マリーネの幸福4
時にはささいな悪意と無関心が悲劇の入口になったりする事がある。
ぎりぎりで踏みとどまっている人の背後をそっと押しやるように。
シェイラは焦っていた。
そいうお店で働いていたシェイラは、自分の限界にうちのめされていた。
田舎で親のすすめでどうって事のない男に嫁いで、男の親や兄弟の世話をして一生を終える。
そんな将来は母親の姿を見ていていやだと思った。
底辺だ、と母親を見てそう思う。家に仕え、義理の親に仕え夫に仕え子にすら仕える。
そんな人生はまっぴらごめんだ。
幸い自分は容姿に恵まれていた。
ちょっと甘えてみたりすれば、村の男達はすぐに鼻の下をのばして言う事を聞いた。
だからちょっと天狗になっていたのだ。
町へ出ていい男を捕まえるんだ!と田舎から出てきてはや5年。
出会う男、出会う男皆、シェイラとは遊びの関係で終わって通りすぎていった。
田舎では目立つ顔のよさも、町では平凡、という評価しかくだらない。
先輩乙女達の動作や手管をまねて必死で努力をするけど来るのは妾や2号3号という誘いばかり。
だからエドの第二夫人にという誘いに悩みながらも承諾した。
親とも同居していないし第一夫人は親から押し付けられた相手で、しかもシェイラより年下だった。
本当はラルフの顔の方が好みだった。
遊びもスマートだし、話もうまい。でもラルフにはすでに二人の女がいて、見る機会があった時に、『同類』だと思ったから無理だと思った。
蓋をあけてみればエドがラルフ達と同居している事に驚いたが、家の事は第一夫人が全て一人で行っているという事だ。
ややうつろな瞳をした第一夫人はシェイラに比べ、はるかに整った顔をしているが化粧気もなく地味で華のない女だった。頬にある傷を隠すためか髪を横にたらしているのが余計に陰気にみえた。
シェイラにはすぐに彼女が『底辺』である事がわかった。
周囲から仕えるのが当然とそう要求されてそれにしたがってしまう女。
母を見ているようで気味がわるく、いらいらした。
そしてそんな女が熱心にシェイラに家の事を教えようとしてきた。
シェイラには女が『逃げる』つもりである事が見てとれた。
家を飛び出してきたシェイラとは違い、ちゃんとした商家の出だという女は、実家へ頼れば最悪何とかなるに違いないと思われた。
困るとシェイラは思った。
彼女がいるから彼女が底辺なのだ。
彼女がいなくなったら、今度は自分が底辺になってしまう。
そんなの耐えれない、そんなの困る。
シェイラは彼女から逃げまわった。
第一夫人はそうするとシェイラに仕事を教えるのは諦めたらしい。
仕事を教えようと纏わりついてくるような事はなくなった。
そんなある日、第一夫人であるマリーネから姿を隠すために隠れていた部屋で、彼女はラルフの女達が自分を害そうと話をしているのを聞いてしまったのだ。
ラルフから言い寄られて、気分をよくしていたシェイラに、それがばれていたとは全くの寝耳に水だった。
さすが『同類』。油断がならないとシェイラは思う。
「それでー。どうするの?」
「ほらー。ダンジョンのモンスターでぇ、いるじゃん肌あれちゃうやつ」
「あーうっかり噛まれたりすると吹き出物が出てきちゃうあれね」
「あれをぉ、精製してライバルに飲ませたっていう娘の話をきいたのー」
「ええええ。それどうなったの?」
「弱い奴だから、一週間続けて飲ませなくちゃいけないんだけどぉ。その子のうがい薬にこっそり混入させたら、10日位たってね」
「なになに??」
「急にニキビだらけ、吹き出物だらけになって、休んだんでお目当ての彼の指名を勝ち取ったって自慢してたわー」
「きゃー。やられたら嫌だけどやったら爽快そう!!」
「でさぁ。これがそれなんだけどね。スープにいれちゃう?やや薬っぽいらしいのよぉ。味の濃い物にいれないと」
シェイラはその夜、あの二人がにこにこしながらスープのとりわけをしているのを見たのでこっそり配膳を手伝うふりをして、マリーネのスープと自分のものとを入れ替えた。
夜、すっかり家事が終わってからマリーネが夕飯を一人で食べる前に片づけようと思っていたけどエドに呼ばれたために出来なかった。
翌朝、綺麗に洗われたスープ皿を見て一瞬どきりとしたが、1週間のませても10日くらいたって吹き出物だらけになるだけの薬に、そう危険でもないしとそれからも入れ替えと放置を繰り返した。
だけど、シェイラもアリッサもカーラも思い違いをしていた事に気が付かない。
話に出てきた娘はライバルのうがい薬に薬を混入させたという事実を。
うがい薬は摂取してしまったとしてもきっと少量だったろう。
ではスープに混入させて飲み干してしまった場合は?
5日後、高熱を出して倒れたマリーネに3人の女達は慌てふためく事になる。
鞭打ちの日からマリーネには味覚も嗅覚もなくなっていた。
親からもあんな風に扱われた事のないマリーネにはそんな症状が起きるほどのショックな事だったのだ。
だからスープを飲み干した後の白い粉状の沈殿物を見て眉をひそめたが、とろみをつけるために入れた小麦粉か何かだろうと思って気にしなかった。
次の日からマリーネの体調は思わしくなかった。すごく疲れやすくなってちょっとした動作がけだるい。
エドに呼ばれる夜の勤めもますます辛くなってしまう。
3日目には吐き気がきた。
4日目、朝起きると白目が黄色くなっていた。
5日目、高熱が出て倒れた。
7日目から身体中を吹き出物が出来始めた。水ぶくれになってはじけるとびらんになって、赤くじくじくと痛むししみる。
それと同時に皮下にぶつけたわけではないのに内出血がおきて腫れ上がる。
激しい下痢と嘔吐、マリーネはみるみるうちに重篤になっていった。
呼ばれた医者は首をひねった。
「この女性はダンジョンに降りた事がないのですよね?」
「ええ、一度も。ずっと工房と仕事場である店を行き来していました。最近は殆ど家にこもっていましたし」
「おかしいなぁ。ダンジョンのアレじゃないと何なんだろう?」
結局は気休めの痛み止めと熱さましと軟膏を処方すると首をひねりながら帰っていく。
一方アリッサとカーラには理由がわかっていた。
彼女達にはうがい薬ではめられた彼女が結局は2か月の闘病の末に亡くなったという事実が先日、伝わってきたのだ。
青くなったアリッサとカーラは早速冒険者ギルドご用達の薬局に飛び込み、例のモンスターの毒消しを買い込んできた。
それをマリーネに何とかして飲ませるが、マリーネは一向に回復しない。
日に日に弱っていくマリーネ。
エドも仕事が手につかず、マリーネの傍を離れない。
一方理由がわかっていたのはシェイラもだ。
彼女は恐ろしさと罪悪感に押しつぶされそうになってとうとう自分がスープを入れ替えた事と毒物が混入されていたと知っていても黙っていたことを告白してしまった。
ラルフに。
ラルフはシェイラの手をとって言った。
「あの二人が、どんでもない事を計画していたのだな。怖かったろう。ごめんな。俺がお前の事を気に入ったばかりに…怖かっただろう。」
そしてあろうことかこんな提案をしてきたのだ。
「俺もエドに合わせる顔がない。逃げよう。二人で逃げよう」
その日、ラルフはダンジョンに出かけたまま帰らなかった。
シェイラもその翌日には姿を消していた。
町から出る乗合馬車によく似たような二人が乗っていたという証言もあったが、行方はわからなかった。