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2「最恐最厄の存在」

 鬱蒼(うっそう)と生茂る木々が陽を遮り、僅かな木漏れ日が足元を照らす深く薄暗い森の中。

 大人数人で囲っても足りないほど太い幹、腕ほどもある(つる)が垂れ下がって地を這い、葉はマントのように大きく、波のようにうねる根は複雑に絡み合っている。


 そんな不確かな足場にも関わらず、颯爽と駆けていく一つの人影があった。


「待て待て待てーい!」


 森とは対照的な大きく明るい少年の声が響き渡る。


 乱雑に切られた赤い髪の毛は刺々しく、無邪気な表情でありながら精悍(せいかん)さを感じさせる。日頃から野山を駆け巡り、淀みなく森を突っ走る身体能力を支える体は、しなやかでありながら強靭さを備えている。

 歳は18ほどであろうか。高い身長、長い手足を巧みに操り、着実に獲物(﹅﹅)との距離を詰めていく。


 その獲物は、夜空に輝く星のように、暗い森の中でも一際目を引く雪色をしていた。長い耳に真っ赤な瞳。発達した後ろ足と小さな体を駆使して、追手から逃れんと必死に跳ぶ。


「うおー! 幻の森兎(フォレスノーラビット)、絶対食いたい! だから待ちやがれー!」


 食われるとわかっていて馬鹿正直に待つ獲物がどの世界にいようか。言葉はわからずとも逃走本能に従い、追われれば逃げるまで。

 フォレスノーラビットは森を熟知しているかのように止めどなく跳躍を続け、ひたすらに逃げ続ける。そう簡単に捕まるわけはなし。ゆえの幻である。


 ──が。


「もう、ちょ、っとぉ!」


 距離にして約七歩。前に思い切り跳び込み、手を伸ばせば届く距離。しかしこの距離を詰めることは至難の(わざ)だ。


 距離が近づけば近づくほど、いきなり直角に近い方向転換をするフォレスノーラビットに反応しなければならない。研ぎ澄まされた勘と経験がなければこれに追いすがる事は困難だ。

 飛びかかるタイミングを間違えれば、一目散に逃げられてしまう。


 ここは慎重に、このまま付かず離れずの距離を保ちながら、チャンスを待つ。


 一瞬で体を横に倒して木の幹を蹴り、方向転換するフォレスノーラビット。しっかりと動きを目の端で捉え、木の枝を掴んで方向を無理やり変えて対応。遠心力に枝が耐えられなかったらこの逃走劇はそこで終了だった。


 そしてその時は来た。


 不自然だがポッカリと木が生えていない空間へと出た。そこであれば慣性を捻じ曲げる壁の役割を果たす木は存在しない。


 今こそ幻の兎を捕まえるチャンス。


「いっけぇぇぇぇぇぇ!!!」


 少年は足のバネをフルに使い、渾身の力でフォレスノーラビットへ飛びかかる。彼の両手がモフモフを捕らえる直前であった。


 ズゴン!!!! という音と衝撃が森全体を揺るがした。


「ンゴゥッ?!」


 それは、全力全開で頭頂部を強打する音だった。なにかに全力で頭突きをしてしまったらしい。

 硬さからしてまるで壁だ。頭と首の骨が折れなかったのは身体能力の高さゆえか、(ひとえ)に運が良かったか。


「いったたたたたぁ……」


 兎にしか目がいっていなかったのが災いして痛い思いをした少年は、目の端に涙を溜めながら頭頂部をさする。森の薄暗さも手伝って、注意が足りなかった。洞窟のような巣穴があったようだ。


 涙に滲む視界の中で、白くて丸い後ろ姿が隙間に潜り込んで消えていく。


「あぁ、マジ────か……?」


 あとちょっとのところで逃してしまった悔しさの嘆息から視線を持ち上げた先には、人の頭ほどもある眼球(﹅﹅)がギョロリと(うごめ)き、少年の姿を捉えていた。鼻息が少年の刺々しい髪を揺らし、生暖かい空気が顔面を舐めるように過ぎていく。


 少年の顔が、驚愕に満ちた。


 そこにいたものとは。


「ド、ドラ──」


 ドラゴン。


 古より伝わりし、最恐最厄(﹅﹅﹅﹅)の存在。


 馬も丸呑みにできてしまうほどの屈強な巨体。大地を彷彿とさせる土色の硬質な鱗が全身を覆い尽くし、強靭な顎と鋭い牙はこの森の大木など容易く噛み砕く。

 長い鎌首をゆったりと持ち上げると、四つ脚の鋭い爪を地面に食い込ませ、ドラゴンは敵意の色を大きな瞳に宿していく。


 そこにあったものは洞窟などではなかった。よりにもよってフォレスノーラビットはドラゴンの寝床へ逃げ込み、小さな体をドラゴンと地面の隙間に潜り込ませたのだ。もっとしっかりと前方を確認していれば、こんな絶体絶命な状況に陥るようなことはなかっただろうに。


 己の愚行を悔いても後の祭り。


 鼓膜を破らんばかりの大咆哮を眼前に、心臓が内から破裂せんと激しく脈を打つ。まるで最期の命を振り絞らんばかりに。


 頭では逃げねばと警鐘が鳴り響いているにも関わらず、体は意志に反して動かない。なぜ深緑の森(こんなところ)にドラゴンがいるのかという困惑、そして過度な緊張による体の強張りが、彼の身動きを束縛していた。


