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東京の空の下で  作者: 早瀬 薫
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第十話 1

 僕が高知から上京したのは、今から二十年も前の話で、調理師専門学校に通うためだった。専門学校で勉強して、どこかの料理店かホテルのレストランの厨房で修業して、その後、自分の店が持てればいいなと、若いなりにあの頃、漠然と夢を描いていた。


 田舎に住む若者が描きがちなのが、東京に行きさえすれば、自分の夢は叶うんじゃないかという幻想なのだが、実際、東京はそんなに甘いものではなく、どこもかしこも、夢を叶えるために上京して夢に破れた人で溢れかえっていた。東京にしかない職業ならば、東京にしがみつく理由もあるのだろうが、そうじゃなきゃ、田舎で暮らしたほうが余程豊かな暮らしができていいんじゃないのか、それなのになぜ自分は今も東京にしがみついているのだろう?と、東京暮らしのお上りさんの大半は思っているんじゃないかと思う。


 上京してアパートを借りるために、一番最初に訪れた不動産屋でも、「お父さん、こんなに収入があるんだったら、東京になんか出てこないでお父さんのお店を継いで、地元で料理人になったほうがいいんじゃないの? 東京は厳しいよ」と、アパートの賃貸契約書に記載されている保証人である父親の年収を見て、不動産屋の主人が僕に言った。


 それを言われたとき、出端をくじかれたような気がして、正直僕はムッとしたのだが、彼は冗談でなく真剣に心配してそう言っていた。多分、彼は、僕のように目をキラキラ輝かせながら上京して賃貸契約書に判を押し、数年後、夢破れて暗い顔をしてアパートの鍵を返しに来る若者を何人も見てきた経験から、親切心でそう言ってくれたんだろう。



 とにかく東京は人が多い。息苦しいくらいやたらと人が多い。多分空気中の酸素濃度は、田舎より低いと思う。それはさておき、人が多いと淋しくないだろうと思っていたが、実際は逆だった。人が多ければ多いほど淋しさが倍増した。これだけ人がいるのに、知っている人が見事に一人もいなかった。僕は専門学校に通うために、毎日人でごった返す駅のコンコースを駆け抜け、電車に乗り、知っている人を探し続けたが、やっぱり一人もいなかった。田舎にいたとき、そういうことを想像したこともなかった。


 これは新しい発見だった。やっぱり、世の中、経験しないと分からないことは、まだまだいっぱいあるんだなと実感した。多分、東京で見知った顔を探すことなんて不可能だろう、そう思いながらも、なんでだか僕は惰性のように、毎日知っている顔を探し続けた。学校では新しい友達もでき、見慣れた顔も景色も少しずつ増えていったが、相変わらず電車の中には知った顔を見つけることができず、僕は日課のように毎日探し続けた。新しい知り合いではなく、昔から知っている懐かしい知り合いの顔をである。どうしてそんなことをしていたのか、自分でもよく分からない。だけど、この世界でも有数の大都会で見つけることができたなら、それをきっかけに、これからの自分の人生にも、きっといいことが起こり始めるんじゃないかとどこかで期待していたんだと思う。



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