第一話 2
なんで僕がハンバーガーショップを営んでいるかというと、ハンバーガーが好きだからである。それ意外に理由はない、というのは嘘である。僕は、ある人が店を訪ねてくれるのを待っているからである。
実は僕が高知から上京して調理師専門学校に通っていたとき、あまりにも貧しくて、家賃と光熱費をアルバイトで稼ぐだけで精いっぱいで、食うや食わずのその日暮らしをするはめになり、餓死寸前で道端に倒れていたところ、ある親切な男性に助けられたことがあった。助けてくれたのは、初老の男性だった。その男の人の話によると、ハンバーガーショップを経営していたのだが、店を閉めなくてはならない状況になり、たまたま今日がその最後の日で、今、手に持っているハンバーガーが自分が作った最後のハンバーガーだということだった。家族に食べさせるつもりだったのだろうに、僕が道端で倒れていたおかげで、その男の人は貴重な最後の一個を僕に食べさせてくれたのだった。
僕がハンバーガーにがっつき貪り食っていると、自然と涙が零れていた。空腹にじわじわと染み渡る滋養、これぞ究極の幸せというものだろう。そんな僕の様子を見ていたその男の人は、「もしかして今日はこれが最初のご飯だったの?」と僕に訊いた。そのとき、時はすでに真夜中を過ぎようとしていた。
「そうです……」
「あ、今、午前零時を回ったから、今日じゃなくて、昨日からってことなのかな」
「あ、そうなんですかね。とにかく、だいぶ前に、食パンの耳を食べたことは覚えてます」
「それで、仕事は何をしてるの?」
「アルバイトですが、今日は家屋の解体作業をしてました」
「えーっ? 力仕事をしたのに、ご飯を食べてなかったの?」
「はい……」
「日当じゃないの?」
「バイト料は割といいんですけど、日当じゃないんですよ」
「はー、大変だね……僕より大変かもしれない」
「え? そうなんですか?」
「うん」
そこで話がちょっと中断したので、その男の人はすぐ傍の自動販売機から、缶コーヒーを買ってきてくれた。「喉が詰まるだろ?」と言って、僕に投げてよこしてくれたのは良かったのだが、貰った缶コーヒーが冷たいやつだとばかり思っていたのに、熱かったので、「わあああ、あちっ」と言って、落っことしてしまった。男の人は「ごめん、ごめん」と謝ってくれた。謝るなんて、僕はとんでもないと思ってはいたが……。
「あのぉ、ちょっと訊いていいですか?」
「はい、どうぞ」
「お店を閉めた理由って、何だったんですか?」
「うーん、不況ってこともあったんだけど、妻がね、寝たきりになったんだよ」
「え?」
「今まで、仕事がずっと忙しくて、家族サービスもまともにやってこなくてね、妻は妻で仕事を持って働いてて、ずっとすれ違いの生活をしてて、こんな風に過ごして人生は終わっちゃうのかなと思っていたんだよ。でも、妻が倒れて動けなくなって、今一緒に過ごさなかったら、一生後悔すると思って、店を閉めることにしたんだ。もう一年以上、赤字が続いていたしね。いい潮時だと思ったんだよ」
「そうなんですか……」
「うん」
「でも、残念だな」
「?」
「だって、このハンバーガー、すっごく美味しかったから」
「そうかい?」
「はい!」
僕がそう言うと、その男の人は満面の笑みを浮かべた。
「役に立てて良かった……」
そう言うと、その男の人は、「じゃあ、この辺で。もう帰らなきゃ」と言って帰って行った。僕もそのとき、慌てて「ありがとうございます!」と言ったけれど、なんであのとき、彼の名前と住所を訊いておかなかったのだろうと後悔した。だから、僕は今、ハンバーガーショップを営んでいるのである。いつか、彼が僕の店を訪ねてくれるかもしれないと思っているから。ハンバーガーショップを開くくらいハンバーガーが好きなら、店を閉めた後にもきっとハンバーガーショップに行くことだってあるだろうと思ったから。
でも、あれからもう十九年経つが、彼が僕の店を訪れてくれたことは一度もなかった。今でもずっと彼を待ち続けているのだけれど……。
それともう一つ、僕がハンバーガーショップをやり続けたいというもっともらしい理由は、子供たちにたくさん肉を食べさせたいというものだった。僕の父は、懐石料理の店を営んでいて、父が料理好きだったものだから、子供の頃から食に苦労した記憶はないのだが、いかんせん日本料理店なので、魚ばっかり食べさせられた記憶があって、肉好きの僕は思う存分肉を食べたいという願望が昔からあった。僕の血を引くのだから、子供たちだって、きっと僕と同じく肉好きだろうと思ってハハンバーガーショップを営み続けているのである。それが二つ目の理由だった。