壱 桜舞う夜
一年以上ぶりの投稿です。
相変わらずの、拙い文章だとは思いますが、読んでいただければ幸いです。
桜散る夜。
静寂と宵闇が包み込む様に支配するのは、数百メートル四方の広大な砂地の広場。
多種多様なスポーツや、催し物の舞台としてつくられたその場所だが、草木も眠るこの時間になると、スポーツに取り組むものはもちろん、季節外れの花火に興じる家族連れや、たむろする場を求めてやってくる若者たちの姿ですら見えなくなる。
故に、この広い運動場の全域は、春の訪れと共にやって来る力強い風たちのみが舞う、観客のいない大舞台となっていた。
だが、この日は、いつもと違うことがあった。
風たちが踊り狂い、砂を巻き上げる舞台の中央。
満月の光を照明とする場所に、ただ悠然と佇む人影が一つ。
舞い踊る風に弄ばれる髪を、気にする事なく佇むのは、一人の少年。
身に纏う学生服が証明するように、年の頃は十六、七歳。
その右手には、銀色に光る刃の輝き。
その左手には、闇に紛れる鉛を撃ち出す黒の金属。
両の手に携える、この日本という国において、伝統的かつ狂気的な、身近にないが故に異常的な、物騒な存在感を放つ二つの武器だが、その主である少年の目に、武器に執着する狂人の熱情も、見当違いな使命感に燃える盲信者の輝きも、宿ることはない。
まるで、手の内にある得物が、そこに存在することが、当然とするような、自然であると思わせるように、その少年御崎 一(ミサキ ハジメ)は一人佇む。
まるで時を待つように。
まるで人を待つように。
不意に、静寂を打ち破る、とはいかないものの、この静けさの中では充分に響き渡る音が聞こえた。
それは小さな電子音。
機械的に鳴り響く、その音の音源は、一の手首に装着された多機能型のデジタル時計。
時の到来を告げるその音を、一は右手の指先による操作で止める。
同時に確認するのは、現在の時刻。
バックライトに照らされた、時計の無機質な文字が告げるのは、午前二時半。
「そろそろのはずだけどな…」
呟き、窺うのは辺りの気配。
満月の淡い光に照らされた周囲には何も見えない。
耳には、今なお踊り続ける風の音以外は何も聞こえない。
その風がもたらしてくるのも、この場所を囲む草木の匂いと、巻き上げられた砂による埃っぽさのみ。
再び、辺りを静寂が支配する。
その中で、研ぎ澄まされた一の五感は、周囲に異常がないことをしらせる。
「今日ははずれ…か」
諦めかけたその時、不意に風が止み、それと同時、
異常が、発生した。
それを捉えたのは聴覚だった。
まだ小さいが、それでも確実に聞いてとれる音があった。
自然に発生したにしては、あまりにも騒乱。
人が作り出したにしては、あまりにも不規則。
最初は小さかったそれは、いつしか一の立つ運動場全域に響き渡るほどの音量となっている。
音の発生源は見えず、更には絶えず飛び回っているかのよう。
響き渡るその音は、耳障り極まりなく、大音声で甲高い笛をかき鳴らしたようなものだ。
この世のものとは思えぬ音と状況の中、一は待ってましたと両の武器を構える。
「まさか、張り込み初日に来てくれるとは思わなかったけど…まあ、ラッキーだな」
口調は軽く、だが、その表情には緊張が滲んでいる。
依然、飛び回り動き回り続ける甲高い音。
一は、その音源に向かって、左手に握る拳銃を発砲する。
一瞬の銃火と共に飛び行く一発の弾丸。
しかし、それは高速で動き続ける音源に当たることなく、空しく虚空を貫く結果となった。
「やっぱオレ程度の腕前じゃあ当たるわけないか」
