「おのれチビ龍、謀っ《深の記憶》たな!」
「わわわわわ! ヤバイよ、コレ、ヤバイよ!」
迫り来る親(仮)水龍の脅威に狼狽える俺。
だって、この水龍は戦艦と海の巨人をいとも簡単に沈めちまえるヤツなんだぜ?
そんな相手に今の俺が戦える訳がない。
取るべき手段はただ1つ。
「やや、チビ龍ちゃん。もうすぐ君のお母さんかお父さんか、はたまた叔父さんがやって来るからねー」
俺は小さな水龍の子に囁きかける。
彼、又は彼女は軽く小首を傾げるだけだ。一体この子には俺の事、どんな風に映ってんだろうな?
って、そんな事はどうでもいい。
「とにかく、さらばだ!」
俺はチビ龍をその場に残して路地から抜け出した。
へっ! あの水龍の子から離れさえすれば大丈夫なはずだ。
逃げて逃げて、とにかくあのチビ龍からできるだけ遠いところまで走るのさ!
あ、そうそう。念の為に頭に布を巻き直して、右腕にもチビ龍を巻き付けておいた。
後は十分に距離を取って、どこか適当なところに身を潜ませておけばいい。
「……ん?」
右腕にチビ龍?
はっ、何言ってんだ俺は。チビ龍から距離を取る為に走っているのに、そのチビ龍を右腕に装着とか、本末転倒ですやん!
そんなアホな事――
「ハキュ!」
右側から可愛らしい鳴き声。
ハキュエエエエエエエェェェッ~!!
いる! 俺の右腕にチビ龍が巻き付いている! なんで!?
チビ龍は動転する俺を面白そうに眺めている。
人の気、いや、魔人の気も知らないで~。
俺は左手で引き剥がそうと試みたが、ビクともしない。
可愛い顔して力強いぞ、こいつ。
魔手羅を使ってみたが、それでもビクともしない。くすぐったそうに鳴くだけだ。
「ね? お願いだから離れてちょ? お兄さん殺されちゃうから、ね?」
走りながら懸命にチビ龍に語りかけるのだが、全然聞いてくれない。それどころか、
「ハキュー!」
「ぎゃっぴー!?」
チビ龍は俺の右耳に噛み付いてきたのだ。
思わず奇声を上げてしまう。
敵意を持った噛み付きではないのだけどね。甘噛みってやつ。ハムハムしてきやがる!
「止めなさい、チビ龍ちゃん! 止め……あっ!」
やだ、変な声が出ちゃう。
坂を駆け下り、広い通りへと出る。
その時背後から耳をつん裂くような破壊音が聞こえてきた。
チラッと振り返れば、水龍が物凄い形相で迫って来ている。
俺との距離は約100メートル。
ヤツは蛇のように這い進んで来る。その通り道にある建物はまるで積み木のように崩れちまう。
こうなれば、チビ龍こそが俺の命綱だ。
この子が俺の側にいる限り、水龍も無茶は出来まい。
でもねぇ。
巨大な生物に追われるってのは心臓に良くないわ。
そう、映画で例えるならティラノサウルスに追われるマルコム博士、若しくはバジリスクに追われるハリーみたいな感じだ。但し、側には不死鳥はいないのだけどね。いるのは俺の耳を無心でハムハムしているチビ龍だけだ。
前方がT字路になっている。
俺は左右どちらにも曲がらず真っ直ぐ突き進む。
壁を蹴って上に飛び、屋根の縁を魔手羅で掴むと一気に体を引き揚げた。
屋根の上に着地すると水龍の短い咆哮が響く。
てめぇこの野郎! ウチの子供を返しやがれってんだ! とか言いたそうな咆哮だ。
そりゃあんた、まず追いかけて来る事を止めてもらわないと俺も止まれないよ。
だって動くだけで街がどんどん破壊されて行くんだぜ?
