ウラニアの慈悲
色々あって書いてたやつの第二弾。
君の目には未来が見えるらしい。その事を知ったのは中学生の時だった。何て事のない特筆する必要さえないような有り触れた下校時に、有り触れていない台詞が私たちの間に木霊した。
「俺、未来が見えるんだよね」
その時の私の返事は酷く素っ気なかったと思う。突然何を言い出すんだこいつはと白い目で隣を見た。しかし、君は至って真面目に前を向いて歩いていた。
「三秒後、そこから猫が飛び出してくる」
君は塀の上を指差した。指で三秒カウントする。木々の中から音を立てて猫が飛び出してきた。
「曲がり角で子供が走って来る」
突き当たりを左に曲がる。私の前を子供が走り抜けていった。
「最後」
君が私の手を引っ張って身体が後ろに仰け反った。目の前をトラックが猛スピードで横切った。
「トラックに轢かれそうになる」
私の隣にいる君は未来を見る事が出来るなんて有り得ないことを信じる以外出来なかった。いつから見えるようになったのと問いかける私に、子供の頃からと返した君はどんな世界を見て育ってきたのだろうと感じた。
それから数年。君はまだ私の隣にいる。制服は後一か月で着られなくなる。大人と子供の狭間で揺れ動いていた私達はただの友達だ。いや、ただの友達と言うには近すぎる。しかし、明確な関係性ではない事も確かなのだ。
未来が見える君と過ごしてきた季節は普通の人と変わりない時間だった。しかし、時折寂しそうな顔をしたり何も言わず頭を預けられた時、私はその力の重さに気付く。
未来が見たいと人は言うだろう。何年後、自分はどうなっているのか知りたい。そう言うだろう。しかし、自分が未来で生きていると誰が自信を持って言えるだろうか。人間は脆い。明日にでも簡単に死ぬ事が出来る。自ら命を絶つ選択も有り得るのだ。そんな未来誰が見たいと思うだろうか。しかし、君は無条件で誰かの未来が見えてしまう。その全てが幸せなら良いが、皆が幸せだったら戦争はもう無くなっているだろう。
君は誰かの死を見ている。それは多分、私の死である事も分かっていた。よく分からないが、私はトラブルに巻き込まれる事が多い。その度に君の未来視に助けられてきた。一秒遅れたら死んでいた事なんてざらにある。いつも君に守られていた。
その君が傍にいて私の死ぬ未来を何度でも救ってくれているのなら有難い事だが、この気持ちに気付いているくせに言わせてくれないのは、きっと理由があるのだろう。
何度も気持ちを伝えようとしては遮られ誤魔化された。君だって同じ気持ちを抱いているのも、もう分かっている。ならば君の見ている未来で、私達は何かしらの理由で上手くいっていないのかもしれない。ならばこの曖昧な関係が一番良いのだ。君の隣にいられるのなら、それで満足だと思ってしまうから。
今日も今日とて二人で帰る。君はいつもより周りを見渡していた。また何か見えたのだろう。問いかける私に君は曖昧な返事しか返さなかった。
交差点が青信号に変わり歩き出す。するとあの日のように私の身体を引っ張った君が前に身体を投げ出した。スローモーションで後ろに仰け反っていく私とは反対に君の身体は前に倒れていく。右側から猛スピードで車が走って来る事に気付いた。
ああ、君はずっと見えていたのだ。いつか自分が私を庇って死ぬ事が。だから言わせてくれなかったのだ。二人で笑う未来はどこにもないから。
気づいたら私は倒れかけた左足に力を入れて前に飛び出していた。君の腕を引っ張って反対に自分が前に出た。迫り来る車、後ろに倒れていく絶望した表情の君を見て、最後に出たのは笑みだった。
「ごめんね、大好きよ」