28「轟く本戦の鐘」
──翌日。
センカンダル闘技大会本戦がとうとう始まる。
凶悪な動物との戦いであった予選はあくまで予選であり、言わばお遊びのようなもの──と捉えている客も少なくない。
出場する側からすればそれでも命がけなので遺憾に感じている選手も多いが〝そういうもの〟だという認識である。
だが本戦からは「降参」も認められているため、参加側も少しは気が楽というものだ。
「さて、いくか!」
「うむ!」
空が割れんばかりの喝采がセンカンダル闘技場を包み込む。
気持ち良い程の快勝を見せて予選を突破したアマト・チトセペアは今や注目の的。特に、チトセの小柄な体躯から繰り出される圧倒的な実力と存在感は、見る者を魅了するまでに時間などかからなかった。
ちなみに、予選は何戦かしたのだが、ほとんどをチトセが片付けてしまったので結局アマトは出番がなく、その度に実況の男性にいじられて、観戦客も彼のことを完全なる〝お荷物〟として捉えてしまっていた。
そんな認識も、今日を以てひっくり返ることだろう。
「予選は暴れさせてやったんだ、本戦は任せてくれるんだろうな?」
長い手足をほぐす準備体操をしてアマトは最後に首を鳴らすと、チトセが「そうだな」と目を瞑る。
「お陰である程度はスッキリしたから代わってやろう。不甲斐ない姿を見せるようであれば我が助けてやるから安心せい」
「はっ、言ってろ」
アマトは鼻で笑い飛ばし、表情にやる気を漲らせる。鬱憤が溜まっているのはチトセだけではなく、彼もまた同じ。
予選ですでにある程度晴らしているチトセと違ってこちらはまだなに一つ発散できていない。
やる気はすでに十二分に溜まっている。あとはこれを吐き出すだけだ。
『それでは皆々様! 大変長らくお待たせ致しました、ただいま人気急上昇中のアマト・チトセペア対、本戦五連続出場の経験を持つ人気株、テラン! 試合──始めっ!』
実況の男性の声がセンカンダル全体に響き渡り、世界中の誰もが待ち焦がれた本戦開始の合図である鐘が高らかに鳴り響く。
相手は見るからに戦い慣れていそうなガタイのいい中年の男。長身であるアマトと変わらない身長、内側から服を破らんほどに盛り上がる筋肉は日頃からの鍛錬を欠かさず行ってきた成果の証明。
努力の塊のような男から、これから勝利をもぎ取らなければならない。
アマトが一歩前へ。逆にチトセは一歩下がる。
「おっさん一人か? この大会って一人でも出場できんの?」
「参加人数に制限はない。一人だろうが百人だろうが、ルール上の問題はないのだよ。覚えておくのだな少年」
テランが低く渋い声でセンカンダル闘技大会のルールを教えてくれた。
彼が言う通り、実はセンカンダル闘技大会の参加人数に制限はない。なので大人数で参加したほうがもちろん戦いは有利だが、大量の観戦客に「卑怯者」や「腰抜け」など、言葉の袋叩きにされる覚悟が必要になる。
なので、暗黙の了解として一人か二人、多くても三人で出場する選手が多い。
「過去に何度か大人数で参加した者もいたが、そういう輩は面白いことに軒並み敗退している」
「烏合の衆、というやつじゃな」
「まさに」
チトセの言葉にテランは頷き、厳つい表情を僅かに綻ばせる。
「予選は見ていた。お嬢さんが何者か気になるところだがそれは問わない。是非とも手合わせを──と、思っていたのだが」
目を細め、歩み出てくるアマトを見据える。彼が前に出たということは、戦う意思があるということで、チトセが後ろに下がったということは、今回の戦いは見送るということ。