思いを口に、しかし再度発砲。
が、結果は矢張り弾丸を一発無駄にしただけだった。
そこで思い返すのは、ここに来る前に読んだ資料の内容。
「資料で予測されてた通りの相手だとすると、今飛び回ってるこいつには…」
飛翔の為の翼はない。
「と、すると、何か別の力を使って飛んでるわけだ。だったら…」
それを絶てば、飛行の術を失って目標は墜落する。
「やっぱり仕込みは大事だなっ、と!」
直後、一が取り出したのは小さな笛。
掌に収まってしまうような小さな木の笛を、一は全力で吹き鳴らす。
単調な口笛のような音が、運動場中に響き渡る。
それに呼応するように、この運動場の四隅で、肉眼では見えない動きが発生する。
笛に合わせて、その機能を覚醒させるのは、木の幹に貼られた合計四枚の呪符。
それらは互いを、目には見えない、普通の人間ならば感じない、力の線で結び合わせ、巨大な数百メートル四方の陣を作り上げる。
その目的は、陣内にある呪的霊的な力の遮断。
機能は何一つ問題なく果たされ、結果、陣内で飛び回っていた『それ』は、一の前に姿を現すこととなった。
一から見て、十メートル弱の距離。突如として飛行の手段を絶たれ、その勢いのままに転がるように落下してきた『それ』は、異様な姿をしていた。
体長はおよそ二メートル。それに加えて、四脚の獣であるだけならば、通常の範疇に収まってしまう。
しかし、異様でないのは、その二点だけだ。
そこを除けば、それは存在自体が異常で異様。そこに在るだけで凶気で狂気。
睨み付けるもの全てを呪うような眼を有する顔は、猿。
全てを引き裂き破壊する爪を有する手足は、虎。
その身に纏う威圧感を有する巨体は、狸。
薙ぎ払い絞め殺すことすら可能な長さと力強さを有する尾は、蛇。
更には自由に空を飛び交い、かつては時の天皇をも呪ったとされる、それの名は、
「鵺、か。資料通りだ。危険度乙。しかし、呪力に関しては個体差があるものの、甲段階に匹敵。だったかな」
異形を前に、脳裏に浮かぶのは、恐怖や焦燥ではなく冷静な分析。
常人であれば、目にするだけで恐れ畏れて逃げ出すであろう異形を相手に、まるで野犬でも相手にしているかの様なその反応は、一種の異常。
しかし、それを彼は正しいことだと考える。
なぜなら、それが彼のような人間の、
「さて、仕事の時間だな」
一の眼前、約十メートルの距離で、鵺はその身に痛みを抱えながらも、起き上がろうとしている。
「でもまあ、流石寮長仕込みの呪符、だよなあ。呪力甲段階の鵺ですら、飛べなくなるんだから。
こんなの、呪符師の先生ぐらいしか、仕込めないと思ってた」
時々あの人が怖くなるよ、と言葉を続けながら、先手必勝とばかりに、未だに起き上がりきれていない鵺に、右手の長脇差しを突き立てる。
が、切っ先が貫いたのは虚空だった。
既に鵺は、その巨体を己が背後に跳躍。一から距離をとっていた。
直後、響くのは三度目の銃声。
放された距離など関係なく弾丸は直進し、着地の体勢から戻れていない鵺の身体を、今度こそ貫いた。
轟くのは獣の咆哮。無論、それは身を貫かれる痛みによるもの。
だが、
「浅かったか!」
弾丸が貫いたのは、鵺の腹部の浅い部分。分厚い毛皮を持つ獣からすれば、それは皮を貫かれた程度でしかない。
当然、致命傷からは程遠い。
一は更に、胴体めがけて立て続けに二発を発砲。
しかし、先の一撃で本気になったらしい鵺は、前方に跳躍することで、それを回避。
そのまま、間髪入れずに一に向けての突撃を敢行する。
同時に振り上げられるのは、右の獣爪。
