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27「一時の休息」

 一日という時間をかけてセンカンダル闘技大会の予選は無事終了。強大で強力な動物の数々に参加者の大半は脱落し、同じ数だけの命が舞台に吸われていった。

 そんな命を踏み台に、勝ち残った者たちで翌日からは本戦が行われる。


 出場者にはそれぞれに休憩室が与えられ、そこで思い思いに時間を過ごす。のんびりするも良し、敵情視察に歩き回るも良し、試合に向けて鍛錬に励むも良し、だ。


「ふぃ〜……な、長い一日だった……」


 アマトは溜まった疲れを一気に吐き出すようにため息をつきながら、用意されたフカフカのベッドに飛び込む。


 チトセと二人だけなのに、まるで王室のように豪華な部屋が用意された。体の半分がベッドに埋まるほど柔らかいし、嗅いだことのない甘い香りがシーツから漂っている。大きな窓にレースのカーテンが波打ち、踏むことを躊躇うモコモコのマット。豪奢な照明は目がチカチカしてくるほどに(まばゆ)く室内を照らしている。


 人生初の過剰なおもてなしに、色々と持て余してしまうのは自明の理だった。


「この果実、毒とか入っておらんだろうな」


 まだまだ体力に余裕の見られるチトセは、真っ白な石でできたテーブルに置かれた色とりどりの果物に鋭い視線を送っている。


「あむ」


 心配するようなことを言いながら(おもむろ)にパクリと口に放り込むあたり、適当というのか、気まぐれというのか、判断に困るところだ。


 何戦もさせられたのにそんなところにまで気が回るとは恐れ入ると、またしてもため息が溢れて枕に染み込むアマト。


「ため息をつくと幸せが逃げると言うぞ? 少しは我慢したらどうだ」


 果実を咀嚼しつつ、チトセは真っ赤なソファに飛び乗るように腰掛けながら太古の知恵袋を披露する。


 大きなソファに小柄な体格のチトセが座るとまるでお人形のようだ。


「それ俺信じてないから」


 枕に顔を沈めてボフボフと否定する。


 アマトは八代目村長の紙芝居を通して聞いたことがあるのでたまたま知っていたが、ため息ごときで不幸になってたまるかと否定的な意見だった。


「むしろため息つくと楽になるだろ」


 胸の辺りの(わだかま)りが軽くなる感覚があるので、アマトはため息を悪いものだと認識したことはない。


 だがチトセはさらにそれを否定する。


「そうかもしれんがな、それは自分にしか目がいっておらぬ」


 ソファの上で膝立ちになり、背もたれに上体を預けてベッドに横たわるアマトを見やる。


「ため息をつくと自分の内から(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)幸せが逃げていくと思っておらんか? 我が思うに『幸せが逃げる』とは、ため息によって周囲や他人の幸せを吹き散らしている(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)のではないか、というのが我の意見だ」

「……なるほど、わからなくもない」


 チトセの意見に一応の納得をみせる。


『幸せが逃げる』とただ言っているだけで、どこからどうやって逃げるかは追及されていないのならば、そのような解釈もできよう。


 理解はできるがいまいちしっくりこなかったアマトは、やはり意見を変えるつもりはないようだが。


「だから一人でいるときは盛大にため息をつくが良い。それで気持ちが楽になるならばな。だが他人がいるときはなるべく控えよ。親しき仲にも礼儀あり、というやつだ」

「……ま、頭の片隅にでも置いとくよ」

「うむ、心得ておけ。さてと──」


 チトセはおもむろに立ち上がるとベッドに横になるアマトに対して添い寝してきた。

 あまりにも自然に。あまりにもスムーズに。


「──っていやいや! お前なにやってんだよ?!」


 だからこそ反応するまでに僅かな時間を要した。ガバリと起き上がり、後ずさるように距離を取る。


「妻が夫に寄り添うのは自然なことであろう? なにを慌てているのだ?」


 そう言うチトセの表情は薄く笑っていて、それが単なる悪戯であることはひと目でわかる。


 両手を広げ、部屋全体を示す。


「ここは個室だ、いつもの野宿ではないのだから見張りの必要もなかろう。一緒に寝ることも可能だ」

「不可能だよ!」


 よくよく確認してみればダブルサイズのベッドが一つあるのみ。これだけ部屋が大きいのだからもう一つくらいベッドを置いてくれても良かったものを、運営は要らぬ気を利かせたらしい。


 アマトはベッドから降りて、足取り強く奥にある別の部屋へ歩いていく。


「待てアマトよ、どこへ行く?」

「湯浴み! ありがたいことにここには風呂もあるみたいだからな!」


 ドアをしっかりと閉め、施錠も確認。


 湯船には香り立つ花びらが浮かび、磨き上げられた石は艶めいていて、アマトはこれ以上の贅沢を知らない。


 宿屋兼酒場で待たせている双子に負い目を感じるアマトであったが、背に腹は変えられない。いつまでも埃まみれで過ごすのは気分が悪いので、ここは夢のような贅沢に身を委ねさせてもらおうと決意を固めて服を脱ぐ。


 姿見に写る自分の姿を眺めて、随分変わったと感慨深く思う。十年も眠っていたにしては容姿は変わらないくせに、少しばかりチトセと修行を重ねただけで筋肉がそこそこついた。ドラゴンの血の影響ですぐに治癒はするものの、全身の至る所には生傷が残されている。


 土手っ腹を穿つように残された痕、右腕を吹き飛ばされたときの跡、双子に戯れつかれたときの痕などなど……白く残った痕跡を指先でなぞると、そのときの光景が脳裏に浮かび上がってくる。


