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東京の空の下で  作者: 早瀬 薫
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第四話 1

「こんばんは」

「はい、いらっしゃいませ。いつもご利用いただきありがとうございます」

「あー、今日もね、いつもと同じにしてもらえるかな?」

「はい、かしこまりました。ハンバーガーとブレンドコーヒー二つ。それとお冷ですね」

「うん、そう」


 三日に一度は店に来てくれる鈴木のおじいちゃんだ。年齢は七十五歳。一人暮らし。今はこんな風にどの従業員も鈴木のおじいちゃんのことは熟知していて、てきぱきと彼の注文をこなせるが、最初はちんぷんかんぷんのてんやわんやだった。


「あのね、ハンバーガー一つ頼みたいんだけど、肉を抜いてもらえるかな?」

「はい?」

「肉を抜いてもらいたいんだよ」

「お肉をですか? フィッシュバーガーとかエビバーガーとかもありますが……」

「いいの、いいの、ハンバーガーで」

「ライスバーガーとかもいいですか?」

「うん、パンだけでいいの。それとね、マヨネーズやレタスもいらねぇな」

「え?」

「パンとケチャップだけでいいや」

「マスタードもいいですか?」

「マスタードってなに?」

「辛子みたいなものです」

「それは入れてもらおうかな」

「じゃ、ピクルスとか玉ねぎは?」

「それもいらない」

「じゃあ、パンとケチャップとマスタードだけでよろしいですか?」

「うん。それとね、コーヒー二つ」

「え?」

「コーヒーを二つだよ。ミルクも砂糖もいらねぇや」

「コーヒーを二つを同時にお席にお持ちしてもいいんですか?」

「二つを同時に持って来られちゃ困るじゃないか」

「?」

「最初は一個だけで、僕が合図したらもう一個持って来てもらいたいんだよ」

「はぁ……」

「それと、お冷ね」

「は、はい……」


 肉抜きのハンバーガーを注文する人がこの世に存在するなんてあり得ない話だと思っていたが、現実にある話だった。おまけに、ファストフード店で、合図したらコーヒーを持って来いだと? うちはファミレスじゃないんだぞと思ったのだが、でも相手は老人だし、せっかくお店に来てくれたんだから、どうにかなるだろうと思って、肉抜きハンバーガーとコーヒー一個とお冷を乗せたトレイを入口に近い席まで持って行ってあげたら、おじいちゃんはにこにこして「ありがとう」と言ったのだった。


 しかし、厨房から遠いこの席には、ファミレスなんかによく置いてある呼び出しボタンもないし、二つ目のコーヒーを運んでもらいたいときに、どうやって合図してくるのだろう、大声でも出すんだろうかと思っていたら、おじいちゃんは、ただ単に黙って右手を垂直に真上に挙げていた。夕方って、店が忙しくって、大勢の人で混雑していて、手を挙げただけじゃ気付きにくいのにである!


 おかげで気付くのが遅れて、おじいちゃんからクレームが来た。全く、困った客が店にやって来たものだと思った。でも、その黙ってただ単に手を上げている姿は、なんだかすごく滑稽だった。だって、ファストフード店でそんなことをやってる人って、多分この世にこの鈴木のおじいちゃんだけだろうなと思ったから。


 鈴木のおじいちゃんは、十年前のその日から三日に一度、店にやって来るようになった。そして、すぐにその彼の注文の謎が解けた。注文の品を運んだときに見たのだが、テーブルの上に、何種類かの薬が置いてあって、薬を飲むためにお冷がいるんだなと思ったし、二つめのコーヒーを持って行ったときも「ごめんね。足が悪いからね」と言い、テーブルの脇を見るとステッキが置かれていた。そっか、片手でトレイを持つのは厳しいってことなんだなと思った。


 なんだ、早く言ってくれればいいのに……。要するに、糖尿病を患っているから、カロリーの高い肉を抜いたハンバーガー(?)しか食べられないし、コーヒーを二つ注文するくらい店には長居したいけど、糖尿病の後遺症で足が悪くて杖なしであんまり歩けないから、最初にもう全部の勘定を済ませておくし、悪いけど合図したら二つ目のコーヒーを席に持って来てほしい……つまり、そういうことじゃないか。最初に説明してくれたら、こっちもスムーズに動けたのになと思った。でも、下町だから年配客も結構来るとはいえ、若い客が多いこの店にこうやって来てくれるのが僕は素直に嬉しかった。だから、鈴木のおじいちゃんのようなお客さんは、特に大事にしたいなと思っていた。


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