第百八章 トンの町 16.バランド薬剤店(その3)
「してシュウイよ、お主がここへやって来た理由は何じゃ? 師匠の顔を見に……などというほど殊勝なタマではあるまいが」
意外な話を聞かされたせいですっかり忘れそうになっていたが、シュウイがバランドのところへ立ち寄ったのには、無論それなりの理由がある。
「嫌だなぁ師匠、僕をそんな薄情者だと思ってたんですか? あ、これ、お土産です」
心底はどうあれ、表向きは柔やかな笑顔でバランドの視線を躱すシュウイ。師匠の機嫌を取るかのように、キャンプとダンジョンで取得したドロップ品から、バランドの気に入りそうなものを選んで渡していく。ちなみに、ナントには今朝のうちに手渡し済みである。
依然として弟子を見る目には疑念が込められているが、それでも手土産の前にはその機嫌も少し上向いて来たらしく、
「……それで、何が知りたいんじゃ?」
「これなんですけど……」
シュウイがバランドの許を訪れた理由は、先日のドロップ品の中に、少々気になるものがあったためである。ナントに相談する事も考えたが、【鑑定】の結果が調薬の素材である事……と言うか、調薬の素材としても使えるを示していたため、最初にバランドの意見を訊く事にしたのであった。
そして……
「――む? ミルゴスの毒か? ……これをどこで?」
案の定と言うか、シュウイが取り出したドロップ品を見たバランドは顔色を変えた。どうやら調薬の素材であるのは間違い無いらしい。バランドに訊いたのは正解であったという事か。
「ここだけの話ですけど、一夜ダンジョンに出会しちゃいまして。そこのモンスターから得たものです」
シュウイが取り出して見せたのは、チュートリアルダンジョンで討伐したキノコ人間からのドロップ品であった。バランドは「ミルゴスの毒」と呼んだが、シュウイの鑑定結果では下のようになっている。
【素材アイテム】esヒドラジン 品質- レア度-
錬金術や調薬の素材として用いられる。
品質やレア度が表示されておらず、説明文の記述も素っ気無いのは、【素材鑑定】――シュウイの場合は【鑑定EX】――のスキルレベルが足りていないせいらしい。という事は、これはかなり上級の素材という事である。早い話が現在のシュウイでは、〝豚に真珠〟や〝猫に小判〟と同じで扱えない。さっさと売っ払うか、然もなくば買い手が見つかるまでアイテムバッグの肥やしにしておくしか無いのであるが、この先のスキルのレベルアップを見据えて、その日のために確保しておくという考えもある。滅多に手に入らないようなレア素材であるなら尚更だ。
……運営がこの事を聞いたら、きっと涙を流して喜ぶであろう。自分たちの判断は間違っていなかった――と。
――それはともかく、この「esヒドラジン」である。
掲示板でざっと調べてみたのだが、ヒドラジンと名の付く素材の情報は出廻っておらず、これがかなりのレア素材である可能性が示唆された。用途も当然不明なのだが、リアル世界における「ヒドラジン」の事ならシュウイも聞いた事がある。確か強い引火性があり、ロケットエンジンの推進剤として使われていた筈だ。他にも接着剤の添加剤とか。
また、ヒドラジンの一種であるモノメチルヒドラジンには強い毒性があり、大量に摂取すると肝障害から黄疸・発熱・眩暈・血圧降下などの諸症状を引き起こし、脳浮腫やそれに伴う昏睡、或いは内臓各部の出血、重篤な場合は死をもたらす。この毒――正確にはその前駆体――を含むシャグマアミガサタケを茹でたりすると、モノメチルヒドラジンの有毒蒸気が発生し、それを吸い込むだけでも中毒症状を来すという、面倒極まりない物質であった。