 ドラゴンが口を開ける。喉の奥が怪しく光る。そのまま牙の餌食となるのか、それとも吐き出される炎の吐息に焼かれるのか。

 食物連鎖の(いしずえ)となる、その刹那。


 ──パキッ。


 場の緊張感に不似合いな、何かがひび割れるような音が耳に届く。その音に反応して、ドラゴンの動きがピタリと止まった。


 口を閉じ、長い首をお腹の辺りへ持っていくドラゴン。そこには大切に抱えるように、大きな卵が一つあった。大人でも余裕で中に収まるほどのサイズである。

 その卵に一筋の黒い線が走り、パキパキと音を立てながら徐々に長く、深く、蜘蛛の巣状に広がっていく。


 生まれる──ドラゴンが卵から孵化する瞬間だ。


 パラパラと崩れ落ちた殻の隙間から外を眺める瞳が四つ(﹅﹅)。外の安全を確かめるように上下左右へ縦長の瞳孔が動き、そして殻が弾けた。


 中から二匹の小さなドラゴンが誕生する。歴史上初の双子のドラゴンであった。


 実はとても貴重な瞬間に立ち会っていることを少年は知る由もない。自らの命が失われる寸前だったのだから、それどころではないだろう。

 命の誕生によって延命されているのだから、皮肉な話だ。


 双子の片割れがドラゴンを見上げると、


『……ママ?』

「喋った?!」


 女の子のような声音に、少年は驚愕する。


 言葉を発した。事もあろうに人間の言葉を、だ。生まれたばかりでありながら、しかもドラゴンなのに、人間の言葉を操る。


 驚くな、と言うほうが無理な話だろう。


「────っ!」


 自分でも声が出るとは思っていなかった少年は慌てて口を(つぐ)んだ。


 しかし時すでに遅し。


 声に気づき、双子のもう片方が少年を見つめる。


『……パパ?』


 こちらも女の子ような声に首を傾げる仕草は愛らしさすら感じるが、子どもであろうとドラゴンはドラゴン。生まれたてでも少年とそう変わらない体格を持っている。襲われたらひとたまりもない。


 実際は母親なのか父親なのかわからないが、親ドラゴンは子どものほうへ気が逸れている。逃げるなら今しかない。


 双子の体を舐めて綺麗にしている間に、一歩、二歩と音を立てないようゆっくり離れていく。

 強張る体に鞭打ってジリジリと距離を取り、もうちょっと、あと少し、と(はや)る気持ちを抑えながら、確実に。


 このまま気づかれず消えるように逃げるのが理想。バレてしまったら追われることは確実だ。


 だがいくら強力無比なドラゴンと言えど、これだけの巨木が乱立している中で小さな獲物を捕らえることは難しいはず。足には自信がある。森へ逃げ込むことさえできれば、バレたとしてもまだ目はある。


 しかし残酷なことに、運命(ふたご)は彼を見逃さなかった。


『『パパー!』』


 舐め終わるのを待たず、双子のドラゴンが無邪気な声を上げながら少年へ突進する。


「ぐぼぇ?!」


 土手っ腹に大砲を喰らったような衝撃に変な声と音を響かせながら吐血。派手にぶっ飛ばされて地面を転がされるが、双子ドラゴンの猛攻は終わらない。

 のしかかるようにマウントを取られ、ザラザラの舌で顔面を余すところなく舐め回される。


「いでででででででで!!」


 まるでヤスリで削られるような痛みに、苦痛の叫びが上がる。(よだれ)で湿っていなかったら皮膚など簡単に剥がされ、肉が露出していたかもしれない。


『そこまでだ』


 いよいよ死ぬのかと諦めかけたとき、新たな声が降り掛かる。その声は女性のもので、紛れもなく親ドラゴンから発せられていた。


 母親だったドラゴンはひと噛みで器用に双子の尻尾を同時に(くわ)えると、少年の上から引きずり下ろす。


『生きておるか少年』


 涎まみれで真っ赤になった少年の表情は、茫然自失としていた。


「…………死んだ」

『生きておるな』


 少年の言葉を耳にして、しかとドラゴンは頷いた。


 生きた心地はしないが、確かに生きていた。いや、まだ(﹅﹅)生きているだけでこれから死ぬのだろう。餌にされ、双子の養分となるのだ。

 なにせもう動けない。遠慮のない体当たりにのしかかり。子どもであっても相当な質量がある。あちこちの骨が砕けていた。

 死ぬのも時間の問題というやつだ。


 ドラゴンは大きな瞳でもって少年の顔を覗きこむ。


『このまま死にたくはなかろう? 助けてやらんでもない。どうする?』

「…………っァァ」


 ドラゴンの言うように、こんなところで死にたくはない。助けてくれると言うのならば、助けてもらおうではないか。


 少年は半ば自暴自棄になっていた。ここまでくればもはや死んだも同然。なるようになれ、だ。


 徐々に意識が遠のいていく。まともに返事をすることもままならず、力なく頷くのが限界であった。


『それでよい』


 ドラゴンのその言葉には、どこか安堵するような声音が含まれていた。


 なんとか意識を繋ぎ止めていた少年も、流石に限界が訪れる。

 だんだんと暗くなっていく視界の中で、ドラゴンの顔がどんどん近くなり──


 そこで、少年の意識は途切れてしまった。

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