彼女との戦いを望んでいたのだとしたら、
「残念だったな。チトセの出番はしばらくお預けだ。俺で我慢してくれや、おっさん」
「アマトに見事勝利してみせれば、そのときは我が相手になってやるぞ、小僧」
「ふっ……もとより一対二は覚悟の上。一人ずつ相手になってくれるのならば是非もない」
テランは、背にぶら下がっていた身の丈ほどもある戦鎚を軽々と構える。彼はこの戦鎚による純粋な破壊力で、予選を何度も勝ち抜いてきた猛者だ。
紛れもなく、人間の中では強者に分類されるであろう。
「いざ──参る!」
まるで巨大な猛牛が群れを成して襲ってくるような重圧。気合が込められた雄叫びを上げながら、猛然と突進してくる。
「覚悟!!!!!!」
テランは今までそうしてきたように、最も熟練された動きで一撃必殺の戦鎚を力一杯振り下ろす。
狙いは正確──アマトの脳天から頭蓋を粉砕する。
想像を絶する音がセンカンダル闘技場に響き渡った。人間の骨を砕き、命すら一撃の元に粉砕する筋肉と鉄塊の暴力。
「手応え、あり! …………すぎる?!」
「この一撃が、俺にとっての開始の合図代わりだぜ」
重量と遠心力と膂力を掛け合わせた全力の一撃を、アマトは頭突きで受け止めていた。
驚き、狼狽するテランを戦鎚越しに睨みつける。
「これがおっさんの全力か? よくこれで予選抜けられたな。まだグリズギルのほうが強かったぜ?」
「これが全力か、だと? 舐めてもらっては困る」
と、冷や汗を垂れ流しながら強がりを口にするテラン。紛れもなく全力を込めた一撃だった。それを棒立ちの脳天に目掛けて打ち下ろすなど造作もないこと。おまけに一番力を込めやすい一撃だった。
にも関わらず、真っ向から受け止めてみせた。
これは少女同様、この少年もどこか普通ではないということに他ならない。
「許せ少年、認識を改めよう。相手にとって不足なしと!」
「よし。そうこなくっちゃなあ!」
両者ともに、目の色が変わる。
アマトがテランの一撃をあえて受けた理由。それはテランが彼のことを侮っていたからに他ならない。
観戦客と同じように〝チトセのお荷物〟という認識をまず改めてもらわなければ真剣勝負とは言えない、というアマトの誠意からくる行動であった。
「ウルぁぁぁぁぁ!!!」
テランは戦鎚を引き戻し、自身ごとグルグルと回転して遠心力を高め、横殴りにアマトの左肩を殴打する。
先ほどとは比べ物にならない遠心力が上乗せされている。いくら本気の一撃を頭で受け止めたとはいえ、さらに強い一撃を横からならば、さしものアマトも耐えられはしまい。
人体から発せられたとは思えない、いや、思いたくないほどの打撃音が鳴り響き、それを見ていた観戦客が幾度目かの歯を食いしばる。見ているほうがなぜか痛い思いを我慢している不思議な光景が広がっていた。
たがアマトはその場に踏ん張り、耐えてみせた。
「っくぅぅ……! 今のは効いた──ぜっ!」
「ぬおぅっ?!」
次はこちらの番と、アマトは固めた握り拳を鋭く突き出す。
長めの溜めがあったからその隙に戦鎚を体の前に構えることで防御が間に合ったが、腕が痺れるほどの衝撃に吹き飛ばされ、二人の間に距離が生まれる。
「そんな見え見えな突きでは一生当たらんぞアマトよ。お主はその程度であったか?」
「お前以外に打ち込むのは初めてなんだ、加減がわかんねぇんだよ。少しは探らせろ」
「チ・ト・セだ」
涼しい顔で平然とやり取りをする二人を前に、テランは厳つい表情の内側で必死に驚きを隠していた。
(加減を探る、だと? これが全力ではないというのか?!)
