第九十四章 その頃の彼ら 8.運営管理室
「木檜さん! 開発の連中は何と!?」
「〝可及的速やかに、前向きに対処する〟そうだ。それまでは、こっちで何とか抑えてほしいと言っていた」
「何とか――って……何をどうやれと言うんですか……?」
「それについては、何も言わなかったな」
「木檜さん!」
「言い換えると、こっちが何をやろうと、向こうは文句を言えんという訳だ。だからこっちのやりたいようにやるぞ!」
「「「おうっ!」」」
相も変わらず騒々しい運営管理室であるが、その騒動の元凶になっているのは、案に相違してこれまでまるで下馬評に上らなかった人物、具体的に言えば吟遊詩人のモックであり、更にその原因を作ったのは商人のナントであった。
尤も、ナントがその火種をもたらしたのは二週間以上も前の事であり、その間何もせず手を拱いていた非は運営管理室にあるのであるが。
何の話かというと、モックが懸命に練習している「鼓吹の鈴」の事である。
「鼓吹の鈴」はこの国の国宝である「聖呪の鈴」をスペックダウンしたレプリカであるが、それでも術者のバフやデバフを強化する能力を持つアイテムである。はっきり言ってしまえば、こんな序盤で登場する予定のものではない。まだ時間的猶予があると考えられていたので、或る意味で見切り発車的な実装になっていたのである。
なのに、そんな代物がこんな序盤に、しかも駆け出しの第二陣プレイヤーであるモックの手に入った経緯は既に述べたが……改めて一言で要約するなら、シュウイがやらかしたせいである。運営側の目論見と言うか、スケジュールとかロードマップとかを、鎧袖一触で粉砕してのけたのであった。……別の言い方で通常営業とも言うが。
……まぁ、その話はとりあえず措いといて、問題はその「鼓吹の鈴」が、あろう事かサブ楽器としてモックに渡された事にある。
抑運営の認識としては、「鼓吹の鈴」はバフ・デバフ用のアイテムであって楽器ではない。ゆえに――楽器として使うための用意など何もしていない。課題もレベルアップの条件も――楽器としては――考えてもいなかったのである。
「……課題曲だの練習曲だの言われても……鈴を振るだけなのに、どうやって課題を設定すると言うんだ……」
「……一回だけ振るか連続して振るか、同じ調子で振るか強弱を付けて振るのか……確かに、振り方にも色々あるのは解るが……」
「練習するほど技術が要るとは思えないんだけどなぁ……」
「どちらかと言うと、吟唱のどのタイミングでどう鈴を振るか――という事の方が重要だろう」
「まぁ、それで頭を悩ますのは、我々の仕事じゃない……幸いにな」
「……そうだな。開発の連中に押し付……任せよう」
「それでいいんですよね? 木檜さん?」
最も簡単な対処としては、「鼓吹の鈴」はバフ・デバフ用のアイテムであって楽器ではないとプレイヤーに通達して、この件をなぁなぁで収める事も考えられる。しかしそれをやれば、運営として鼎の軽重を問われかねない。単に運営管理室が――ではなく、最悪CANTEC社の誠意とか能力とかの問題に発展する虞もある。
そういう上層部の判断から、何食わぬ顔をしてこの件に対処する事が決定されたのである。ババ札を押し付けられた形の開発部は良い迷惑だろう。
とは言え、こちらでもできる限りの掩護はしておく必要がある。
「基本方針としてはな。開発の連中も――嫌々ながら――納得している。俺たちは俺たちで、できる事をやるだけだ」
「方針はそれでいいとして……具体的に何をすれば?」
神妙な顔で――この男にしては珍しい――問いかけた徳佐に、木檜も困った顔付きを返す。大まかな方針は定まったが、具体的な策となると浮かんでこないのが実情である。
「……何というか……とかく吟遊詩人は物議を醸してくれるな……」
「どういう意味だ?」
スタッフの一人が呟くと、気分転換のつもりなのか、その傍にいた者が問い返した。
「いや、ほら、吟遊詩人についてはアレがあっただろ? 著作権問題」
「あぁ、J○SRACとの間で揉めそうになったアレか」
SRO内における吟遊詩人という職は、人々の面前で歌う事によって報酬を得る職種である。この事がちょっとした問題になった。
著作権法によれば、非営利・無報酬・入場無料という三条件を満たしていれば、JA○RAC管理曲であっても演奏を咎める事は無い。
ところがSROにおける吟遊詩人の場合、演奏によって聴衆から投げ銭を得るだけでなく、スキルの熟練やレベルアップという利益も受けている。特に後者の場合、これがCANTEC社からの「報酬」に当たるのかどうかという点が問題にされた。また、SROに参加するためにはゲームを購入しないといけない訳で、これが「入場無料」という条件に抵触するのではないかとの意見もあったが、ユーザーの全てが吟遊詩人の歌や演奏を目当てにしている訳ではないため、この点は問題無いだろうとなった。
インターネットの動画配信サービスのように、CANTEC社がJAS○ACと包括契約を結んでいれば問題無いのだが、ユーザーのごく一部に過ぎない吟遊詩人のためだけに、そこまでする必要があるかという意見も根強かった。
ゲーム内では現実の歌を禁止してはどうかという意見もあったが、ユーザーがそんな事を一々気にするかという反論も無視できない説得力を持っていた。プログラム的JASR○C管理曲を歌唱・演奏できなくするという案は、プログラマーの猛反対を受けて潰れる事になった。と同時に、運営側が代わりの歌曲を用意するという案も、開発や企画の大反対によって潰され……
「結局はJASRA○と提携する事にして収まったんだよな」
「まぁ、吟遊詩人も歌や演奏の経験を積まないと、レベルアップもできないからな」
「現実で経験があるプレイヤーを取り込まないと社の目的にも適わないし、そういうプレイヤーは現実での歌曲が制約されると不満に思うだろうしな」
――と、暫し現実を逃避して雑談に耽っていたスタッフたちであったが、
「……そろそろ現実を見つめようぜ?」
「あぁ、さっさとしないとあのモックというプレイヤーは、『鼓吹の鈴』を鳴らして酒場で歌い始めるぞ?」
未だ転職していないとは言え、モックが吟遊詩人志望であるのは隠れもない事実である。そんな彼が、酒場の酔客相手に「鼓吹の鈴」を鳴らす? バフ効果で酔っ払いどものメートルが上がる光景しか見えないではないか。酷い騒ぎになるのは間違い無い。
「現状だと、チャランゴの習得が行き詰まってるみたいだからなぁ……鈴をメイン楽器にする可能性も……」
「冗談じゃない!」
「前倒しでチャランゴの演奏スキルを与えるか?」
「運営の都合で依怙贔屓するような真似はできんだろう」
困じ果てた様子の一同であったが、そこに恐る恐る手を上げた者が一人いた。
「あの……提案が無い訳でもないんですが……」
「中嶌?」
「この際だ。策があるなら言ってくれ」
「その……策と言うか……少し過激なアイデアで……「いいからさっさと言え」」
有無を言わさぬ雰囲気に押されたのか、中嶌は意を決した様子で口を開いた。
「その……時間稼ぎのために、『スキルコレクター』がモックというプレイヤーを引っ張り廻すようにし向けるのは……どうでしょうか?」
――室内が沈黙で満たされた。




