32「男と男の戦い」
「っ痛ぅ〜……あんにゃろ、いきなりぶん殴りやがって……!」
壁に埋まった体を引き抜いて、砂埃に塗れる口内からジャリついた唾を吐き出す。
格好よく「来い!」の一言で戦いの幕を開けようと思っていたら完全に不意打ちを喰らってしまった。
だがこれはアマトに非がある。すでに試合は始まっているのだから。
「アマトよ。よもやそれで終わりではあるまいな?」
「ったりめーだろ!」
チトセは埋まった壁からなかなか出てこないアマトに仁王立ちしたまま声をかけると、元気そうな声が返ってくる。
無理やり壁を崩して這い出ると腕を振る風圧で砂埃を散らす。
強烈な一撃だったはずだが、さほど堪えていないアマトの姿を見て今度はリィチが冷や汗を垂らす番であった。
「さすがはアマトだ! 一筋縄ではいかないか!」
「これよりも強烈なの何度も貰ってるからな……」
憎らしい視線をチトセに送るが、アマトの土手っ腹に何度も風穴を開けた当の本人は素知らぬ顔で鳴らない口笛を吹いていた。
「今度はこっちから行」
「フンっ!」
まるで瞬間移動のように突如リィチが目の前に出現し、風を切り裂く神速の拳がアマトの左頬を抉る。
踏ん張る体勢すら作れず、軽々と円周状の内壁をなぞるように弾き飛ばされる。
「防がれたか!」
だがリィチは見た。左頬を殴る直前、間に手が差し込まれるのを。
弾き飛ばされる勢いのまま壁をグルリと半周し、立ち位置が入れ替わる。
アマトは体の砂埃を払いつつスピルの隣へ。
「あっぶねー……おたくのヤンチャ坊主どうにかしてくれ」
「ウチの話も聞かないこと多いから……」
「そっちも苦労してんのな……」
二人してやれやれと嘆息し、苦笑いを浮かべ合う。
対するリィチも側にスピルがいるため速攻できず、チトセの隣へ歩み寄る。
「お前が! アマトに稽古を! つけてるんだったか?!」
「チ・ト・セだ。二人して我の名を呼ばんとは……男とは似たもの同士よの。まぁ、確かに我が手ほどきしてやっている。まだまだ発展途上だがな。お主も興味があるのか? リィチとやら」
「ない!」
「そうか、それは安心した。お主に教えられることはあまり無さそうだったのでな」
アマトと同じでリィチの戦いかたは完全に我流な上、スピルの魔法ありきなところもある。癖を修正しようと下手にチトセの手ほどきを受けるよりも、スピルとの連携を磨いたほうがよっぽど強くなれるだろう。
そもそも、彼らにそんな時間などないが。
「相手を応援するのも変な話だけど、頑張ってね」
「おう、サンキュー」
「ほれ、早う続けよ。これは良い修行になりそうだ、もっとボコボコにしてやれ」
「それはアガるな! 任せろ!」
それぞれ相手のパートナーから激励を貰い、アマトとリィチは歩いて舞台の中央へ。
「お前、もうちょっと人の話聞いたほうがいいぞ。俺はともかく、スピルの話くらいはちゃんと聞いてやれ。可哀想だろ」
「ちゃんと! 聞いているぞ!」
「本人がそう言ってたんだよ!」
「そっちこそ! 修行もっと頑張れよ!」
「ありがとよ! なんで応援されてんの俺?!」
スピルに応援され、何故かリィチにまで応援されてしまうとは。まさかこの試合、余裕とでも思われてしまったのだろうかと勘ぐってしまうアマト。
神経を逆撫られたアマトは、血が沸騰するような感覚を気持ちで抑えつつ冷静さを保つ。
リィチのことを睨みつけるその瞳の瞳孔は、縦長に細まっていた。
「──俺が勝つ」
「勝つのは! 俺様だ──っ!」
ドンッ! と空気を揺るがす低い振動が会場を突き抜けた。
目の前でリィチの姿が掻き消え、またしても鋭い拳がアマトの顔面を狙うが、今度は油断せずしっかりと左腕で受け止めたのだ。
そのまま今までのお返しとばかりに右手で容赦無く正拳を突き込む。
「グッハ?!」
今度はリィチが一瞬で壁まで吹き飛ばされる。
〝二速〟で強化されている状態でもアマトの拳は突き刺さり、強烈な一撃となった。
「まだまだぁ!!」
間髪入れずに追撃し、壁に縫い付けるように乱打を繰り出す。ベキベキと壁が砕ける音が響き渡り、みるみる奥深くへめり込んでいく。
反撃させないよう、一切手加減なしの全力全開で叩き込む。
「くそ! しつこいぞ!」
だが速度が緩かったのか、面による制圧が甘かったのか、隙を見つけられて懐に足を捻じ込まれ、そのまま足裏で蹴り飛ばされて中断させられる。
無理やり距離を開けられたが、助走として利用して勢いをつけ、リィチが壁から抜け出す前に大砲のような飛び蹴りを叩き込むが、流石は〝二速〟で強化されているだけあって、砂埃に穴を開けるように飛び出して回避した。