テランは日夜欠かさず鍛錬し、まさに鋼の如き肉体を手に入れた。どう見ても筋肉はアマトよりもついているのに、未だに腕が痺れるほどの一撃を軽々と放つとは。
(今年の闘技大会は──荒れるな)
他にも目をつけていた選手は大勢いる。
そんな選手同士がぶつかったら……。
テランは純粋に、その先がどうなるのか気になった。
「今のでだいたい加減はわかった。今度はこっちから行くぜおっさん」
「強者を打ち倒してこそ真の勝利、か。いいだろう、いつでもかかってくるがいい、少年!」
「しっかり避けるか防御しろよ!」
「なに──をっ?!」
少年がその場からかき消え、いつの間にか懐に。すでに腕を引き絞っている。
十割の経験から来る完全なる勘だけで、テランは戦鎚の柄でアマトの拳の防御した。全てが鉄製でできた戦鎚が耳障りな音を立ててひしゃげ、巨体が軽々と吹き飛ばされた。地面に足がつかないまま壁まで吹き飛ばされ、激突の衝撃で蜘蛛の巣状にひび割れる。その振動は観戦客の席にまで伝わり、立っていた何人かがすっ転んだ。
『特別製の石にひびが入ったぁ?! これはテラン選手絶体絶命かぁ?!』
実況の声がこだまし、朦々と立ち込める砂埃に隠れてテランの状況が把握できない。
「ちとやり過ぎたのではないか?」
「いや、あのおっさんはそんな柔じゃないぜ。防御間に合ってたし」
右腕に残る僅かな痺れを消すように、握って開いてを繰り返すアマト。ドラゴンの血の力によって強化された肉体は、見た目以上の力をもたらす。それがどれほどのものなのか、この一撃でよくわかった。
「まだ、だ…………まだ、終わってなど、いない! ──カハッ」
薄れてきた砂埃の中に、砂混じりの吐血をしながら、なおも立ち続ける一人の男。
「おっさん……それでこそ〝漢〟だぜ」
「強き者と戦えることに──感謝を! そして……全霊を賭した一撃を!」
テランはひしゃげた戦鎚を振り上げ、大上段の構えのまま雄叫びを上げて突っ込んでくる。
戦鎚に埋め込まれた赤き宝石が眩く光を強めていく。
「グラン・インパクトぉぉぉぉ!!!」
残された力全てを注ぎ込み、文字通りの全力で振り下ろされた戦鎚は難なく躱された。見え見えの攻撃に当たるほど、チトセとの修行を重ねてきたアマトは甘くない。
だが、甘かったのはアマトのほうであった。テランの覚悟を、甘く見た。
──テランの放った『グラン・インパクト』は直撃でなくとも直撃する。
戦鎚がアマトの足元の地面に当たった瞬間、天高く火柱を立てて大爆発。流石のアマトも全身を高熱で一気に焼かれ、衝撃に軽々と吹き飛ばされる。
後ろに下がっていたチトセの脇を猛烈な速度で通り過ぎ、テランとは反対側の壁にぶち当たる。
『おおっとぉ!? 物凄い大・爆・発ぅ! 両者ともに吹っ飛ばされたように見えたが、果たして?!』
状況を俯瞰できる実況の男性が熱く叫ぶ。
「……自爆か?」
熱波で肌に熱を感じ、爆風に土色の髪を揺らすチトセはアマトに目もくれず冷静に呟く。
チトセの目にも両者が吹き飛ばされたように見えた。つまりは捨て身の攻撃だったということ。
だが堅実そうな男だ、果たして〝自爆〟という選択を取るだろうか?
