挿 話 SRO開発前夜(その3)
CANTEC企画開発部の会議室では、左右常務の発言に納得できない一人が気炎を上げていた。尤も、彼の場合は常務が提案する新作の方針に納得できないというわけではない。納得できないのは別の部分である。
「常務はヴァーチャルリアリティの部分だけを目新しくすれば済むような事を言ってたが、あれは俺たちに対する侮辱、もしくは挑戦じゃないか!?」
憤懣やるかたない様子で声高に当たり散らしているのは、企画開発部で制作チームの一つを任されている木檜という男である。彼とてVRシステムに接続する事で未知の世界を体験できるという事が、VRゲームにおける大きなセールスポイントである事は認めている。ただし、それだけでは単に環境ビデオや環境サウンドの発展型に過ぎないというのが彼の主張である。
いやしくも「ゲーム」と銘打つ以上は、VRフィールド内でプレイヤーが積極的に行動し、それに対してGM側がリアクションを提示する、そのインタラクションを楽しむものであるべきだ。ヴァーチャルリアリティなどはその味付けに過ぎない。ゲームとしての本分はあくまでも世界観やシナリオなどにあって、それを軽んじてヴァーチャルリアリティに傾倒するのは本末転倒だという思いがある。その思いに共感できる者が、ここ企画開発部の会議室に集まっていた。
「しかし木檜さん、ヴァーチャルリアリティ以外の部分をセールスポイントにしようと言っても、シナリオも設定も世界観も、あらかた出尽くしてるんじゃないですか? 一工夫ぐらいはできても、目新しさはないでしょう?」
「考えている事が全く無い訳じゃないんだが……問題点があってな」
「何です?」
「俺の腹案が上手くいったとしても、ある程度ゲームを進めないとその効果は実感できん筈だ。序盤からユーザーのハートを鷲掴みにはできん」
「序盤からじゃないと何か拙いんですか?」
「常務の提案が通ったら、新作ゲームを始めたユーザーが従来以上のヴァーチャルリアリティにインパクトを受けるのは間違いないだろう。それはいいんだが、インパクトを受けるのが、三車任せのヴァーチャルリアリティだけというのは面白くないだろう? CANTEC開発室ここにありってのを見せてやりたいじゃないか」
木檜の発言に、ようやく納得がいったという顔のスタッフたち。
「……要するに、三車だけにでかい顔はさせないと、そう言いたいんですね?」
「あぁ。幸か不幸か、三車が提案するヴァーチャルリアリティは、戦闘職、それも現実にスポーツなどの経験があるユーザーには好評を博すかもしれんが、それ以外のユーザーには、十字さんが言うほどには受けないだろう。だから俺たちの方で、戦闘職以外のユーザー向けのアピールを考えなくちゃならん」
単に子供っぽい競争心からの反発かと思いきや、案外と深いところまで考えている事に、少しばかり驚くスタッフたち。普段木檜という男がどう見られているか判るというものだ。
「しかし、序盤からユーザーのハートを鷲掴みというのは……」
「リーダー! ここはやっぱりモフモフですよ!」
スタッフの男性が何か言いかけるのに押っ被せるように、力強い声で主張した女性がいた。確か戀水といった筈だが……。
「モフモフだぁ!?」
「はい! モフモフです! これまでのゲームは絶対にモフモフ成分が足りてないと思うんですよ!」
熱く――というより暑苦しく――語る内容を要約すると、これまで触覚を充実させたVRゲームが無いというのが根深い不満であったらしい。折角のVRゲームなのに、折角モフモフなモンスターがいるのに、その手触りを楽しむ事ができないのは、仏作って魂入れずではないかと強く訴えたのである。それは魂の叫びと言ってもよかった。家の事情やアレルギーなどでモフりたくてもモフれない悲劇のヒロイン――なぜ女性限定なのかという疑問を浮かべたスタッフも多かったが、そこを突っ込むほど度胸の据わった者はいない――は多い筈、今こそその潜在需要を掘り起こす時ではないかと、懇々と、切々と、滔々と、綿々と、戀水という女性スタッフは訴えた。
「しかし……触覚をそこまで表現するとなると相当リソースを食うぞ? プログラムだって一朝一夕には作れんし、テクスチュアも……」
「いえ、リーダー。十字さんという人は、リソースの問題は三車がどうにかすると仰ったんですよね? それに社長は、今回採算は度外視してもいいと宣ったとか?」
見かけによらず黒っぽい笑みを浮かべて指摘する戀水女史。十字氏にしろ社長にしろ、発言の趣旨は別のところにあるような気がするが、それでも発言――失言とも言うが――自体は事実である。一瞬、同調するかのような黒い嗤いを浮かべかけた木檜であったが、すぐにその嗤いも消える。
「駄目だ……プログラムもテクスチュアも、今から開発していちゃ間に合わん」
「大丈夫! こんな事もあろうかと、プログラムその他は個人的に開発していました!」
