34「狂人の楽しみ方」
「ひでぇ……」
血生臭い光景に顔を顰める。
アマトはセンカンダル全域に避難誘導を促すため、実況席を目指して駆け足で移動しているが、警備の人が道の脇でゴロゴロと転がっている光景がいつまでも続いていた。
踏み締めるたびに血がビチャビチャと跳ね、えも言われぬ不快な感覚が足裏から伝わってくる。
「どけ!」
闘技場から解放された、凶暴な大型の狼──ファングルウルフを裏拳で壁に吹き飛ばしながら先を急ぐ。
邪魔する動物は全て叩き伏せているが、実況席までの道のりで今のところ生存者は見当たらない。きっと徘徊する動物にやられたか、レンレンと名乗った少女の手にかけられたに違いない。だから悠々と実況席に乗り込めたのだろう。盛り上がりも最高潮のタイミングならば乗り込むのも容易だ。
ふざけたような態度だったが、これは計画的な犯行と思われる。
「実況の人も危ない。急がねぇと!」
蹴り脚を強くして一直線に疾駆する。
「あれか!」
実況席の扉を見つけると躊躇なく開け、飛び込むように中へ。
中は数人入れる程度の狭い空間に机と椅子が置かれ、出場する選手たちの資料が大量にあった。それらと睨めっこしながらたった一人で実況や審判を務めていたのだろう。
その資料が床に散乱している中で、予想通り男性と少女の姿があった。
男性は部屋の隅で壁に背を預けるように腰掛けていて、苦痛に歪むその顔を覗き込むようにして少女が嗤っている。
「お、アマトきゅんが間に合ってよかったねぇ。この勝負はあなたの勝ち。命は助けてあげるよ」
男性の心臓に突き立てていた指を離し、中腰から立ち上がると少女は振り返る。
タンクトップにホットパンツという肌を露出させた装いに、緑色の髪をサイドアップに纏め、白い肌に浮かび上がるような赤い瞳が印象的な少女だった。十年という実年齢の差はあろうが、見た目だけならばアマトとそう変わらないだろう。
「…………」
異様な雰囲気に息を飲む。
道すがら倒れていた警備の人たちの返り血だろうか。全身の半分以上が赤く染まっていて、まるでそれが心地良いかのように恍惚な表情を浮かべている。
アマトを見つめる赤い瞳は熱っぽく、それでいながら空虚な光を宿していて。
そんな瞳が三日月状に歪む。
「あはぁ☆ 待ってたよアマトきゅん! ようやく会えたね! 嬉しいなぁ!」
高まる興奮を隠そうともせず、今にも抱きつかんばかりにレンレンは両手を広げる。
一歩。また一歩と距離が縮まる。
その度にアマトはジリジリと下がる。
「ようやく会えたのにどうして逃げちゃうの? わたしショックだな……」
本当にショックを受けているようで、悲しそうな表情を浮かべるレンレン。感情の起伏が激しく、なにを考えているのか全くわからない。
頭のてっぺんから足の爪先まで、不気味さの塊のような少女だ。
「……知ったようなこと言うんじゃねぇ」
まるでどこかで会ったことがあるかのような口ぶりに違和感を感じる。どれだけ記憶を遡ってみてもそんな光景は思い出せない。
だがレンレンは即答する。
「知ってるよ。君がわたしのことを知らないだけ」
歌い上げるように、彼女は自らのふくよかな胸に手を添える。
「だから教えてあげる。もっとわたしのこと知って欲しいから」
「お前が危険な奴ってことだけわかれば充分だ」
「こんな幼気な少女が危険だなんて、酷いこと言うね? そういうところも好きだけど。キャッ」
まるで憧れの人に告白でもしたかのように、ぽっ、と頬を赤らめる。
──ズレている。歪んでる。崩れている。
整った外見とは裏腹な印象をアマトは抱いた。
いま、自分がどれだけの非道を行っているのか、この少女は全くわかっていない。
闘技場の動物を解放し、周囲の動物も呼び寄せた、センカンダル全域を巻き込むテロも同然の行いである。
そんな状況を楽しんでいる。
危険人物を野放しにしておくわけにはいかないと、アマトの中にある正義感が正しく目の前の少女を敵と認識する。
「アマトきゅんはわたしのお気に入りだから、特別にいいことを教えてあげる。わたしを殺せば街を襲ってる動物たちのほとんどは逃げていくと思うよ」
「……そんなこと信じられると思うか?」
レンレンという人間の腹の底が見えないアマトには、彼女の言葉を信じることは到底不可能だった。
だが、それとは別の意味で、レンレンは信じられない言葉を放つ。
「信じるか信じないかはアマトきゅん次第だけど、個人的には信じて欲しいかなぁ。嘘はつかないし、心当たりはあるんじゃないかなぁ? なーんて」
唇に指を当てて艶かしく微笑むレンレンを前に、アマトの表情が固まる。
レンレンは言っていたではないか。
──おまけで周辺の動物もここへ呼んじゃった!
どうやって呼んだ? どうしてレンレンを殺せば逃げていく?
