25「闘技大会の幕」
──センカンダル闘技場。
そこは平たい円柱の形をした石造りの広大な空間。簡単に壊されないように頑丈さでは右に出るものはないと言われるほど強固な石のみで作られた特別な場所。
天井は吹き抜けており、天高く澄み渡った青空と、茶色の石造りのコントラストが映える。良く言えば壮観であるが、悪く言えば井の中の蛙のような気分を彷彿とさせた。
周囲をグルリと埋め尽くすように観客が密集し、今か今かと大気を鳴動させ肌がひりつくほどの歓声が上がる。
センカンダルは年に一度のお祭り騒ぎ。観客は誰が優勝を勝ち取るかの話題で持ちきり。裏では当たり前のように賭けが行われて金が大量に動く。
優勝候補はやはり、前回優勝者のキボード=タイピン。実力もルックスも申し分なく、前回の優勝賞金で金も地位も名誉もあり、女性からのウケもいいという、天は彼に二物も三物も与えてしまった羨ましい存在。
不公平もいいところだと男性からの印象は最悪だが、評価は決して低くはない。天賦の才を疎むよりも金のほうが優先、というわかりやすい思考に染まっている証拠である。
観客のボルテージも最高潮に達してきたとき、キィィィィィィィィィン……──と脳を直接突くような高音が響き渡る。
空気中に含まれる魔力に音が伝わりやすくする魔法を流し込むと聞こえてくる耳障りな音だ。
だが闘技大会はコレがなくては始まらない。
ほんの少しの雑音が混ざってから、クリアになるのを待ち、
『皆さま大変長らくお待たせいたしました!』
魔法により拡張された男性の音声が闘技場全体に満遍なく行き渡る。闘いの様子を実況中継するため、会場に入れなかった外の人たちにも状況が伝わるようになっている。
『これより、年に一度の闘いの祭典、初めて参ります!!!!』
──いま、世界最大級の闘技大会の幕が開く。
***
「んで、どうして俺たちはこんなことになってんのかね」
「食い過ぎたからだな」
「次からは所持金にも気を使わないとな……」
「うむ……」
周囲を埋め尽くすほどの観客がいる中央で立ち尽くすアマトとチトセ。
今までに味わったことのないほどの視線と声援を全方位から浴びて、困った笑みが浮かぶ。
そう──二人は今、センカンダル闘技大会に出場している。
なぜこうなってしまったのかは単純明快。
宿屋兼酒場の代金を支払うことができず、苦肉の策で可決されたのが〝闘技大会に出場し、賞金で支払う〟というもの。
出来なければ支払いが完了するまでタダ働きが決定しているし、逃げられないように双子が人質として取られている。
ヨウとリョクの双子は完全に失態に巻き込まれた形だ。
「迅速にこのような茶番は終わらせて、子らを迎えにゆくぞ」
「だな」
チトセは母親として双子が心配であるし、アマトも村人たちを探したいのでこんなところで時間を浪費するわけにはいかない。
親の失態で子に迷惑をかけてしまったのだ、早いところ終わらせて、謝りもしたい。
気合も充分だが、問題があるとすればリィチとスピルの二人。出会って意気投合し仲良くなったばかりだが、この二人も闘技大会に出場することはわかっている。
つまりは順当に勝ち進んでいけば、どこかで戦うことになる。
願わくば、決勝まで当たらないことを。
「まずは予選だったか。大会側が用意した動物を殺ればよいのか?」
「ああ。そうらしいぜ」
チトセの確認に頷く。
闘技大会は参加人数が多いため振るい落とすための予選があり、凶暴凶悪な動物と闘うことになる。
人VS人であれば、「参った」の一言で試合を終わらせることができるが、動物相手ではそうもいかない。
つまり、殺るか殺られるか、だ。
この大会では当たり前のように死者が続出するため、出場者全員に了解を得ているため特に問題はない。
「……お出ましか」
重厚な両開きの扉がゆっくりと開いていき、中から細くて巨大なシルエットが姿を表す。
全身は緑色、触角の生えた逆三角形の頭に大きな複眼。三対の足に一対の鎌を持ち、巨大な羽を背に収納した蟷螂のような生き物──ザンティス。
長身のアマトですら見上げるほどの大きさ。すでに目の前の二人を敵として──いや獲物として捉えているのか、両の鎌を持ち上げて威嚇している。そのせいもあって余計に大きく見えた。
『それでは! アマト・チトセペア対ザンティスの予選──始めっ!』
実況の男性が審判も務めているのか、開始の合図が鳴り響く。
「虫か……少々やり辛いのう」
ザンティスの姿を見て驚くどころか眉根を寄せて困り顔を浮かべるチトセ。
誰が相手であろうと余裕を見せそうなチトセでも苦手な相手がいるのかと、アマトは「そうなのか?」と意外そうに言うと彼女は肩を竦めた。
「ただの獣であれば少し殺気をチラつかせるだけで隣の山まで逃げていくが、虫は何故かそうもいかんのだ」
「ふーん」
アマトも彼女の殺気を垣間見たことがあるからわかるが、あんなものを向けられたら確かに逃げ出したくもなる。グリズギルとプテギノドンは何処かの誰かが操っていたようなのでその限りではないが、普通は尻尾を巻いて一目散だろう。
「俺は観客のほうに行ったりしないか心配なんだが」