 アマトは首を振り、苦く辛い記憶を振り払う。痛い思い出しか浮かんでこなかった。


「そんなことよりも風呂風呂っと……」


 せっかくの贅沢を満喫しないのはもったいないと気持ちを新たに、しっかりと掛け湯をして湯船に足先からゆっくりと浸かっていく。


「ふいぃ〜……」


 湯船から湧き立つ泡のように、体の内側から自然と快楽の息が溢れてくる。目に見えるんじゃないかと思えるほどに、全身から疲れが滲み出てくるようだ。


 ファウストリ村では湯船に浸かるなんて贅沢はなかなかできなかった。今この瞬間だけはセンカンダル闘技大会に出場して良かったと思ってもいい。

 存分に堪能したら湯船から上がり、背を流すために風呂いすに腰掛ける。


「背中か? 我が流してやろう」

「ああ、サンキュー」

「しかしお主も男児よの。肩幅広くなったのではないか?」

「それは俺もさっき思った」

「我との修行の成果だな」

「そうだな──っておい?! おいおいおいおいおいおいおい?!?!?!」


 音もなく、いつの間にか背後に迫っていた小さな人影。振り返るまでもなく声と喋りかたでわかる。

 それでも振り返ってしまったのは、それほどに気が動転していたからか。


「お前なんでっばっでう──はぁ?!」

「落ち着けアマトよ……支離滅裂になっておるぞ」


 振り返れば案の定、仁王立ちするチトセの姿があった。


 ……一矢纏わぬ姿で。


 控えめな体系でありながら、女性らしい凹凸が徐々に現れつつある幼気(おさなげ)で神秘的な褐色肌を惜しげもなく晒す。


 アマトは目に毒な光景を大慌てて視界から外し、背を向けて己の両手で目を隠した。


「なんで服着てないんだよ?!」

「『なんで』はこちらの台詞だ。風呂場で服は着ないものであろう?」


 さも当然のように言い、首を傾げるチトセ。確かにその通りではあるのだが、問題はそこではない。


「俺ちゃんと鍵かけたよな?!」

「あの程度で我を止められると思ったのか?」

入ってくるな(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)って意思表示だよ! 伝われよ!」


 チトセなら入ってくるんじゃないか、という懸念があったからこそしっかりと施錠を確認したし、風呂と宣言もしておいた。


 にも関わらず平然と侵入してくるとは、つくづく人間の常識が通用しないドラゴンだ。


 チトセは堂々と控えめな胸を張って宣言する。


「夫婦に隠し事は不要であろう?」

「そんなんじゃすぐ破局するわ! ──って、んなことはどうでもいい! さっさと出てけよ!」


 せっかくの良い気分が台無しにされてアマトは声を荒げる。それに対してチトセはわざとらしく衝撃を受けたような顔をする。


「最愛の妻に『出てけ』とは……! 流石の我でも傷付くぞ?」


 言いながら、出ていくどころか背を向けるアマトに大胆に接近して、腕に絡みつく。

 滑らかな肌が腕を柔らかく包み込み、痺れるような衝撃が全身を伝わって脳に集約されていく。


 グリズギルを吹き飛ばしたり、プテギノドンの体当たりを弾いたりしたこの細腕のどこにそんな力が隠されているのか。


 のぼせたわけでもないのに、みるみるうちに顔が真っ赤になっていくアマト。情報量が多すぎて脳みそが破裂寸前だ。


「ほれほれ、女子(おなご)の柔肌の感想はどうだ? ほーれほれ」


 彼の初々しい反応が面白くて興が乗ってきたのか、楽しげに笑いながら徐々にエスカレートしていく。


 こういったことに免疫のないアマトはどうすればいいのか分からなくて軽く混乱状態に陥ってしまう。その慌てふためく姿がまた面白くて、チトセの悪ノリは助長していき、ついには──


 ふにり。


「?!」


 アマトの手の平に、これまでに感じたことのない程の柔らかさが襲来する。

 チトセがアマトの手首を掴み、無理やり自らの胸部へと導いたのだ。


 ほんのささやかなふくらみの中、とある一部の硬さを手の平に感じながらも必死にその感覚を頭から追い出す。


 オーバーヒートしてまともな思考回路が焼き切れてしまったのか、脳から送り出される信号は──


「ぁンっ……」


 ──それを〝揉む〟ことであった。


 過度な緊張から手に力が入ってしまったのかもしれない。


「へ、変な声出してんじゃねぇよ?!」

「意外と力強くてな、つい」

「いやっ、これはっ勝手に──ってお前押さえつけるんじゃねぇよ!」


 ようやく暴走気味だった本能を理性が制御し、手を引き剥がそうとするとも、強引に押し付けられていて離れない。


「な、なぜだろうか……急に見られるのが恥ずかしくなっての。これが〝乙女心〟というやつかもしれん」

「んなもん知るかボケぇー!!!」


 嬉しいような、嬉しくないような──チトセの謎の積極性によりセンカンダル闘技場にアマトの叫びが隅から隅まで響き渡った。




   ***




 一方その頃。宿屋兼酒場に人質として預けられているヨウとリョクの双子はといえば──


「「ありがとうございましたー!」」

「ああもうこの子たちったら可愛いし頑張り屋さんだし、このままウチで働いておくれよ!」


 やることもなかったのでお店の手伝いをしていたら、おばさんに大層気に入られていた。


「「それはやだー!」」

「あちゃー! そいつは残念! アッハッハ!」


 そして速攻でフラれていた。


 そんなやりとりを横目で眺める、真っ赤な瞳に気づかないままに。

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