チトセにはそこが疑問に思えて仕方がなかった。
「アマトよ! よもやその程度でやられるような男ではなかろうな?」
「……ったりめーだろ」
足取りは重く、ボロボロの姿ではあるがアマトはゆっくりと舞台中央へ歩みを進める。
「くっそー、あのおっさんとんでもない隠し球持ってやがった……」
焼け焦げた邪魔な服を破り捨てて悪態をつく。アマトが着た服はボロボロになる運命にあるのかもしれない。
そんな姿を上から下まで眺めて、チトセは肩を竦める。
「油断したな。調子に乗るからそうなるのだ」
「……返す言葉もねーよ」
「爆炎石が仕込まれていたようだが、向こうも相当の手傷を負ったと見える」
「あのおっさん大丈夫なのか?」
アマトはドラゴンの血により人間よりも頑丈な体を持っているからこの程度で済んでいるが、テランは限界まで鍛えられているとはいえ普通の人間だ。どう考えても耐えられるような威力ではなかった。
だが、
「──その心配はない」
テランの低く渋い声が立ち込める煙の向こう側から聞こえてくる。アマトと同じように、かなりボロボロの様子だが、アマトと違って全身の火傷は見当たらない。
同じく戦鎚も見当たらず、先の爆発により消滅してしまったようだ。
チトセはその姿を見て、
「なるほど〝護炎〟か。恵まれたな、大事にせい」
「なんだ? その護炎って」
「〝加護〟と呼ばれる神の祝福や恩恵のことだ。ある意味、魔法を使える者より希少かもしれんな」
テランの持つ〝護炎〟はその名の通り、熱を和らげて遠ざけ、炎から主人を守る効果を持つ。
「然り。護炎があるからこその一撃であったが……これでも倒せないとなると、いよいよ手詰まり、か」
「どうする? 本戦からは降参も認められてるんだろ?」
アマトの挑発に、テランは苦笑を漏らし、すぐに表情が引き締まる。
「ここまできて降参など、出来ようものか」
「へっ、そうこなくっちゃな!」
両者ともに、爆発の火が燻り焦げた舞台の中央へ歩みを進める。
お互いの視線が交錯し、張り詰める緊張の空気がその場を支配する。
爆発によって巻き上げられた小石が落下。
カツン──という音と全く同時に動く。
「ガッ?!」
「グッ?!」
お互いに右拳で顔面を殴る。アマトの方が素早く鋭く、テランは重く深く、脳を揺さぶる。
「オラァ!」
「ヌゥン!」
今度は腹。突き抜ける衝撃が肺の空気を強制的に口から吐き出させる。
「まだまだぁ!」
「なんのこれしき!」
鞭のような蹴りが、丸太のような蹴りが、脇腹を直撃。
『男同士の熾烈な殴り合い、殴り合い、殴り合いぃ! テラン選手もアマト選手も、一歩も譲らず完全に守りを捨てているぞぉ!! 拳と拳での語り合いはいつまで続くのか?!』
「蹴りもしているから『殴り合い』では──というのは無粋だな」
チトセが熱の入った実況に冷静に突っ込むが、そんなことよりも二人の戦いの行く末を見守ることに集中する。
血反吐が飛び、汗が散り、気合の声と呻き声が入り乱れる。
全身にアザが浮かび、顔は腫れ上がり──やがては血反吐も出なくなる。
「アマトとこれほどまでに打ち合えるとは……とっくに限界を超えているであろうに……」
ドラゴンの力を分け与えられた少年と、慢心せず修練を重ね加護の祝福に恵まれた男の一騎討ち。
チトセにはわからなかった。アマトが手を抜いているようにも見えないのに互角にやりあえていることが。
──それは、信念であった。
負けてたまるかと。一矢報いてやると。地に膝をつけるのはお前のほうだと。
ただ、それだけの信念を掲げてテランと呼ばれる歴戦の猛者は歯を食いしばり、ひたすらに攻撃を重ねる。
急所を突く鋭い一撃に意識が飛びかけた。本当に意識が飛んだ瞬間もあった。白目を剥いても、耳が聞こえなくなっても、それでも体は心に従い動く。
倒す。倒す。倒せ。倒せ。倒れろ。倒れろ。
いつまで続くのかわからないままに、観戦客も固唾を飲んで見守る。
烈火の如き猛攻は、唐突に訪れた静けさによって打ち払われる。
「──」
「──」
動かない。両者ともに、顔面を殴り合った格好から動かない。
実況の男性も実況することを忘れ、ただどうなったのか、食い入るように見つめている。
先に動いたのは、アマトであった。
「おっさん──いや、テランさん。俺の勝ちだ」
テランは倒れることなく、立ったまま、気を失っていた。
『勝者! アマト・チトセペアぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』
破れんばかりの喝采が響いても、目を覚ますことはなかった。




