18「自然界の難敵」
遥か地平の果ての果て。夕暮れに真っ赤に染まる雲は風に流されて大きくなっては千切れ、どんどん形を変えて千差万別の変化を見せる。
「わーお♡」
そこに、指で作った輪っかを覗き込む少女の影が一つ。
夕暮れの空を映したかのような赤い瞳を持ち、タンクトップにホットパンツという露出の多い格好をしていた。
彼女の表情も頭上に泳ぐ雲のように様々に変化する。退屈そうな表情から驚きの表情、そして楽しげな表情へ。
覗き込む指の輪の先には、地平を超えた先で歩く四人の人影を空から見下ろすように映り込んでいた。
少年一人に、少女三人。うち二人はまだ幼い子ども。
こんな時期に、こんなところでたった四人の旅路。大人もおらず装備も貧弱で普通に考えれば命知らずもいいところだが、彼女──テンレン=レンリューは知っている。
彼らがただの人間ではないことを。
暇潰しに適当な町へ嗾けたグリズギルの大群を、たったの四人で殲滅してみせたのだから。
それからというもの、彼女の興味はずっと四人に注がれている。特に刺々とした赤髪の少年はお気に入りだ《﹅﹅﹅﹅﹅﹅》。
なにが気に入ったかといえば、苦痛に歪む表情が、だ。弱いくせに必死に抗う表情が堪らなく性癖に突き刺さる。
今もそう。少年が土色の髪の少女に殴りかかって、逆に自分がダメージを受けてもがいている。
突然望むシーンが見れてしまったものだから思わず声が出てしまった。距離から考えて聞こえるはずもないが、いちおう見つからないように気を使わなければ。
「やっぱりすごい速度で治ってるなぁ。どんな魔法使ってるんだろ?」
魔法ならば少なからず魔法名を唱える必要がある。しかし見る限りではそんな風に口を動かしているようには見えない。
「回復する魔法じゃなくて、回復速度が上がる魔法が既にかかっている状態、あるいはそういう〝加護〟に祝福されている、とかかなぁ?」
彼女なりに予想を立ててみるが、どちらもしっくりこない。
早々に考えることを諦めて、ペロリと舌舐めずりをする少女の表情は歪んだように嗤っていて。
「ま、どっちでもいっかぁ。治るのが早いなら、それだけ〝遊べる〟ってことだしぃ?」
愉快に独言てからしばらく観察を続けていると、「あらら?」と首を傾げた。
支配下にあった鳥が唐突に制御を失い、まとめて墜落していったのだ。
「やんっ♪」
地面に激突する映像すら楽しそうに眺め、ガラスが割れるような音を響かせて虚空に破片が飛び散り、映像はそこで途切れた。
ふー、と呼吸を整えて天を仰ぐ。
気づけば空は墨を混ぜたように暗くなって、星々が爛々と輝いている。
「汚い星。全部落ちればいいのに」
彼女の目には、美しく光る星の瞬きも、目を穢す汚点にか見えなかった。
綺麗なものほど汚したい。汚れたものほど愛したい。
そんな歪んだ感情が、彼女の心を美しく飾り立てているのだ。
「距離があっても同じ場所を旋回し続けるのはさすがに無理があったかぁ。ま、ちょっと飽きてきたし、そろそろちょっかい出しちゃおっかなー? うん、そうしよっと♪」
そうと決まれば、すぐさま少女は準備に取り掛かる。
少年の苦しむ表情を観察して愉しむために。
***
センカンダルの街を目指し、移動を続けてから五日が経過した。景色は相も変わらず草原続きで、いい加減飽き始めてきたころ。
馬で四日と町長が言っていたし、修行をしつつの歩きなので到着はまだ先になりそうだが、移動と修行は順調であった。
「ごぶぅるぅ」
──順調に、アマトがボコボコにされていた。
暗くなってからの修行の時間。
全身を満遍なくいたぶられ、血反吐すら出なくなってようやく絞り出せたのは潰れた小鬼のような意味のない言葉であった。
「汚らしい声をあげるでないわ!!」
「だっだらずごじはでがげんじろや……」
まともに発声ができず、よくよく聞かないと聞き取れない死にかけの人間の言葉は、
「断る」
呆気なく却下された。アマトの戦いのセンスを磨くための組み手であり、血を流すことで強くなれるので手加減をする必要性はない。無論死なない程度に手を抜く必要はあるが。
