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スプモーニの恋人

そんな恋の始まりもいいかもね


ピンク色に染め上げて



清純の振りをするのは女の知恵よ。ひらひらと揺れる白いレース。胸元はちょっぴり肌けさせて。くるくると巻き上げた髪はうなじを隠して、背中から愛される姿を作るの。キラキラとした目元、くるんと上を向いたまつげ。唇には上質の赤を塗る。少しだけ高い声を出して、声をかけられたら動揺の素振りを見せる。困ったように笑うのも忘れずに。相手の話には相槌を打って、初めて聞いたかのように大げさなリアクションをする。これで完成。


誰にでも愛される女の子。


「お酒弱いんですよ」


バーカウンターにて、隣に腰を掛けた男性に甘えるような声音で嘘をつく。いい気になったその人は嬉しそうに、少し格好つけておススメがあるよと口にした。


「ロングアイランドアイスティーおすすめだよ。アイスティーみたいで飲みやすいんだ」


はい、残念。一瞬にしてこの人とはさようならをする理由が起きてしまった。私それ知ってますよ、レディキラーを簡単に勧めてくる男性なんてまだこの世に存在したのね。飲みやすいけど度数の高いお酒で人のことを酔わせて、お持ち帰りするのが貴方の考え方。でも私は乗ってあげる。だって優しいから。男性を立ててあげるの。


「じゃあそれにしてください」


なんて。チェリーが一つ乗ったカクテルグラスを合わせて音を鳴らす。全部全部読めた上で敢えて乗ってあげるの。だって私にそれは通用しないから。


案の定先に寄ったのは彼の方で。私はケロッとした顔で吐きそうな彼を路上に放置して去っていく。全国の女の子たちが、あんな奴に騙されないことを願いながらいつものバーへと足を運ぶ。扉を開けた瞬間に匂った濃厚なチーズの匂いが鼻腔を刺激して、思わず早歩きでカウンター席に座る。白髪が似合うマスターは笑いながら、また来たんだねと口にし、お目当てのものを皿に盛っていた。


「ピザ!!」


子供のような声を上げて、皿に盛られたピザを凝視する。とろとろに溶けたモッツアレラは白く輝いていて、真っ赤なトマトペーストを隠すくらいの量だった。共に焼かれたバジルの葉が匂いを装飾して、より美味しそうな香りが店内を支配した。小麦色のよく焼けたクリスピータイプ。私の大好きな好物。それが端の席に座っていた男性の元に届けられたのを、私は指をくわえながら見ていた。マスターが戻ってきて何か飲むかと聞く。私はあのピザのことで頭がいっぱいだった。


「ピザ…」


「いいけど、時間かかるよ?」


「今すぐ食べたかった」


お酒しか胃に入れていないから、とにかく何か食べたかったのだ。けれど時刻は午後十時。今からピザを食べようなんて、私のポリシーに反する。お酒一杯ならまだしも、ピザ一枚を食べるのは中々したくない選択だ。


「でも太っちゃうね、やめる」


「細いじゃないか」


「これは努力して作ってるの」


諦めて何か一杯だけ飲もうとマスターと話しながら考えるが、話に気を取られて注文を忘れてしまっていた。


「今日もね、どうしようもない人だった」


「駄目だったの?」


「駄目っていうか、最初からお持ち帰り前提で強いお酒勧めてくるの。だから潰してやった」


「怖いねえ」


「確かに、男が好きになるような女を作ってることは認める。でも、それは愛されるために努力した結果よ。軽視されるものではないわ」


メニューを立てながら今日のうっ憤をマスターにぶちまける。彼は笑いながら優しく話を聞いてくれたけど、端に座っていた男性に呼ばれ何かを作り始めた。

私も頼まなくちゃいけないなと思いながらその動きを目で追う。細身のタンブラーに入っていくそれは赤ベースのピンクで、美しい色合いだった。ミントを添え、グラスの淵にレモンが飾られたそれは、なぜか私の目の前に差し出された。


「え?」


「あちらのお客様から」


驚いて男性を見れば、目が合って緩く笑われた。仕立てのいいストライプのスーツ、長い手足、骨ばった指先、少し崩れたヘアセットが印象的な年の離れた男性だった。そして、彼は一言。


「ピザ食べたい?」


「え?」


「さっき子供みたいにピザを見てたから。俺一人じゃこんなに食べられないから」


彼は立ち上がり、私の目の前に半分になったピザを置いた。それはまだ温かくて喉から手が出るほど美味しそうだった。


「でも、太るので」


「いいんじゃない?食べたい時に食べたいもの食べた方がいいよ。まだ若いんだし」


そして私の口の前までピザを運んでくる。強情な彼に若干引きつつも、私の食欲は理性に勝てなくて口を開けて、それを咀嚼した。口の中でチーズが広がって、あっさりと、けれどガーリックが効いたパンチのあるトマトソースが口内で爆発した。カリカリの生地に、時折鼻を抜けるのはバジルの匂い。


「おいしい…!」


感嘆の声を上げて目の前のピザに手を合わせて感謝をする。この世にこんな美味しいものがあったのだろうかと言わんばかりに。


「美味しそうでなによりだよ」


じゃあねと私の後ろを過ぎた彼から、男性ものの色っぽい香水の匂いがした。思わず振り向いてその腕を掴む。彼は驚いた顔で私を見た。


「あの、ありがとうございます!ピザも、それにお酒だって!!」


「気にしないで。お腹いっぱいだったし」


「お礼しますよ!」


「お礼なんて言われるほどでもないよ」


でもそうだな、と彼は言葉を続ける。自分よりも年上の人が。私の手を取って真剣な表情で目を見るから固まってしまった。不覚にも格好いいとときめいてしまったのは秘密にしよう。


「次あったら一緒に飲もう」


ここで。彼はテーブルを指さして笑う。固まっている私をよそに、マスターに手を振って去っていく。私は思わずその背中をもう一度呼び止めた。


「あの、名前は!」


振り向いた彼が嬉しそうに唇を動かす。それを一字一句間違えないよう口にした。自分の名前を呼ばれた彼は手を振って扉の先に消えてしまった。



「え、えええ、何あれー」


テーブルの上に突っ伏して顔を隠し今起きた出来事を思い返す。あまりのスマートさに固まっていた私だったが、我に返った瞬間顔に熱が集まっていくのが分かる。だって、あんなことをされたのは初めてだった。今まで愛されるために自分を磨いてきて、それをフル活用で使ってきた。いつだってこちらが一枚上手で、向こうは手のひらで踊るだけ。でも、今回は違う。


「若いねえ」


マスターの声が聞こえて顔を上げる。グラスを拭きながら穏やかな笑みを浮かべているマスターはピザ冷めちゃうよと言った。その一言に慌てて、食べかけのピザを口に入れる。そして先ほど奢ってもらったカクテルを口にする。


この独特な苦みはきっとカンパリだろう。それをグレープフルーツジュースの甘みが緩和している。爽やかだけどほのかな甘みを持つこのカクテルの名前を知らなくて、マスターに問おうと口を開くもやめその味を堪能し口角を緩めた。



きっと次に会えた時、教えてくれるだろうと思ったから。

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