第五十四章 ハイキング 2.金床山(日曜日)
いつもの倍くらい長いですが、適当な区切りが見当たらなかったので。
金床山は、蒐一たちの住む町の近郊にある六百メートルほどの山である。
山頂にある大きな岩が巨石信仰だか山岳宗教だかに関わっているとかで、昔から登山客は多い。麓にある神社の奥宮的な位置付けだが、元々は巨石を麓から遙拝する場所として神社が建立されたらしい。とは言え、長年の間にあちこちから様々な有力神を勧請してきたらしく、現在の主神は菅原道真、すなわち天神様である。近隣の学生たちが学業成就のお参りをするのは大抵この神社であり、それなりに参拝客は多い。
話を戻して金床山であるが、麓の神社とは別に山頂の巨石に詣でる参拝客も多く、神社裏手から登る正面登山道は休日には多くの登山客で賑わい、自分たちのペースでのんびり登るというのは中々に厳しい状況である。
尤も、古来から山岳宗教や民間信仰で栄えただけあって、金床山を登る道は一つや二つではない。その中でも正面登山道は、距離的には短いが最も傾斜のきつい道である。
金床山が登山客に人気がある理由としてはもう一つ、近隣の山には珍しく植林地がほとんど無い自然林――原生林ではなく、里山から遷移した二次林が主体だが――というのもある。自然度云々ではなく、単にスギもヒノキもほとんど生えていないため、花粉症であっても安心して登れるというのが理由であった。
「……まぁ、正面登山道を登る選択肢は無いよな」
「後ろから追い立てられるような感じだものねぇ……」
「ん。のんびり登りたいから、正面はパス」
「とすると……集会所に自転車置いて、桐畑から登るコースか?」
「多分、それが一番だよね」
「決まりね」
「あ、匠は僕の弁当も頼むな。期待してるから」
「おぅ……そう言えば、奢るって話だったっけな……」
という話になって、蒐一たちは日曜日に金床山の北西麓、桐畑からの登山コースを進んでいた。
「……なぁ、匠」
「お? どうした、蒐?」
「いや、匠たちはβテスターだろ? こういう山の斜面での戦いには慣れてるのか?」
蒐一の素朴な質問に、しかし匠は難しい顔をして答える。
「イエスであり、ノーだな。βテストでもナンの町の近郊でも、山間部でモンスターと戦いになった事はあるんだが……」
「戦闘そのものは比較的平坦な場所で起こる事が多かったのよ」
「うん。少なくとも、斜面の上と下に分かれての戦闘は無かった」
「へぇ……意図的にそうしたのかな?」
「……あの運営の事だからなぁ……」
「警戒はしておくべきよね」
匠たちの答えを聞いて、蒐一は少し考え込む。現実での山歩きの経験値を高めておく程度に考えていたが、これは斜面での戦闘について説明しておいた方が良いかもしれない。幸い、蒐一が祖父から伝えられた歌枕流は、元は山伏の護身術だ。こういう場所での闘い方もそれなりに伝えられている。
「……だったら、傾斜地での戦いについて少し説明しておこうか?」
「お、やってもらえるんなら、頼むわ」
「そうね、お願いできる? 蒐君」
「お願い!」
と、いう遣り取りがあって、現在蒐一は斜面の下、匠たち三人は斜面の上、と別れて構えている。
「……なぁるほど。単純に上をとった方が有利だと思ってたんだが……」
「そう簡単にはいかないだろ? 確かに、上の方が位置エネルギーは高くなるし、攻撃には有利だと思うけど」
「あぁ……下からの攻撃が思った以上に防ぎにくいな」
斜面の下に陣取った蒐一からの攻撃は、位置関係からどうしても匠たちの足下に集中する。守る立場になってみると、防ぐのが意外と面倒である。
「こういう具合に、下から投擲武器で攻撃されると……」
「……避ける一方だな……ここまで接近されたら、打ち下ろしの優位はあまり無いか?」
「一概には言えないけどね。それに、魔法攻撃って重力が関係するの?」
「……多分、ほとんど関係しないわね」
「あ、じゃあ、魔法職だと斜面の上下は関係無いのか?」
「魔法戦だと、どうしても遠距離からの攻撃が主体になるから……そうね、あまり上下での有利不利は関係無いみたいね」
「? あたし、近接位置で魔法を撃つけど?」
「茜ちゃんみたいなのは例外なのよ?」
「そうなの?」
「まぁ……『軽業師』の茜ならともかく、普通は近接魔術戦なんかしないからな」