どうやら、いずれ日の目を見る時が来ると、個人的にコツコツと開発を続けていたらしい。一応プログラムをチェックし、大筋で問題は無さそうだと確認がとれた段階で、戀水女史の提案は採用された。もう少し改良は必要だが、いずれ彼女を筆頭にしてチームの名前で特許を申請する事になるだろう。
「……しかし、仮に戀水の言う通りモフリストのハートを掴んだとしても、そればかりではゲームが進まんぞ?」
「モフるために全力を賭してモフモフなモンスターを倒そうとするかも知れませんよ?」
「それはそれで何だかなぁ……」
モフモフ以外のアピールポイントは無いのかと周囲を見回す木檜。困ったように顔を背け、視線を逸らすスタッフたち。その中で一人、怖ず怖ずとだが手を挙げた者がいた。
「あの……常務の提案が通った場合、生産職と戦闘職の境界が無くなる訳ですよね?」
「少なくとも曖昧にはなるだろうな」
「そうすると、生産職が戦闘スキルを取ったり、戦闘職が生産や採取のスキルを取るような事が起きますよね?」
「寧ろ、それが普通になるだろうな」
「必要なスキルが増えると、取得するのも大変になりませんか?」
「それは、スキルポイントやスキル枠を増やしたり……いや、キャラクタークリエイト以後の事を言っているのか?」
「はい」
ふむと考え込む一同。昨今のVRゲームでは、行動経験を反映してスキルが獲得可能となる方式が主流であり、これは転職の場合も同様である。ただ、この仕様だと、それまでの行動と無関係なスキルを新たに取得したい場合、それもプレイヤーが全く無知であるようなスキルを取得したい場合には、少しどころでなく面倒になる。ゲーム内で売っているスキルオーブを購入する以外は、欲しいスキルの行動を真似してスキルが生えてくるのを期待するしかないのだが……後者の場合にもこれまでの行動経験が阻害要因として働く事があるのだ。他社のゲームの話だが、戦闘職一本でやって来たプレイヤーがふとした事でゴルフのスキル――接待に必要になったとか言う話もあるが、真相は不明――を得たいと思って素振りを繰り返していたら、なぜか薙刀の下段払い――脛打ちとも言う――を取得したというのは、この業界ではよく知られた笑い話である。
「確かにそうだが……何か腹案があるのか?」
「あの……スキルが勝手に生えてくるようにしたらどうかと思うんですが?」
「勝手に生えてくる!?」
若いスタッフ――中嶌というらしい――の提案は、プレイヤーがスキルをランダムで取得できるような仕組みを作ったらどうかというものであった。
「ランダムって……誰得だよ」
「例えばの話だが、序盤で生産職が両手剣のエクストラスキルを拾ったりするのか?」
「使えんだろう、そんなの拾っても」
「エクストラスキルの場合は、例えば種族レベルがある値に達するまでロックされるとかの制限をかける事は可能でしょう。それまで大事に持っておくか、さっさと捨てるか、あるいは戦闘職に転職するか、プレイヤーの選択の幅を広げる事になります」
「困難な決断を迫るとも言えるな……」
「まぁ、そういうのは極端なケースだろうが……興味は引けるかもな」
「何より三車は――将来的には――VR空間でのスキルのインストールによる現実でのスキルアップを狙っているんですよね? なら、全く未体験のスキル修得に関するデータが取れる機会を逃さないと思います」
「むぅ……確かに会議は通るかもしれんが……」
「木檜さんが言った、序盤からユーザーのハートを掴むという点ではどうなんだ?」
「いや……掴まないまでも、序盤で飽きられさえしなければ、中盤までは――惰性もあって――やってくれるだろう。そこまで引きつけておけば、後はゲーム展開などで何とかなる」
「ちょっと待って下さい! 変なスキルばかり生えてきたら、プレイヤーからの苦情が殺到しますよ!?」
「不要なスキルは捨ててしまえばいいだろう」
「だったら、抑そんな仕様にする必然性もないでしょう?」
「スキルについては、とりあえず必要そうなスキルが優先的に生えてくるようにして、無関係なスキルが生える確率を下げればいいでしょう。それと、不要なスキルを捨てるかどうかの話ですが、スキルの交換ができるようにしたらどうでしょう?」
「スキルの交換ねぇ……」
「何か揉め事を引き起こしそうな予感がするな……リアルマネートレードとか」
「ギルドが扱うようにしたら?」
「いや……しかし、ある者には不要で別の者には必要というスキルが、そんなに都合良く揃うか?」
「無いとは言わんが……序盤で鷲掴みというのは無理っぽいか」
「……スキルトレーダーがあるんなら、スキルコレクターもありかな?」
「スキルコレクター? 何だ、そりゃ?」
「いや……単にコレクション熱を煽れないかなと思っただけなんだが」
コレクションという言葉に興味を示すスタッフ一同。トレカだのガチャだのを集めるのに熱中した者も少なくないのだ。
