1話
面倒くさいこと引き受けちゃったなぁ。
僕は己の右手に納まるボロボロのスニーカー、否、正確には、そこに敷き詰められた土に根を張る苗木を見つめつつ、そう思った。
これはついさっきご臨終した商人のK11から押し付けられたものだ。サクラ?とかいう大昔の植物らしい。
何だって買い物のために我が家から出てきて、こんなものを受け取る羽目になったか。別に大した理由ではない。いつも目にし、そして立ち会うことだった。
油断して喋って、「舌喰い」に聞かれて殺される。世界からいわゆる秩序ってやつが消え失せて以来、そこら中で当たり前のように起こっていることだ。
取引相手に選んだK11は馬鹿だった。相当大切にしていたらしいこの苗木を、僕に自慢するのに夢中になっていたのだ。
時折激しいノイズが混じるその大声は、見事に舌喰いの発達した耳に拾われて。そこから先は、いつも通りの展開だった。
「声を発したやつ」に襲い掛かる習性をもつ舌喰いは、K11を喋れなくするべく、五体ほどの群れで喰らいついた。K11は精密作業のために作られた機械人で、大したパワーはない。対する舌喰いは、元は「言霊師」を殲滅するための生物兵器だ。K11が勝てる道理など、億が一にもなかったのだ。
何というか、皮肉なものだ。言霊師を殺すための舌喰いなのに、言霊師である僕の方を無視して、何の罪もない機械人に襲い掛かるのだから。
当然、僕だって何もしなかったわけじゃない。群がる舌喰いどもに対して愛用の自動蒸気銃と言霊で獅子奮迅の大立ち回りを演じたのだ。
とりあえず舌喰い共を撃退することに成功した僕は、より多くの仲間を引き連れて戻ってくる前に全身から真っ青なオイルを吹き出すK11を背負って安全な場所まで逃げた。
K11の状態はそれはもう、誰がどう見ても致命傷と答えそうなほどにズタボロにされていた。
これは助からない。僕の脳がこう考えるのに、一秒もかからなかった。もしも僕が腕のいい機械人技師なら助けられたかもしれないが、生憎僕はしがない言霊師。世界のパワーバランスを積み木のごとくぶっ壊した程のチカラを秘めた言霊は、魂のないもの、つまり非生物にはまるで効果がない。僕にこいつを助けることは不可能だった。
そのことを伝えると、どうやら本人も察したらしい。今にも止まりそうな腕を伸ばして、僕に片方だけの古びたスニーカーを差し出した。
『コココココココココレヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲ、オネガオネガオネガイイイイタタタタタタタタタタ……』
そして最後まで言い切ることはできず、K11は完全に沈黙した。
やれやれ、困ったものだ。
「……僕に育てろって言うのかよ」
そう口に出したが、地面に横たわる機械人は返事をしない。
色々やり切れない気持ちを抱えつつ、僕はK11を埋葬してやった。墓標も作ってやろうかと思ったが、そもそも彼の名前を知らないことを思い出し、断念した。
一瞬、ここにこのサクラを置いていこうかとも考えた。託されはしたが、別にこいつと友好関係があった訳でもない。それに僕にはやらなければならないことがある。こんなちっぽけな苗木に構っている暇はないのだ。
そう思ったのに、結局持って帰ってしまったのは、僕が良い奴だからだろうか。
……いいや違う。
僕はただ、寂しがりやなだけだ。
うれしかったのだ。ほんの短時間で同じ人間でもなかったけれど、話を聞くことができたのが。
ここ十年間ずっと一人でいる僕にとっては、幸せなことだったのだ。
◇
『ラッシャイ!』
愛しき我が家――二十メートルはある不発弾の下の方の中身をくりぬいたもの――に着いて早々、機械犬のゴンゾがそう鳴きながら猛ダッシュで近づいてきた。一体いつからこんな変な鳴き声を発するようになったのかは知らない。少なくとも僕が拾った三年前からこうである。
『ラッシャイ! ラッシャイラッシャイッ!』
僕が手にするスニーカーの中の苗木がそんなに珍しいのか、後ろ足で立ち上がると僕の腰に抱き着いてくる。もしかしたら飯(食べないけど)とでも思っているのかもしれない。
僕は興奮した様子のゴンゾを空いているほうの手で制し、通じているか分からないが言った。
「これは苗木。サクラっていう木だ。ごはんじゃないぞ」
『ラッシャイ! ラッシャイ! ラ、ラ、ラッシャイ!』
日ごろのしつけの賜物か、ゴンゾは飛びついてくるのをやめた。それでも気にはなるようで、しきりに吠
えたてている。
僕は苗木をゴンゾの鈍く光る鼻先に差し出してやった。待ってましたと言わんばかりに、鉄の犬はしきりに匂いを嗅ぎ始めた。
苗木の表面に鼻先を走らせること数分。さっきまでの興奮はどこへやら、調べ終えて満足したのかゴンゾは大あくびをするとごろんと地面に寝そべった。相変わらず気まぐれなやつだ。
僕はゴンゾの頭を二、三度ほど撫でてやる。そして改めてサクラの苗木を見やった。
これはどうするべきなのだろうか。確かサクラはかなり大きくなるはず。このボロっちいスニーカーの中に入れっぱなしにすることはできない。やはり地面に植え替えたほうがいいだろう。
ならせっかくだ。『アレ』の隣にでも植えておいてやるか。
僕は家には入らず、その裏手へと回った。
他と同じように瓦礫だらけだった、家の裏手。そこを一か月かけて、寝る間も惜しんで片付けてスペースを作った。
そしてその何もないスペースに、『アレ』は存在していた。
地面に突き刺さる巨大な不発弾たる我が家。それをはるかに上回る大きさの巨塔が、天高くそびえたっている。
機械部品と生体部品が複雑に組み合わさり、不気味なデザインで鎮座する塔は、所々伸縮したり煙を吹き出したりして、まるで生き物かのようだ。
これは電波塔だ。それもただの電波塔ではない。あちこち赴いてかき集めた戦前のテクノロジーを使って、僕一人――それとゴンゾ――で命がけで建設している、超巨大な電波塔なのだ。
この塔があれば、例え地球の反対側だろうと無線が届く。まだ人間が生き残ってさえいれば、どこにいようが絶対に話すことができる。
こいつでいつか、僕以外の人間と出会うこと。
それこそが僕が今、このくそったれな寂しい世界を生きている、唯一の理由だった。