第百八章 トンの町 17.バランド薬剤店(その4)
そんな剣呑な物質が、何の因果かシュウイの許にドロップしたのだ。その利用法も然る事ながら、何よりも安全な取り扱いの方法を知っておきたい。アイテムバッグを開いたら、内部で発生していたヒドラジンの蒸気を吸って昏倒するなど、願い下げにしたいではないか。
そういった思惑でシュウイが取り出した「esヒドラジン」を見て、バランドは「ミルゴスの毒」と言った。どうやらSRO世界でも、それなりに知られた素材であるらしい。
そして、このドロップ品をみたナントの反応はと言うと、
「……へぇ『esヒドラジン』ねぇ」
「ナントさんはご存じでした?」
「いや、遺憾ながら僕も知らないね。……いや、リアルでのヒドラジンの事は聞いた事があるんだけど、医薬品に使うって話は初耳だね。まぁ、『es』って接頭辞が付いてる訳だし、リアルのヒドラジンとは違うんだろうけど」
「?」
不得要領な顔のシュウイにナントが説明したところでは、この「es」という接頭辞が付いた物質は、SRO内で時々見かけるらしい。現実の化学物質とは違う事を表明しているのだろうという見解が支配的で、「似非」の頭文字という説が有力だそうだ。ただ、運営からは何も情報の開示は無いという。
「そんな訳で、僕も用途については知らないんだけど……」
「師匠はご存じなんですか?」
シュウイとナント、二人の視線を受けたバランドは、些か困ったように表情を揺るがした後で、仕方がないといったように口を開く。
「まぁのぅ。……ミルゴスという毒茸から得られるものでな。基本的には毒なんじゃが、質の悪い寄生虫を殺すのに使われる事があるのよ。……じゃが、取り扱いを誤ると大変な事になるのでな。お主は当分手を出すでないぞ」
チュートリアルダンジョンでは「アゴンタム」なるキノコ人間からドロップしたのであるが、SRO内では「ミルゴス」という毒茸から抽出されるらしい。
しかし、ダンジョン内での鑑定結果を思い返せば、「アゴンタム」なる茸は食用とされているような記述があった。という事は、「アゴンタム」という茸は――少なくとも一部では――毒茸とは認識されていないという事であろう。バランドの言う「ミルゴス」なる茸とは別種であると考えた方が良いかもしれない。
ともあれ、ドロップ品の「esヒドラジン」については、或る程度の情報を仕入れる事ができた。ちなみに、この状態で保管している限りは安定な物質なので、有毒蒸気の発生や引火爆発などを心配する必要は無いらしい。シュウイにとってはありがたい話である。
懸案であった「esヒドラジン」の正体が割れたところで、シュウイはもう一つの懸案材料についても相談する事にした。今朝はナントに話すのを忘れていたが、「フォンの切り通し」で得たドロップ品の一つ、「ゴーレムの核」についてである。こちらも何かの素材であるらしい事は判ったものの、それ以上は何も判らないという強敵素材であった。
だが――
「さすがにコレは判らないねぇ……」
「調薬で使うという話は聞いた事が無いのぅ。使うとすれば錬金術ではないのか?」
シュウイは密かに、この核を元にしてゴーレムを創ったりできるのではないかと疑っていたのだが、二人ともそれについては知らないという。少なくともプレイヤーの【錬金術】のレベルは、まだそこまでのレベルにはないらしい。現地民の錬金術師のレベルはずっと高い事が予想されるが、少なくともゴーレムの製作に関しては、詳しい情報は流布していないようだ。
「じゃがまぁ、大っぴらに触れ廻ったりはせん方が好いじゃろうな」
「僕も同感だね。一応、口が堅くて信頼の置ける連中に聞いてはみるけどさ」
「ご面倒をおかけします……」