「けど……スキルを集めてコンプしたら何になるんだ?」
「技術の集成……技術体系か?」
「コンバットアーツとか、剣術とかか?」
「あれ? それって『スキル』じゃなかったか?」
作品ごとに「個々の技術」と「技術体系」の名称が錯綜している事で盛り上がる一同。そこで一人のスタッフが、ある意味で方針を決定づける発言をする。
「そう言えば……俺、こないだ昔のRPGをプレイしてみたんだけどな。ドット絵のやつ」
「うわっ! そんなんまだ持ってたのかよ?」
「あぁ、それで気付いたんだけどな、剣術とかのスキルで技を習得する順番って、決まっているのな」
言いたい事を察したらしく、それまで騒いでいた同僚たちが静かになる。ゲームがVR化してからは以前ほどあからさまではないにせよ、習得する技の順番は大体決まっている事が多い。
「そりゃ……しかし、基本の技から入るのは当然だろう?」
「けど、剣道の試合なんか見てても、構えも得意技もバラバラだぞ? 常務の提案が通ったら、ある意味で現実に即したものになるのかもしれんが」
「いや……寧ろそれは……序盤で覚えるスキルの種類が少ないって事じゃないのか? 順番の問題じゃないだろう?」
「大体、四つ足で突っ込んで来るモンスター相手に、小手やら胴やらは狙いにくいだろうが」
「だが、上段と下段、順手と逆手、打ち込みの角度の区別ぐらいはできるだろう?」
「上段からと下段からじゃ、打ち込みの軌道も狙いも全然違うだろうが」
「面はともかく、胴はあるんじゃないか?」
「いや、それよりもだ、スキルを発動すると全て同じ構えになるのが拙いだろう。何を狙っているのかバレバレだぞ?」
「確かに……構えが固定されるのは戦術的に不利だよなぁ……」
数人のスタッフが考え込んでいる脇では、別のグループが別の問題を討議している。
「必ずしも技の種類が少ないとは言えんと思うが……」
「いや、同程度のレベルで修得可能な、同程度の威力の技ということなら、確かに少ないかもしれん」
意外な視点からの指摘を受けて、わいわいと盛り上がるスタッフ一同。そこへ木檜が割って入る。
「つまり……剣道で言えば面・胴・小手に相当する技、仮にこれをスキルとすると、最初にどのスキルを選ぶかはプレイヤー次第。その後はランダムな順番でスキルを身に付けていき、コンプすると『剣道』という技術体系が身に付くという訳か。……成る程、これなら同じ『剣道スキル』でも、かなり個人差を出す事ができるな」
う~んという顔で考え込むスタッフ一同。確かにこれならプレイヤーの自由度は高まる。中嶌が提案したスキルのランダム獲得と組み合わせれば、足払いを得意とする剣士なんかも出てきそうだ。これはセールスポイントになるだろう。モンスター相手の武技についてはもう少し練り込む必要があるだろうが、それはまた別の話だ。
「良さそうだな……他に何か意見のある者は?」
木檜の声に励まされるように、一人が遠慮がちに手を挙げる。
「あの……戀水さんの話を聞いてて思ったんですが……どうせモンスターをテイムするという話になるんなら、敵対的でないモンスターを増やしたらどうかと……」
「ん? 人懐っこいモンスターってことか?」
「いえ、そうじゃなくて、プレイヤーが攻撃しない限り、プレイヤーを敵視しないという意味です」
「……あれか、何も考えずに攻撃すると、敵対する存在が増えるという」
「面白そうだが……素材が欲しい連中とテイムしたい連中で、意見の対立が激化しそうだな」
「いいんじゃねぇか? 常務の言葉を借りれば、プレイヤー間の関係が深化するって事だろ?」
「けど……どうやってテイムするんだ?」
「そりゃ、実力の違いってやつを判らせてやるんだろう?」
「だとすると、戦闘力の低い者はテイムできないという、従来の制約は変わらんぞ?」
「餌付けは?」
「餌付け?」
「うん。美味い物を与えて餌付けする」
「待て。……だとすると、モンスターにも味覚が必要になるぞ?」
「それに……モンスターの餌が美味いかどうかをプレイヤーが判断するとなると、モンスターが常食している餌を、プレイヤーも味わう必要が出てくるんじゃないか?」
「……食材でない野生の木の実や草にまで、味わいを設定するのか?」
「確かにプレイヤーに与える印象は大きいだろうが……」
話が段々と大きくなり、やや腰が引けた様子のスタッフたち。頃よしと見たか木檜が総括に入る。
「それくらいでいいだろう。スキルとモンスター、うちのチームからはこの二つを主軸にした提案を上申しよう。これ以上ネタを増やすと、下手すると自分の首を絞めそうだしな。この二つを中心としたデザイン案を、明後日までに纏めるぞ」
うんざりした顔付きの一同だが、反対の声は上がらない。渋々と、そして三割ほどは浮き浮きと、ゲームデザイン案を纏める作業に入るのであった。
次話は金曜日に更新の予定です。