的に速く感じ、生きた壁のようにも見えた。
「わっ?!」「リョク?!」
もっともダメージを与えた植物の〝奇跡〟を扱うリョクを脅威と捉えたのか、獣の狙いはリョク。爪から滲み出る紫色の毒を飛び散らせながら丸太のような前脚を振るう。
後ろに転がるように辛うじて躱したが、毒の飛沫がリョクの服に付着し、ボロリと風化したかのように崩れ落ちた。
〝奇跡〟で作った服なので簡単に修復できるが、もしこれが直接肌に付着したら身体にどんな影響が出るかわからない。
それに近くには厨房のおばちゃんやお客さんが部屋の隅で怯えて小さくなっている。彼らに被害が及ばないように細心の注意を払いながら戦わなくてはいけない。
となればこの場で戦うのは得策ではない、場所を変えようと双子は頷き合う。
「おばちゃんごめんなさい」「おかねはあとでぜったい」
「あんたたち?!」
「「こっちだよー!」」
律儀にも食堂のおばちゃんに頭を下げ、三つ首の獣を引きつけるように声を上げながら走り出した。
***
センカンダル闘技場──屋上にて。
眼下ではセンカンダルの街にひしめく動物たちが暴れていて、あちこちで悲鳴と噴煙が巻き上がっている。恐らくチトセたちが総出を上げて人々を助けて回っているはずなので今はそれを信じるしかない。
それよりも、目の前のことに集中しなければ。
平らな屋上に遮る物はなにも無く、吹き付ける風に乗って噴煙と血の匂いがアマトの鼻先を掠める。
レンレンは靡く緑色の髪を片手で抑えながら、屋上へ上がってきたアマトへ微笑んだ。
「待ってたよ、アマトきゅん♡」
イラッ。
ピクリと動く眉根に、腹の底から黒く澱んだなにかが湧き上がってくる。
「その『きゅん』ってのやめろ。吐き気がする」
「え?! じゃあ呼び捨てで呼んでもいいの?!」
「………………『きゅん』呼びされるよりはマシだ」
「あー、でもでも、呼び捨ても捨てがたいけど、やっぱりアマトきゅんはアマトきゅんだから、アマトきゅんって呼ぶことにするね、アマトきゅん!」
「……お前、わざとやってるだろ」
「もっちろん!」
いちいち相手の神経を狙って騒つかせるレンレンの言動に、アマトは顔を歪めかけるがどうにか冷静を保つ。挑発に乗っては相手の思う壺だと己を律する。
激情に身を任せてしまえば、またドラゴンの〝血の選別〟に呑まれそうになってしまう。もしそうなったら、今度は助かる保証はない。
アマトの言葉にレンレンは大きく頷く。
「わたしはわたしに従う。気の向くまま風の向くまま、本能の赴くままに、ね」
それがこの惨状か。
それでこの惨状が生み出されてしまったのか。
無自覚に災厄を振り撒いて歩く。これではまるで巨大な台風だ。
「……やっぱりお前は人じゃない。人の形をしたなにかだ」
こんな人間がいるなんて知らなかったし、知りたくもなかった。だが、驚きと喜びが混ざった表情で手を叩く目の前の〝悪〟は確かにそこに存在していて。
アマトはその事実に歯噛みするしかない。
「すごーい! それも正解だよ! わたしのことわかってくれて嬉しいな。そう。正確な意味でわたしはわたしじゃない。君と同じでね?」
「……っ」
「どうして、って顔してるね? ずっと視てたからわかるよ」
動物に水晶の瞳を埋め込み、見ている景色を覗き見ることができる魔法の使い手ならば、これまでのアマトたちが歩んできた旅路のほとんどは視られていたことになる。
ならば、アマトが普通の人間でないことなど簡単に勘付くだろう。
すると、バサッ、バサッ、と複数の大きな羽音が耳を打ち、レンレンの頭上に闘技場の中でも見た凶暴な狼をその脚で鷲掴みにした鳥が飛来した。
鳥は狼を離し、空を旋回し始める。屋上へ着地した狼もまるでレンレンを主人と認め、甘えているかのように露わな肌に体を擦り付けている。
「アマトきゅんとはもっとお話ししていたいからさ、大人しくこの最高の景色を堪能しない?」
センカンダルの街全体から響き渡る人々の悲鳴や家々が崩壊する音が、まるで賛美歌にでも聞こえているかのように、うっとりと頬を上気させるレンレン。
「お話ししましょうって態度じゃねぇだろ」
従えた動物をこの場に呼び寄せておいて言う台詞ではないと、構えるアマト。
奥歯を噛み締め、闘気を高める。
もはやこれ以上の問答は不要だ。さっさとレンレンを殺し、街に放たれた動物を彼女の制御から解き放つ。そしてチトセたちと合流し、人々の救出や残った動物の駆除に加わらなくては。
レンレンは熱っぽく瞳を潤ませて息を荒くし、身をよじる。
「アマトきゅんがそんなに敵意を剥き出しにするからだよ、ドキドキしちゃうね? もっと怒りに歪む顔を見せて? もっと憎しみに満ちた目を向けて? もっと苛立ちに震える声を聞かせて? ──わたしはそういう綺麗なところが大好きだから!!」
レンレンが従えている動物たちとアマトは同時に駆け出し、激突した。