「がくっ……」
そして糸が切れた人形のように頽れてとうとう力尽きてしまう。
最初と比べれば随分とチトセを相手に立ち回れるようになってきたものの、やはり経験の差は歴然か、あの手この手を使って様々な戦い方をしてくるものだから対処し切れず強烈な一撃を貰ってしまい、地面に血の池を作るのが段々と日常と化してきた。
チトセの引き出しの多さには毎回面食らってしまう。
「パパーだいじょうぶー?」
「パパーおみずいるー?」
ジュゥゥゥゥゥ……と音を立てながら傷が癒えていき湯気の上がる体を、リョクが〝奇跡〟で風を起こして冷やして、ヨウが植物を操る〝奇跡〟で水分を多く含んだサボテンを成長させる。
「これこれ子らよ、あまりパパを甘やかすでないぞ。己の父親の情けない姿をしっかりと目に焼き付けて反面教師とするが良い」
「血も涙もねぇのかよ?!」
あっという間に突っ込めるほどには回復したが、まだまだ傷は治り切っておらず、身動きが取れないゆえに怒りを込めた視線を送りつけることしかできなかった。
……サボテンの水はどう飲めばいいのやら。
チトセはそんな視線はどこ吹く風といった様子で軽く受け流し、続いて双子の修行へと移ろうとしたとき、唐突に遮られてしまう。
──鼓膜を破らんとする大声量によって。
それは超音波の如く甲高い音を響かせて薄暗い天高くから降り注ぐ。
「……っ?! な、なんだありゃ……?!」
耳を押さえて天を仰げば、巨大な翼をはためかせる線の細いシルエット。
アンバランスなほどに発達した翼に対して体は細く、しかしそれ故に風の抵抗を受けず高速での飛行を可能とする。体と同じほどの大きさを持つ頭は後頭部が尖り、細長く大きなクチバシにはギザギザの刃がビッシリと立ち並ぶ。
「あれは……プテギノドンか!」
「なんかドラゴンみたいだな」
珍しく驚きの声を上げるチトセに素直な感想を漏らすと、キッ! と睨まれる。
「あんな鳥と一緒にするでない! 確かに親戚のようなものではあるが、猿と人のようなものだ。類似点が多いだけで別物と考えよ」
ドラゴン状態のチトセよりも体格は小柄だが、人から見ればそれでも相当に大きい。
頭の大きさに対して小さく獰猛な瞳をギョロリと蠢かして四人を視界に入れる。アマトはその目になんとなく見覚えがあった。
確か、初めてチトセと出会った瞬間は、あんな目をしていなかったか。
つまりは──
「……腹でも減ってんのか」
「そのようだ。我らは格好の餌食というわけだな」
「言ってる場合かよ?!」
標的にされているのに呑気に構えるチトセ。双子も初めて見る巨大な生物に恐れを抱くどころか興味津々に目を輝かせている。危機感を感じているのはアマトだけ。
こちらは地上、あちらは空中。おまけに高速で移動できる。純粋に考えて地の利は向こうにある。ついでに言えばアマトはボロボロにされたばかりでまだまともに動けそうにない。
このままでは一方的にやられてしまう。
「全く……こんな大事なときに動けないとは、あまりの情けなさに声も出んわ」
「好きでこうなってるわけじゃねぇからな?!」
額に手を当ててやれやれと呆れたようにため息をつくチトセに、唾を飛ばすアマト。
弱肉強食の自然界とはいつの世も非常なり。プテギノドンのターゲットは弱っているアマトへと絞られる。
鼓膜を破る超音波の如き咆哮を轟かせ、次の瞬間、一回の羽ばたきで眼前にまで急接近する。
大きく開けられたクチバシは人間など余裕で丸呑みにできるほど。
ドンッッッ!!! とチトセが震脚をすると大地が壁のように迫り上がり、アマトを守る盾となる。
突然地面から現れた壁に阻まれて激突する寸前に急上昇し距離を取るプテギノドン。
「我の夫に手を出していいのは我だけだ。ぽっと出がしゃしゃるでない……消すぞ?」
アマトも、双子でさえ気圧されるほどの圧力が放たれる。肌がチリチリとして内側から皮膚が剥がれていきそうな感覚に晒される。
チトセの殺意の込められた視線に、プテギノドンは──
怯まず、立ち向かってくるのだった。




