12「恵みの雨と、遥か北の王」
リーダー格のグリズギルを辛くも撃破したアマトであったが、安心するのはまだ早い。町は炎に飲まれ、消火の手は追いついていない。逃げ遅れている人が残っているかもしれないし、討ち漏らしているグリズギルが潜んでいる可能性だってある。
満身創痍の体に鞭打ち、膝を着きそうになるのを必死に堪えながらフラフラの足取りで町中の捜索を始める。
その前に、指揮官の老人が駆け寄り、危うく倒れそうになったアマトの体を支えた。
「よくやってくれた少年。君はこの町の英雄だ! あとは任せて休んでいたまえ!」
「けど──」
「そうだぞアマトよ! あとは我に任せておけ!」
休んでいる暇などないと反論しようとした矢先、それは遮られた。
頭上から降り注ぐ声に空を仰げば、屋根の上に仁王立つ一人の少女、チトセの姿があった。
「お前……他の熊は大丈夫なんだろうな」
「安心せい、きちんと殲滅してやったわ。ヨウとリョクも良くやってくれたぞ。あとで褒めてやってくれ」
「あの二人が?」
にわかには信じ難いが、本質がドラゴンであることを鑑みればおかしな話ではないかと思い直す。子どもと言えど侮るなかれ、ドラゴンの力はその身を持って味わっている。
「それよりも、どうにかできるのか?」
チトセの言葉を信じ、グリズギルはもういないのならばとにかく今は消火が先決。
手はあるのか尋ねると、薄い胸を反らして自信満々に鼻を鳴らす。
「ふん、この火災を鎮めれば良いのであろう? 我の手にかかれば容易いことよ!」
「ならさっさと頼む!」
「この我がここまで尽力してやったのだ、褒美の一つも期待して良かろうな?」
「わかったから急いでくれ!」
「承知! その言葉、しかと覚えたぞ!」
安請け合いしてしまったかと若干後悔したアマトであったが、ドラゴンの力があれば町を包み込む炎を鎮火することもわけないはず。褒美の一つとやらで人々と町を守れるのならば安いものだと、前向きに捉えることにした。
「少年、君もだが彼女は何者だ? この状況をなんとかできるのか?」
「何者か詳しくは言えない。けどなんとかはできるはずだ」
アマトと老人は、屋根の上で手を組み瞳を閉じたチトセを固唾を飲んで見守る。
「雲間から覗きし天の女神よ、我の言葉を聞き届けよ。大地に燻りし赤き揺らぎを鎮め給う。浸透させよ天の恵みを」
チトセが祈りの言葉を唱えると、瞬く間に変化が訪れる。
空にドス黒く、分厚い雲がどんどん集まり、やがて大粒の雨がポツリポツリと音を立てて降り始めたのだ。
それはみるみると勢力を拡大していき、大雨と化す。家を焼き、大地を焦がしていた炎の勢いが弱まっていき、灼熱地獄の様相を呈していた町は徐々に静寂を取り戻していった。
大地を染めていた血の池も、浄化されるようにどんどん洗い流されていく。
まさに奇跡。ドラゴンの力は神のみに許された天候の操作さえ可能にするのか。
「マジでなんでもありだなドラゴン……」
そばにいる老人に聞こえないほどの小声で呟いた。雨音も手伝って、老人には聞こえなかった。
一仕事終えたように満足げな表情を浮かべながら、チトセは「ほっ」と軽い足取りで屋根から飛び降りた。
「どうだ、これならば火災も余裕で鎮まろう?」
渾身の笑みを浮かべてアマトへ歩み寄るチトセだが、肝心のアマトは呆れたような表情を浮かべて今の空模様のように重苦しいため息をこぼしていた。
そして一言。
「やりすぎだ、馬鹿」
それはもはや、災害レベルの土砂降りであった。
***
そこは、豪華絢爛を絵に描いたような、煌びやかな玉座の間。
毛足の長い真紅のカーペットが中央から両断するように走り、頭上には巨大なシャンデリアが無数に吊り下がって広い室内を煌々と照らしていた。
玉座に座するは一人の男。名をバドラギ。王の証である王冠とマントを身に付けてはいるが、それ以外は下町の人間かと思うほど貧相な服に身を包んでいた。
かつての生活、そして勇者だった時代があったことを忘れないための彼なりの戒めである。体つきは中肉中背、カラスのように黒い髪に浮かび上がるような黄金色の瞳が特徴的な青年だ。
退屈そうに頬杖をつき、時たまあくびを噛み殺す様は王としてふさわしくないものだろう。