「それじゃ、今度は位置どりを替えてみようか」
蒐一の指示で、今度は斜面の下に陣取った三人組であったが……
「……案外、防御のイメージは掴めるもんだな」
「けど、狙えるのが足ぐらいしか無いよ?」
「モンスターや獣相手だと、上から飛び掛かってくる攻撃があるけど、意外と視界は開けてるだろ?」
「あぁ……上半身への攻撃なら、盾も使えるしな……正直、下からの攻撃より守り易いかもな」
「……予習しておいて良かったわね。いきなりこういう場所で戦闘が始まってたら、きっと戸惑っていたと思うわ」
「あぁ。その点では茜に感謝だな」
「えっへん!」
斜面の上下での間合いを体験した後、四人は再びのんびりと登山道を歩いていた。
「実地に構えてみて解ったと思うけど、こういう場所での戦いは、近距離でも飛び道具が無視できないからな」
「……だな。下から弓だの手裏剣だので下半身を狙われたら厄介だわ」
「もう一つ。山では樹上からの攻撃も注意しろよ?」
実際にトンの町防衛戦において、樹上からの狙撃でオークを狩った蒐一の台詞には重みがあった。
「おぅ……この場合も飛び道具か」
「距離があるから、当然そうなるよね」
「今以上に警戒が重要になる、その可能性は高いわね」
「カナちゃん、よろしく~」
「茜ちゃん、他人任せにするのは駄目だよ。自分でもちゃんと警戒しないと」
「む~……それは解るんだけどー……」
「俺たちも斥候職任せのところはあるな。けど、それじゃ駄目なのか? 要」
「召喚術や従魔術が後付け可能になったじゃない?」
「召喚獣や従魔が増えた分、警戒すべきレベルも上がると考えた方が良いよね」
「マジかよ……」
要や蒐一の指摘に渋い顔になる匠。しかし、警戒要員が増えたという理由で、敵性モンスターやNPCの隠蔽レベルが上がる。それくらいの事は、あの運営なら確かにやりかねない。
「ま、警戒スキルのレベルアップを頑張るんだな」
「簡単に言ってくれるな……」
「重ね掛けすればレベルは上がるんだし、難しくはないだろ?」
警戒系のスキル、例えば【魔力察知】と【気配察知】を重ね掛けして使用すれば、単独で使用するよりずっと速いペースでスキルがレベルアップする。蒐一の指摘を受けて「ワイルドフラワー」や「マックス」のメンバーが実験した結果、それはほぼ事実である事が判明している。尤も、その事は謂わば秘技として秘匿しているのであるが。
「蒐と違って俺たちには、スキル枠の上限ってもんがあるんだよ」
「あれ? スキル枠は拡張できるんじゃないの?」
「できるけど、それには結構なポイントを使うからな」
「転職とかの機会にはポイント無しで増えるんだけどね」
「へぇ……そうなんだ」
蒐一自身は「スキルコレクター」の効果で、スキル枠の上限が撤廃されている。そのため、スキル枠に上限があるという事を、つい忘れがちであった。
「けどさ、匠、運営が敵性存在の隠蔽レベルを上げるつもりなら、スキル枠の増加ぐらいの処置はするんじゃないか?」
何の補償も無しに隠蔽レベルだけ上げるなら、使役獣を持たないプレイヤーが不利になり過ぎる。何らかの手は打つのではないか。そう言われた三人は考え込む。
「……そう言えば、この間のアップデートで、スキル枠が増えてたわね……」
「ねぇねぇカナちゃん、スキル枠だけじゃなくて控え枠も増えてたよね?」
「……知らん顔して、補償だけ先払いかよ……」
「へぇ、アプデでスキル枠、増えてたんだ」
「「「……蒐」君」」
通常のプレイができない上に現状トンの町に引き籠もっているため、蒐一は運営からのお知らせにもあまり眼を通さなくなっていた。
「まぁ、とりあえず余裕がある人だけ警戒スキルを取っておいて、普段は控えに廻しておけば? それと、スキル枠を不用意に埋めないようにするとかさ」
「……蒐の案を採用した方が良さそうだな」
「あ、ほら、もうすぐ頂上だよ。適当な場所でスケッチしないと」
「あ~……面倒臭いよな……」
「……だったら、鉛筆で下描きだけしておいて、着彩は家でやったら? スマホで風景を撮影しておけばできるでしょう?」
「ナイスアイデアだよ! カナちゃん!」
「おっ! 良いな、それ!」
「その分、自宅でSROをやる時間が削られるけどね?」
「「あ~……」」
「世の中甘くないって事だよね」