第九十四章 その頃の彼ら 7.新人たち~モックの場合~
さて、タクマやカナたちがそれぞれにクエストを進めつつある頃、エンジュとモックの新人コンビも地道に経験値を積み上げていた。
と言っても、別段特別なクエストを進めている訳ではなく、彼らが狙っている宝石職人や吟遊詩人に首尾好く転職できるように、日々努力しているだけである。
既に触れた事であるが、SROでは種族レベルが5になった時点で転職する事が可能になる。この時に転職リストに表示される職業は、保有しているスキルやアーツによって制限を受ける。なので、狙っている職業がリストに載っていない場合には、転職を先送りして、必要なスキルを得るべく動く者も少数ではあるが存在する。
エンジュとモックの二人も、それぞれ狙っている職業向けのスキルを得るべく、或いは取得済みのスキルのレベルを上げるべく、各々努力していたのであった。
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「う~ん……何て言うか……お経? ご詠歌?」
「ははは……やっぱりそう聞こえますか……」
単刀直入に要点を抉るような少女のコメントを聞いて、苦笑しつつも同意している少年。エンジュとモックの新人コンビである。
ここでモックが陥っている現状というものを説明しておこう。
吟遊詩人を志望する彼は、キャラクタークリエイトの時点で【歌唱】のスキルは取得したが、演奏系のスキルについては――楽器が決まっていなかった事もあって――未取得であった。吟遊詩人という職自体は楽器の演奏に補正がかかるらしく、大抵の楽器は扱えるそうなのだが……転職前のモックは当然その恩恵には与れない。そして、首尾好く転職するためには、歌唱系と演奏系のスキルを取得していた方が良い……という訳で、演奏系スキルを取得するべく、モックは練習に励んでいるのである。
――この辺りに関しては、SROの特性について触れておかないと、理解しづらい部分があるかもしれない。
そもそもSROの開発に際しては、VRゲームでの身体の動きと現実の生活における身体の動きをリンクさせる事、最終的には、ゲーム内におけるアバターの動きを現実の身体に覚え込ませる事が、密かな目標として立てられている。そういうCANTEC社の方針に鑑みれば、スキルを発動するだけで勝手に曲が演奏される――などというのは容認できない。かと言って、難しい演奏を強要するようでは、ユーザーからの反感を招くだろう。
一見背反する命題の両立に苦慮したCANTEC社が考えたのは、以下のような事であった。
まず、大方のプレイヤーにとって、演奏とは目的ではなく手段である。バフやデバフのための魔法の詠唱や呪文のようなものだ。
であるならば、バフやデバフの効果を得るための演奏も、長いものは好まれまい。手短なものが使い易い筈。となると、少なくとも初期に演奏職が身に着けるべきは、壮大な交響曲などではなく、短い楽句や小節であろう。それを複数組み合わせれば、より複雑で有効な効果を発揮させる事も可能。そういう形で詠唱や呪文との差別化を図るのはどうだろうか。
一方で吟遊詩人という職業の事を考えた場合、弾き語りの主体は「語り」の部分であり、「弾き」はそのBGMとして扱われる事になるだろう。であれば、やはり短い楽句を適宜奏でる形の方が、色々と使い回しが効くのではないか。
斯くの如き判断から、SROにおける「演奏」は、短めの楽句を基本とする方針が決められた。楽句の運指が正しくできれば、その楽句を習得した事にして、以降は任意で演奏できるようにすればいい。
最初に覚える幾つかの楽句は必修課程のようなもので、これらをクリアーする事で、【演奏(基礎)】の取得が可能になる。取得後には幾つかの楽句が改めて課題として提示されるが、これらをどれだけスムーズに演奏できるかがレベルアップの肝となる。当然、【演奏(基礎)】のレベルが高いほど、吟遊詩人への転職には有利である。のみならず、転職後に提示されるスキルリストも多彩になる事が確認されており、【演奏(基礎)】のレベル上げは不可欠と言えた。
ところで演奏職の面白いところは、レベルアップに「公衆」の評価が絡んでくる点であろう。要するに、「異邦人」と住人からなる「公衆」の面前で演奏し、そこそこ以上の評価を貰う事で、レベルアップし易くなるのである。
〝……とは言っても、未熟な腕前を披露するのは、やっぱり躊躇いがありますし……〟
〝でも、みんなの前で演奏しないと、レベルは上がらないままなんでしょう?〟
〝それはそうなんですけど……〟
〝レベルが低いから演奏できない、演奏しないからレベルが上がらない――って、詰んでない?〟
〝………………〟
〝何だか、フィットネスジムに行くのを拒んでるおねーさんみたい……誰とは言わないけど……〟
――というような会話が有ったとか無かったとか。
それはともかく、公衆の面前で演奏する事に踏ん切りがつかないモックが逃げ場として見出したのが、一応サブ楽器という事になっている「鼓吹の鈴」であった。サブ楽器として使う以上、こちらも或る程度には熟達しておく必要があるという名目の下、練習を始めている訳なのであったが……
「鳴らすのは簡単だけど、いざ歌に合わせようとすると、難しいみたいね」
「えぇ。練習曲も課題曲も無いみたいですからね……どのタイミングでどう鳴らせばいいのかが解らなくって……」
チャランゴの演奏とは勝手が違って、決められた課題楽句というものが提示されないため、全てを手探りでやっている状況なのであった。
「……安易な鞍替えは許さない――っていう、運営の意思表示なんでしょうか……」