「その心配は無用であろう」
「それまたどうしてだよ?」
アマトの心配を即答で一蹴するチトセ。もちろん彼女なりの根拠があっての発言だ。
不意打ちを喰らわぬよう、あくまで視線はザンティスに注ぎながら意識だけを周囲へ飛ばす。
「かなりの手練れが観客に紛れ込んでいるようだ。もし客のほうへ行こうものなら木端となるであろうよ」
「それはつまり人間も逃げられないってことだよな」
「まさに死闘か。予選から盛り上げてくれるわ」
鼻で笑うチトセがとうとう一歩前へ出る。ザンティスはさらに警戒を高め、いつでも高速の鎌を振るえるように力を引き絞る。
だがチトセは歩みを止めない。
「助太刀──」
「無用」
「──だよな」
わかってはいたが一応聞いてみると、片手を横に広げて断られる。それに応えるように頑張れよ、と軽く手を振りながら頭の後ろで手を組んで、踵を返し離れるアマト。
『おおっと?! アマト選手がその場を離れたぁ! この戦いを小さき少女チトセ選手に任せたようだ! とても男とは思えない行動! 下劣!』
「いや一言余計だよ!」
男性の実況に観客からも一斉にブーイングが飛び交う。
物凄い居心地の悪さを感じながらも、アマトは離れて彼女を見守る姿勢を崩さない。
下手に手を出したらこちらが巻き添えを喰らうかもしれないし、なにより怒られかねない。
何故ならば、今のチトセは機嫌が悪い。
実況の男性や観客は離れているからわからない。アマトはそばにいるからわかる。
チトセから肌を刺すような圧力が溢れ出していることを。
「こんな虫程度で我を試そうとは、ドラゴンも舐められたものだ」
目が座り、低く呟く。
今のご時世、ドラゴンなんてもはや伝説級の存在であるし、見た目はどこからどう見てもただの少女。虫でいいと判断した運営側を一体誰が責められようか。
とうとう無防備なままザンティスの鎌の間合いに入る。
「来い。虫らしく潰してくれるわ」
──ヒュ。
チトセが挑発した刹那。
ほんの僅かな風切り音と共に、目で追えないほどの速度で挟み込むように鎌が振り抜かれる。
アマトはどこかで見たような光景だなーと思う。
ザンティスの振り抜いた鎌の部分が、消えていたのだ。
では消えた鎌はどこへ行ったのか。
観客の四方から遅れて悲鳴の声が上がる。
「腹いせにこちらも少し試してやろうと思ったが、及第点といったところか」
「おいおい……」
呆れた吐息が思わず漏れる。
アマトはドラゴンの血が混ざり、身体能力が人間よりも強化され、動体視力も上がっているためなにが起こったのか視えた。
──鎌をもぎ取り、半分に折って、四方へ投げた。この一連の動作を一瞬で行ったのだ。
半分になっても尚大きな鎌を四方へ投げナイフのように投擲したが、観客に当たる前にそれぞれ何者かが受け止めるなり粉砕するなりして防がれる。
彼女の言う通り、安全対策として相当な強者が観客に紛れて潜んでいるようだ。
「客に当たったらどうすんだよ!」
「ちゃんと当たらんように隙間を狙ったわ。防がれるとわかっていたしな。仮に防がれず、客が動きでもしたらわからんかったが」
思っていたよりもイライラが蓄積しているらしく、言葉もない。
「どうした蟷螂。鎌が無ければなにもできないのか? それでは虫以下ではないか」
立てた指をクイクイ、と動かし〝やれるものならやってみろ〟と挑発を重ねる。
それが伝わったはずもないが、ザンティスは奇怪な金切り声を上げると、頭が縦に割れた。
そう思えるほどに大きな口を持っていたのだ。
武器がないのなら、直接喰らいつくまで。
チトセは薄く笑う。
「その意気や良し。──だがぬるい」
次の瞬間、ザンティスは自分の体を遠くから客観的に見ることになる。
首の消えた、己の巨体を。
ザンティスの複眼には小さな悪魔のような少女が映り込み、地獄の光景を焼き付けていた。
チトセが横から頭を蹴りつけただけで根本から頭が捥げて、透明な体液を撒き散らし、神経の糸を引きながら客席と舞台の境界線である壁まで一直線に吹き飛ばされたのだ。
終わったと、チトセは振り返り退場口へ向かう。
──いや、まだ終わっていない。
虫の生命力を侮るなかれ。頭が無くなった程度ですぐに死にはしない。巨体であろうとも壁をよじ登れるほど鋭い鉤爪が三対も残されている。
これが引っ掛かるだけでも、切り刻むには充分だ。
ザンティスは背を向けるチトセに頭が無いまま飛びかかる。
「ふん」
力強く一歩を踏み込むと、地面から壁がそそり立ち、ザンティスはその壁に無様に激突する。
「言ったであろう? 『虫らしく潰してくれる』とな」
背を向けたまま指を鳴らすと、壁が倒れ、圧倒的な質量によりグジャリと押し潰された。
「見ていても不快ゆえ、お主には似合いの死に様よ」
横倒しになった壁と地面の隙間からはみ出す緑色の触覚と透明の体液が、勝負の行く末を如実に物語っていた。
シンと静まり返る会場。遅れてドッと歓声が湧き起こる。
『しょ……勝者! チトセ選手ぅ! アマト選手は何もしておりません!』
「だから一言余計だっつの?!」
予選──アマト・チトセペアの余裕の圧勝により本戦出場決定。