それも当然だ。そもそもバドラギは王になどなりたくはなかったのだから。
なのに周りが勇者だからとはやしたて、あれよあれよと担ぎ上げられ、気がつけば玉座に腰掛ける毎日。聞きたくもない話を聞かされ、やりたくもない業務をやらされ、心底うんざりとしていた。
「優秀すぎる部下というのも考えものだな……」
口から退屈が音という実体を伴って溢れ落ちていく。
なにせ彼に届けられる仕事は全て、ほぼ完了した状態のものばかりだからだ。王として確認しておいて欲しいだけで、そこに文句の差し込みようのない完璧な状態で彼の元にやってくる。
本来ならこの場にいる必要すらないはずなのに、王という立場が彼を玉座へと縛り付けていた。
「バドラギ王、なにか」
「いや」
自然と出てしまった溜息にも似た独白を、耳聡く側近の女性が聞きつけるが、適当に手を振って誤魔化した。
その女性は分厚い資料を片手に部下に次々と指示を出している。聞き耳を立ててみるが、相も変わらず完璧な仕事っぷりであった。
と、その時である。
「!!!!」
大きな力の波動を感じ取った。反射的に玉座から腰を上げ、本流の源泉、見えるはずのない遥か南を睨みつける。
「ようやく尻尾を掴んだぞ」
バドラギは退屈そうな表情から一転、待ち望んでいた展開に歓喜に染まる。
力の波動の出所へ向かって一歩を踏み出す。しかし二歩目は踏み出せなかった。
「王、どちらへ」
遮るように側近の女性が立ちはだかり、切れそうな鋭い視線を差し向けていたからだ。
普通の人であれば怯んでしまいそうな眼光も意に介さず、堂々と受け止める。
「遥か南だ、ようやく竜の尻尾を掴んだ。俺が出る」
「なりません。王自らが出向くのは危険を伴います」
即答と共に正論で返される。
だが彼に危険など関係ない。彼に危険を及ぼせる存在などいないからだ。
「俺が負けると?」
絶対の自信を持つバドラギは黄金色の瞳で睨み返すが、側近の女性は涼しい顔で受け止め、小さく首を振る。
「いえ、民に危険が。王が不在とわかれば他国が攻めてくるでしょう。ご自分の抑止力をよくご理解ください」
「…………」
これもまた正論であった。自他共に認める人類最強の男、それがバドラギである。実力も、権力も、紛れもなくトップに君臨する。
しかしそれ故に、自由に身動きが取れなかった。自分だけならばまだしも、関係のない人々を巻き込むのは本意ではなかった。
諦め切れない様子だが、渋々踵を返し玉座へ腰掛ける。
側近の女性は手元の資料をパラパラとめくり、目的の項目をすぐさま見つけ出す。
「遥か南ならば遠方でも連絡の取りやすいテンレン=レンリューが配置されています。報告を促しておきましょう」
「確かテイマーの若い女だったか」
いつだったか渡された資料を思い返して、記憶から情報を引き出す。そこにはなかなか話を聞かない問題児であったとも記されていたはずだ。
「はい。距離無制限で従えた動物と視界を共有できるため、遠方に配置しています。あと厄介払いで」
「……本音が漏れているぞ」
「虚偽が嫌いなだけです」
彼女が口にすることに嘘偽りはないと信用できる。だからこそ側近としてそばに置いている部分もある。
今まで側近の女性に仕事を任せて失敗したところを見たことはない。今回も任せて問題はないだろうと判断した。
個人的には今すぐにでも南へ向かって大暴れしたいが、そのような立場にないことも理解している。
なので仕方なく「任せる」と側近の女性に一任した。
「かしこまりました」
手元にある資料の分厚さを見る限り大量の仕事を抱え込んでいるだろうに、さらにやることが増えても彼女は顔色一つ変えなかった。
バドラギは玉座に大人しく座っているのが仕事なのだと割り切って、昂る感情を鎮めることに集中する。
「この程度の障害、越えてみせろよ」
バドラギは、王としてではなく、一人の血気盛んな男として呟いた。
「……さあ、早くここまで来い、チトセ。俺が直々に殺してやる」
その表情は、鉄仮面の側近の女性さえ息を飲むほどに、殺意に満ちていたという。
第2章【それぞれの戦い】──完。
これにて第2章【それぞれの戦い】は終了です。
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