「やべぇ!」
突撃してくるその巨体は、構成する体組織のほとんどが筋肉。
まともにぶち当たれば、ほんの一分の後には挽き肉になるだろう。
加えて、あの爪だ。人間の体くらいなら、楽に引き裂く長さと鋭さをもっている。
すなわち、判断を少しでも間違えれば、
「即死だな。タタキにされる!」
判断は一瞬。
鵺を十分に引き付け、タイミングを間違えることなく、臥せることによって突撃を回避。
豪風と共に、その巨体は頭上を通過する。
その後、鵺は一から数メートルの距離を置いて着地。
即座に、その体躯に似合わぬ俊敏さで方向転換。
再び突撃を敢行しようとする。
しかし、それがなされることはなかった。
方向転換の際の、一瞬の隙をついた一の射撃。
立て続けに行われた二発の銃撃は、狙いを違えることなく正確に飛び行き、そして、
鵺の両の後ろ脚を、再起不能に追い込んだ。
歩行、走行、跳躍の際にその役割が大きい後ろ脚を、しかも左右ほぼ同時に銃弾が貫いたことにより、鵺は行動の大半を制限されたことになる。
おそらくは、突撃はおろか、今立っているのがやっとのはずだ。
一は、次の攻撃に移らない鵺から、そう判断。
臥せた直後に、仰向けになった射撃姿勢から、ゆっくりと立ち上がる。
「なんとかなったかな。やっぱ、次からは攻撃系の呪符でも仕込んでもらおうかな、寮長に」
高くつきそうだけど…、呟くと同時、確認するのは鵺の現状。
こちらを向き、唸り声をあげこそするものの、再度突撃してくる気配はなし。
銃弾を撃ち込んだ傷口からは、腹部のものも含めて、その周辺部から塵となって風化してきている。
弱っている証拠だ。
おそらく、このまま放っておいても、鵺の討伐、という仕事自体は完了するだろう。
と、なれば残るのはもう一つの仕事の方。
「仕事と言うより、頼み事だが…寮長の頼みだからな」
呪力遮断の陣を張るための呪符の対価。
それは、符を仕込んだ本人による頼み事だった。
一は、それを果たすためにゆっくりと、鵺に近づく。
弱っているとはいえ、抵抗する気力はあるのか、鵺はしきりに唸り声をあげ、威嚇してくる。
たとえ、鵺が何かを仕掛けて来たとしても、対応がきく位置と距離にまで接近。
その場所で見極めるのは、鵺の立ち方。
知りたいのは鵺の重心。
一は、立ち方からそれが左右どちらに片寄っているのかを判断し、そちら側の前脚を、
銃撃した。
新たな傷をおったことにより、自らの体躯を支えることができなくなった鵺は、咆哮と共に地面に倒れる。
その倒れた巨体。ただ暴れるだけでも、脅威となりうる爪と、いまだなお健在している牙の届かない、背中側に一は回り込む。
そして、弾切れになった拳銃を左足に装着したホルスターに戻し、代わりに取り出すのは、一枚の符。
陣を形成する四枚の呪符とは別に、この為だけに受け取ったものだ。
それを、倒れてなおもがき続ける鵺の背中にはり、そこを目掛けて、右手にもつ長脇差しの切っ先を突き刺した。
激痛にもがき、断末魔の咆哮をあげること数秒。
気付けばその手元から、手応えが消えていた。
見れば、鵺が横たわっていた場所にあるのは、鵺が暴れた拍子に折れたのか、長脇差しの刀身の三分の二と、淡い桜色に輝く小さな結晶。
そして、手元には刀身の大部分を失った長脇差しと、それに貫かれた一枚の符。
一は、その符で落ちていた結晶を包むと学生服のポケットの中へ。
「もう、桜も終わりだな」
周囲、見渡せば風と共に舞うのは、多くの始まりを告げる桜の花弁。
月夜に舞う花びらは、まるで一を包むかのようだった。