『なんという激しい攻防でしょうか?! 息をつかせぬ展開に見ているほうが追いつかない! あっちにいたと思ったら気づいたときにはこっちにいる! 一体この二人はどうなっているんだぁ?!』
実況の男性が興奮を抑え切れないまま声高らかに叫ぶ。
風を切る音や打撃音が断続的に響き、鎬を削り合うように一進一退の試合が繰り広げられている。
「段々とお前の速さには目が慣れてきたぜ!」
「こっちだって! お前の拳は見切れるぞ!」
舞台を縦横無尽に移動しながらぶつかり合う。殴っては受け止められ、蹴っては躱され、掴んでも抜けられる。
リィチは滅茶苦茶なやつだが意外と戦い慣れしていて勘も鋭い。チトセと修行を重ねてきたアマトでも攻めあぐねていた。
対するリィチも同様だ。我流による型にはまらぬ奇抜な攻撃が持ち味なのに、アマトは器用に対処してきて上手く当たらない。
「オラァ!」
「ハァ!!」
お互いの拳を受け止め合い、歯を食いしばって睨み合う。
両者とも特別な技など持っていない。地力の勝負になる。
体力と体術、根気と気力が勝ったほうに、勝利の女神は微笑むだろう。
拮抗した力は逃げ場を求め、二人の足元から蜘蛛の巣状に舞台が割れ始める。その規模は徐々に拡大していき、舞台が崩落してしまうのではないかと見ている人は心配になってくる。
「うおあああああああぁぁぁぁ!!」
「く! そぉ?!」
アマトが獣じみた咆哮を上げ、上から押さえつけるようにして拮抗が徐々に崩れ始める。
「オラどうしたぁ?! へばってんじゃねぇぞ!!!」
体の熱が上昇し、ボコボコと血が沸騰するような感覚が全身を駆け巡る。アマトの赤く刺々しい髪がさらに鋭利さを増して炎のように揺らめき、食いしばる口から覗く歯は僅かに尖り始めている。万力のような握力と、急激に伸びた爪が手の甲に深々と食い込む。
「……アマト! お、お前はいったい──?!」
まるでお伽話で聞いた〝ドラゴン〟のように荒々しい形相にリィチは戦慄し、全身が粟立って警鐘を鳴らし始める。
段々と息が荒くなり、アマトの力を押し返すことができずに抑え込まれるリィチ。食い込む爪から血が吹き出し、腕を伝って舞台に垂れる。
ミシッ……と掴まれる手から嫌な音と感触が耳と神経を嬲った。
「ふむ、血が暴れておるか。アマト! 己を見失うなよ!」
ドラゴンであるチトセにはアマトの身になにが起きているのか理解していた。理解した上で、それを乗り越えろと檄を飛ばす。
──彼は今、ドラゴンの血に呑み込まれようとしている。
呑み込まれたら最期、人としての自我は崩壊し、アマトはアマトではなくなってしまうだろう。
「リィチ?!」
「ダメだスピル! 手を! 出すなよ?!」
ただならぬ予感を感じ、スピルが一歩前へ出るが、リィチがそれを咎める。
「でも──!」
「ダメだ! 黙って見てろ!!」
「……!」
これだけ強く言われては、彼女にはなにもできなかった。絶対に勝ってくれるとリィチのことは信じている。でもそれは〝接続〟で魔力を分け与えているからこその絶対。もうすぐリィチの魔力は底を尽き、〝強化移行〟の効力も消えて負けてしまうだろう。
……でも。
……だからこそ。
(ウチとリィチの繋がりが〝接続〟だけじゃないって証明したい!!)
この試合でそれが証明できるなら、命を捧げたっていい。それほどの覚悟を持ってリィチの背中に声をかける。
「……負けたら承知しないんだから!」
「勝つ! 孤児院のために! スピルのためにぃぃぃ!!」
歯を食いしばって吠えるリィチが、徐々に押し返し始める。
「──〝四速〟!!!」
英雄タイピンに見せた〝三速〟を超えた秘奥。尽きかけた魔力を総動員し、最後の一滴まで余すところなく振り絞る。
肉体強度を超え、血管が破裂し、全身の骨が悲鳴を上げ始める。
だが増幅されたその力は暴走しかけているアマトの力に劣らないどころか凌駕した。
立て直し、押し返し、抑え付け、
全力の蹴りがアマトの腹を捉えると目にも止まらぬ速さで吹き飛び、頑強な壁をも突き抜けてセンカンダル闘技場の外まで貫通した。
『特別製の壁を突き抜けたぁ?! これは前代未聞です! これはアマト選手、ひとたまりもなぁぁぁい!!』
男性の実況に、騒然となる闘技場。
「俺様は! 負けない!!!」
遥か彼方まで吹き飛んで行ったアマトに聞こえるほどの声量で叫び、
「ちょ、リィチ?!」
魔力を使い果たし、仰向けにぶっ倒れたのだった。




