第九話 2
うちのハンバーガーショップの従業員には、中国人が四人いる。三人の留学生と一人の元留学生である。年齢は、一番若い劉君で二十二歳、李君二十四歳、周さん二十七歳、それと、四十歳の王さん。王さんは来日した当時は、情報系の専門学校に通っていたらしいのだが、途中で卒業を諦めてしまい、その後も紆余曲折いろいろあって、今はうちのハンバーガーショップ一本で働いている。外国人を雇うのには有限会社では許可が下りないので、僕は頑張って貯めたり借りたりして一千万円をかき集めて、うちの会社を株式会社にした。これで堂々と外国人を雇えたのだった。
僕がハンバーガーショップを始めた当時から、ずっと勤めてくれている従業員は、美津子おばちゃんと王さんである。この間、結婚退職した池上君と崔さんもそうだったのだが、今ではたった二人になってしまった。美津子おばちゃんは今年六十歳で、いつも腰が痛いと言っているが、年金をもらえるまで頑張ると言っていたから、後三年は辞めるつもりはないらしい。
そして、王さんは来日してから実は十五年も経っていて、五年間いろんなところで働いて、かなり苦労をしたらしい。いつも無口で寡黙な王さんが「社長のおかげで僕は日本にいられるんです!」と、そのことに関してだけ臆面もなくきりっとした真顔で僕に言うので、その度に僕は照れまくった。こういう時、会社をやっていて良かったなとつくづく思う。やっぱり、誰かのために役に立っていると思えば、人間誰しも嬉しいものだろう。
王さんの仕事は、他の従業員とは少し異なっていて、午後十時から午前零時までは通常業務だが、午前零時以降は夜勤で店全体のクリーニングをお願いしている。テーブル拭きから床のモップがけ、厨房機器の洗浄、揚げ物に使った食用油やゴミの廃棄、また冷凍庫や倉庫からの食材などのスットクの補充、サラダやスープの仕込み、その他、従業員がその日の業務を終え、事務所の洗濯機に放り込んだ制服の洗濯など、ありとあらゆることをして貰っていた。
勤務は午後十時から翌朝八時までの十時間労働だった。かなり過酷な勤務形態だと思うが、「長時間働きたいし、夜間手当が付くのはありがたい」と本人が希望してシフトに入ってくれているのだった。僕は通常業務と商品の仕入れなどの仕事を主にこなしていて、手が空く限り王さんを補佐していたが、なにせ今まで、子供が沢山いる上に小さかったものだから、王さんが責任を持っていろんなことをしてくれているのは本当に助かった。
輝がとくに王さんに懐いているのは、輝と同い年の息子さんを中国に置いてきている事情が王さんにあるからかもしれない。王さんは十年前に幼なじみの中国人の女性と結婚して程なくして子供を授かったが、奥さんは中国で仕事を持っているため、息子さんと北京に残って暮らしているそうである。
だからなのか、王さんは息子さんと同じ年頃の輝や黎や爾を見かけるといつも顔をほころばせた。輝は輝で、「ちょっとそこまで」と言って、真夜中に王さんの働いている店に降りていって、話し込んでいることがあるし、王さんが休日の日は、王さんのアパートまで行ったりして、遊びに連れて行ってもらうこともあった。上野公園のオジサンが青森に帰ってからというもの、輝も淋しいのか、何か困ったことがある度に、可愛がってくれる王さんのところにふらっと遊びに行っているようだった。こうやって、うちの子供たちは、家族だけでなく周囲の人たちに可愛がられながら、すくすくと育っていた。