これまでの状況と、レンレンの言葉がアマトの中で繋がる。
「お前か……!」
「んー? なにがー?」
低く唸るようなアマトの声に、無邪気に首を傾げる。
「お前が動物の目に水晶埋め込んで操ってる張本人か?!」
「あはっ☆ ピンポーン、正解! 水晶のこともわかってたんだね!」
言い当てられたレンレンは楽しそうに破顔して手を鳴らす。自分の技は隠しておくのが普通なのに、むしろ自分から嬉しそうに開示するとは。
レンレンが動物を操る能力を持っているというのなら──
「グリズギルに町を襲わせたのも、プテギノドンを俺らにけしかけたのも、全部お前か?!」
「大・正・解ー! ご褒美としてもっといいこと教えてあげちゃおうかなぁ? どうしよっかなぁ?? ねぇねぇどっちがいい? 知りたい? 別に知りたくなぁい??」
流し目でチラリと見やるその表情が、アマトの癇に障った。
それはまさしく、竜の逆鱗に触れるような激情で。
アマトの中で本能が身体を突き動かし、理性もそれを止めようとはせず、むしろ背を押す。
爆発するような音を立てた初動。アマトの踏み込みが空気を破裂させ、固めた拳がレンレンの鳩尾へ吸い込まれる。
防ぐ間も無く吹き飛ばされたレンレンは実況席のガラスを突き破り、センカンダル闘技場の舞台上空へ投げ出される。
「女を殴りたくはないが、お前はそれ以上に〝悪〟だ! ここで終われ!!」
手の平で握り潰すかのように力を込めて叫ぶ。
だが落下していく前に大型の鳥が飛来し、脚を掴んだレンレンは空中で静止する。
口端から血を垂らしながらも、狂った笑顔は絶えない。
「アマトきゅんは優しいんだね。顔を狙わないなんて! ますます惚れちゃうよ!」
レンレンの足元には避難してきた人々で溢れ始めている。すでに闘技場内の動物は殲滅し、人々の収容に移っているようだ。
「んー、ここは騒がしいし、屋上に場所を移さない? 二人きりならきっと素敵だからさ! 待ってるよん!」
そう言うと鳥は大きな翼をはためかせ、遥か上空へ。
すぐさま追いかけたいが、その前にやらなければならないことがある。
「おいあんた! 大丈夫か?!」
「な、なんとか……どうなっているんですか……?」
「詳しい説明をしてる時間はない。あとで他の人に聞いてくれ。それより今はあんたの魔法の力で街の人全員に闘技場へ避難するように伝えたいんだ。出来るか?」
「少しなら……」
「充分だ。早速頼む!」
アマトは実況の男性の魔法でセンカンダル全域に闘技場へ避難するように伝えると、屋上へ逃げていったレンレンを追いかけたのだった。
***
時は少し遡り、アマトが実況席へ向かって走り出した頃。
頼もしさの増した背中を見送ったチトセは一息ついて気持ちを切り替える。
人間などどうなっても構わないというのがチトセの本音ではあるが、それは夫であるアマトの意にそぐわない。まだ人間なのだからそれも当然だろう。
ならば妻であるチトセは夫の意思を重んじ、行動を起こす。
すなわち、外から街に来た動物の殲滅。
だが、いくらチトセが戦いになったらまず負けることがないとはいえ、状況が状況だ。たった一人では明らかに手が足りない。
しかしやれるだけやらねばならない。アマトの期待を裏切るわけにはいかない。
と、やる気を漲らせ闘志を燃やし始めるチトセに歩み寄る人影が。
センカンダルの英雄キボード=タイピンであった。
「彼を一人で行かせてよかったのかい?」
空色の瞳はもう見えなくなったアマトの背中を追いかけている。
試合の組み合わせ上、タイピンと戦うことはなかったが、アマトの実力はその目で見ているはず。
そう簡単に遅れは取らないだろうとわかった上での質問だ。
「問題ない。アマトならやってくれる。そんなことより、まさかお主ほどの人間がこんなところで燻っておるわけがあるまいな?」
「もちろん。センカンダルは第二の故郷だ。好きにはさせないよ」
「俺も協力しよう」
そこへ鍛え上げられたガタイの良い男が低い声と共に現れた。
アマトと一戦を交え、惜しくも敗退してしまったテランだ。
「年に一度の祭典をめちゃくちゃにされて頭に来ている。それに土地勘もある」
テランはセンカンダルで生まれ、センカンダルで育った戦いの申し子でもある。非常に心強い味方となろう。
「当然! 俺様も! 協力する!」
うるさすぎる声で名乗りを上げたのはハイバイ=リィチ。アマトとの一騎打ちにおいて己の魔力を使い果たし、魔力失調で倒れていたはずだがもう復活したらしい。
彼の早期復活の貢献者であるマホル=スピルが申し訳なさそうな表情を浮かべながらも、銀の髪を揺らしてしかと頷く。
「もちろんウチも協力する。リィチはウチが見とくから安心して」
簡単に話し合い、それぞれの方角を手分けして回ることに。
──センカンダルの街を救う。
同じ目的を見据えた強者たちは、お互いの健闘を視線に乗せて交わし合い、一歩を踏み出す。
「では行こうか! 不届き者に目にもの見せてくれようぞ!」
チトセの鬨の声に、力強く応じた声が空高く響き渡るのだった。




