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東京の空の下で  作者: 早瀬 薫
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第七話 8

 目が覚めたのは、午前零時を少し過ぎた真夜中だった。喉が渇いて目が覚めたのである。テントのすぐ脇に置いてある簡易式テーブルの上のサーバーから麦茶を飲もうとしていると、遠くのほうからひそひそと話し声がすることに気付いた。しかも、小さな声に混じってすすり泣くような声もしている。なんだか、すごく気になった。気になったので目を凝らして声のする方角を見たら、どうやら川べりの大きな石の上に二人の人間が座って話をしているようだった。


 なんだか邪魔したら悪いような気がしたが、でもやっぱり気になって仕方がない。泣き声がしたら、そりゃ誰だって気になるだろう。声の主が誰なのか確かめようかどうしようか、そんなことを考えていたら、すっかり目が覚めてしまった。


 仕方がないので、安眠するために誰なのか確かめてから寝ようとして、声のする方にそっと近寄ろうとしたら、急に二本の手で足首を掴まれた。僕はもしかして幽霊にでも足を掴まれたのかと思って、大声を上げそうになったが、声が出ないようにこれまた誰かの手で後ろから口を塞がれた。僕は、心臓が口から飛び出るかと思うくらいびっくりした。そして、その場にへなへなとしゃがみこんだ。しゃがみこんで目の前に現れた顔を見たら、幽霊でもなんでもなくて澪と佐都子だった。


「あー、びっくりした……」

「こっちこそ、びっくりしたよ……」

「暗闇で急に足首を掴まれてみろよ。腰抜かすぞ。しかし、二人で真夜中に何をやってるんだよ?」

「何もやってないよ」

「何もやってないのなら早く寝なよ」

「寝られるわけないでしょ?」

「まぁ、泣き声がしたら気になって寝られないよな」

「うん。でも、邪魔したらだめだよ」

「はぁ?」

「お父ちゃん、あっちへ行こうとしてたでしょ?」

「え?」

「声がするほう」

「うん」

「せっかく二人だけで話をしてるんだから、邪魔したらだめなんだよ」

「?」


 「せっかく」ってなんだ? アベックでもいるのかな?

 しかし、泣いているなんて、事は深刻じゃないか。相変わらず僕は向こうに誰がいるのか分かっていなかったので、もう一度目を凝らした。目を凝らしてよく見てみたら、石の上に座っているのは、そのシルエットからどうやらリサちゃんと香苗さんのようだった。


「なんだ、リサちゃんと香苗さんじゃないか。でも、どうして泣いてるんだ?」

「そりゃ、再会してから初めてまともに喋ったから」

「再会?」

 僕が澪とちんぷんかんぷんな会話を繰り返していると、たまりかねた佐都子が口を挟んだ。


「いい? 今から驚くようなことを言うから、黙って聞いてね。あの二人に聞かれたくないし、真夜中だから、他の人にも迷惑だから絶対大声を出しちゃだめよ」

「う、うん」

「あのね」

「うん」

「あの二人はね」

「うん」

「親子なの」

「えーっ!?」

 そう大声で叫んだつもりだが、澪が間一髪で僕の口を手で塞いでいた。


 佐都子の話によると、香苗さんはリサちゃんが二歳のときに離婚してから、うちの店に雇われるまで、一度もリサちゃんに会いに行ったことがなかったそうである。三年ほど故郷の山形に帰っていたそうだが、風の噂でリサちゃんのお父さんが亡くなったと知って、リサちゃんが心配でいてもたってもいられず、また東京に舞い戻って来たそうである。


 けれども、一度飛び出してしまった水野家の敷居は高く、水野家を再び香苗さんが訪れることはなかったらしい。水野家からは目立たないように、ひっそりと近所で一人暮らしを始めたが、いくら近所に住んでいて同い年だからとはいえ、まさか雇い主の娘が、自分の娘と大の仲良しだなんて思いもしなかったので、本当に驚いたそうである。


 香苗さんは、長い間、そのことを誰にも秘密にしていた。もしかしたら、娘は自分のことを恨んでいるかもしれないし、ときどき遊びに来る娘を、誰にも邪魔されないで垣間見れるだけで幸せだったからである。自分の正体が娘にばれてしまったら、彼女はもう二度と遊びに来なくなるやもしれなかった。


 でも、そういう香苗さんの様子に澪は気付いていた。ときどき、香苗さんがリサちゃんを見つめて、涙ぐんでいるのを目撃していたから。それに気付いたのは小学二年生のときで、それから三年間、香苗さんと澪との「誰にも内緒にする」という固い約束は守られたのだった。


 澪はなんという子なんだろう……。この子は本当に自分の娘なんだろうか? まるで天使じゃないか。僕は佐都子の話を聞きながらそう思った。親になるということは、こんなに素晴らしいことなんだと思い知らされた。


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