マリーネの幸福3
けっきょくマリーネは店を首になってしまった。
エドに鞭打たれた時に倒れた時、髪にさしていた髪飾りで頬に傷を負ってしまったからだ。
お店のお給金がよかったのは、容姿のいいものを選んで雇っていたからだ。
頬に傷があるようでは客が嫌がると言われてしまった。
いまやマリーネにとって夫であるエドは恐怖の対象でしかない。エドの顔を見ると鞭打たれた時の恐怖が蘇って震えてきてしまうのだ。
仕事先に逃げる事も出来なくなったマリーネは日中、エドの目から逃げるように家の中に潜んでいなくてはならなくなった。
そして相変わらず家事はすべてマリーネの担当のままだ。
マリーネの顔からだんだん表情が抜けていき笑顔も、声すら失われていった。
エドが2番目の妻をも連れてきた。
シェイラと言う名前のまだ若い娘だった。
怪我がよくなったにも関わらずラルフ達は未だエドの家に同居している。
ラルフは時々仕事に出ているようだが、女二人は相変わらず家でぶらぶらしている。
パーティを組んでいると言っても、エドの家に来る前からそんな状態だったのだろうとマリーネには思えた。
エドはマリーネにあてつけるように新しい妻シェイラを可愛がる。
そして、マリーネにシェイラを見習えと要求する。
かわいらしく甘え上手なシェイラのようになれと。
エドの顔を見るのでさえ恐怖であるのに、どうしてそんな事ができようか。
彼は自分の妻が壊れかけている事に気が付かない。破滅の足音はもうすぐそこまでせまっていた。
ある日赤ちゃん用の靴下を編んでいるとカーラに毛糸玉を取り上げられた。
「ねぇねぇ。お金がないって言ってたのに、こういうものは買えるんだ?」
マリーネはぼんやりとカーラを見返した。
「あたしたちの食事の質をさげてこんな物を買ってきてるんだね」
反応のない事に苛立ってカーラはマリーネに毛糸玉を投げつけた、
むしゃくしゃしたカーラはラルフに言いつけた。
「俺が話をしよう」
ため息をついてラルフはマリーネを呼び出す事にした。
「世話になった当初はともかく、最近は金も入れている。カーラの言った事は本当なのか?」
まるで、金を払っているからこの家にいて当然、といった風にラルフは切り出した。
「…支払がせまっていて…」
マリーネは工房の材料など支払うべき物の期限がせまっている事を伝えた。
ぶるぶるとその手が震えみるみる顔が青ざめる。
「お願い。エドにはいわないで」
「この間の事は悪かった。まさかエドがあそこまでするとは思わなかったんだ」
「あの人が怖い、あの目が忘れられなくて…」
「マリーネ」
ラルフは目の前で震えているマリーネの肩をそっと抱きしめた。
「約束する。君をもうあんな風に鞭打たせたりさせないから」
恐慌状態になったマリーネの背をやさしく撫でさする。
「君をもっと大事にするようにエドにも忠告する。だからそんなに怯えないで」
歯の根があわないほど青ざめて震えるマリーネをラルフは抱きしめて囁く。
「本当はずっと君を見ていて頑張り屋でいい子だなって思っていたんだ。そんな君を大切にできないエドの奴は大馬鹿だ。ほら、君の目鼻だちだってアリッサやカーラに比べたって綺麗だし整っている。きっと身なりを整えば綺麗になるに違いないよ。君はいい女だよ。エドにはもったいないくらいだ」
それは、怯える女を宥めるためのひと時限りのリップサービスだったのかもしれない。
それを物陰から覗いていた人物以外には。
「女を美しくさせるのが男の勤めだ。いわば男の甲斐性ってわけだ。エドにはそれが足りない」
それなら出ていってほしい。
もうエドもラルフもアリッサもカーラも、シェイラも。
マリーネはそこまで思ってふと気が付いた。
そうだ相手が出ていくまで待っていなくてもいい。自分が出ていけばいいんだ。
エドもラルフもアリッサもカーラもシェイラもいない、そんな場所へ。
幸いシェイラが第二夫人としてエドの家にいる。
エドが困らないよう、エドの取引先や工房のお客さんが困らないように引き継ぎをしたら出ていこう。
マリーネの瞳に生気が戻った。
それからマリーネは熱心にシェイラに家の仕事を教えた、
肝心のシェイラはそんなマリーネの事を嫌がって家の中を逃げ隠れしていたので、マリーネは諦めて仕事の事が誰でもわかるように文に残しておくことにした。
「ねぇ。カーラ。あたし今日、ラルフがシェイラを口説いているのを見たんだけど」
「また悪い癖が出たのね。あたし達でしっかりラルフを繋ぎとめておかなくちゃ」
ラルフの女癖が悪いのは今にはじまった事ではない。
それをカーラとアリッサは共闘することでライバル達を蹴落としていた。
それにしても親友の新しい妻に手を出そうだなんて随分と節操のない事だ。
「そういえば、あの女、か弱いふりしてラルフの気をひこうとしていたわ」
「ええ???旦那に愛想つかれたからラルフに?、めいわくー」
カーラは十分自分の言いがかりである事を承知していたので、ラルフに変な事(本当の事)をふきこまれないようにずっと見張っていたのだった。
そしてラルフのマリーネに対しての『いい女』発言に苛立っていた。
『いい女』とは自分達のような女の事をいうのだとカーラは思っていた。
男のために着飾り、自分を磨き、寵を競い。結果選びぬかれて男に奉仕される。
そんな『いい女』なんだと自負していた。
あんな地味で嫌味で華のない、女性としてちっとも魅力のない女が同じ土俵にあげられたのだと考えただけで虫唾が走った。
マリーネが『いい女』なのならば、どんな女でもいいという事ではないか。
今までの女同士の熾烈なキャットファイトで掴んだ栄冠もどうでもいいことになってしまう。
「あの女も案外したたかなのかもよ?」
「旦那に鞭うたれるような女、ラルフがちょっかい出すわけないでしょ?ちっとも『いい女』じゃないわ」
「違う違う、若い方のよ。けっこう男あしらいに熟練さが見え隠れするもん」
「わー。新世代こわー。大人しそうな顔をしていて隠れビッチって奴ね。いやだわー」
「エドってちょろそうだもんねー」
「うん。ちょっと色目使ってあげただけでああだもの。奥さんより私たちを信じちゃうって何なのかしら。そんなのと結婚しなくてよかったー」
「でもさぁ。ラルフって籍入れてくれないじゃん?なんか自分の夫を見る度にキョドっているどっかの女より下って言われてるみたいで傷つくのよねー」
「あーわかるわかる単純にムカツク」
「ね?ラルフに色気を出さないようにちょっとおしおきしちゃおうかー」
そして悲劇のフィナーレがはじまる。