そりゃ全力で逃げちゃうよ。でも、俺が逃げるからヤツは追いかけて来るわけでな。うーん、このジレンマね。
俺と水龍の追いかけっこが約30メートル程に縮まった時、急にガクンとヤツの速度が遅くなった。
縮まった距離が再び離れて行く。
疑問に思いながらも屋根を駆けていると突然、前方に水龍の尻尾が飛び出して来た。
湾内から大ベネルの内陸部へ弧を描くように伸びていく。
そこにある建物を破壊しながら俺をどんどん追い詰める。まるで追い込み漁に掛かった魚の気分だ。
前と内陸部は水龍の尾、後ろは水龍の頭。となると、湾側しか逃げ道はないのだが、それは悪手なりよ。
うーむ、仕方ない。
空を飛ぼう!
こういう時の事を考えて顔に布を巻きつけておいたのだ。
ホントは使うべきではないのだけどね。
俺はその場にしゃがみ込む。
≪翼竜の羽ばたき≫!!
左右の魔手羅がワイバーンの翼の形状へと変化する。
長さ約2メートル程の黒い翼。
その翼を羽ばたかせながら俺は飛び立った。
まぁ、俺の体の大きさで2メートル程の翼では十分じゃないんだよね。だから、
≪風の舞踏≫!!
これはダークエルフの魔鬼理。
以前、ゴブリンの暴動や森の戦いの時に彼女たちが使ってたヤツ。
対象を宙に浮かせる事ができる魔鬼理だ。持続時間が短いのが欠点だけど、コレを補助として使えば、この場から飛び去る事が可能になる。
水龍との距離は約50メートル。大丈夫だ、逃げ出せる。
海から離れて内陸に向かえばいい。
「ハッハッハッ! 水龍さん! お子さんは必ずお返ししますので心配なさらないで――」
捨て台詞を吐きながら颯爽と飛び立つはずだったんだけど。
「ハキュー!」
「ぬわっ!?」
チビ龍が急に俺の顔を覆い尽くしやがったのだ。
視界を塞がれた俺はバランスを崩してしまう。
おのれチビ龍、謀ったな!
大人しく俺の耳をハムハムしていればよいものを……。
「ぎゃああああ! チビ龍ちゃん、チビ龍ちゃーん! おいら、墜落しちまうよおおおぉぉぉ!!」
と、何か固いモノに体をぶつけてしまい、宣言通りに墜落しちまった。
固い石畳みに腰を打ち付けてしまい、悲鳴を上げる俺。
上半身を起こせば、チビ龍は俺の顔から退いていた。
俺は悪態を吐きながら、顔に巻き付けた布を取り去る。
「ハキュ、ハキュ!」
チビ龍はそんな俺の顔に頬擦りしてきた。
「何が、ハキュ、ハキュっだッ! ちみはホントに策士だな? え?」
チビ龍の頬を掴んで引っ張るも、上から物凄いプレッシャーを感じて凍りつく。
恐る恐る顔を上げれば――
「……あ」
水龍の顔が目の前にあった。
大樹の枝のように太い2本の角。
先の尖った鼻の先には風に揺らめく長い髭。
そして海の底のようなその眼はジッと俺を見つめていた。
俺なんて飴玉みたいに軽く飲み込まれちまう程のスケール感だ。
「あ……その、そう! み、見てください! 卑劣な人間らからお子様をお救いし、したのです!」
やだ、声が震えちゃう。
就職試験の面接だってこの現状に比べれば屁の河童よ。
「いやはや、ご無事で何よりです! 私もボロボロになった甲斐がありましたよ。ほら、とってもチャーミング!」
愛想笑いを浮かべながら、チビ龍を指し示す。
だが、水龍は無反応。こ、怖い!
「あー、まだ生まれたてですからね。えと、男の子かなぁ? 女の子かなぁ? あ、こういう時は生殖器を見れば判別できたりしてー……って、すいません、私は人型の生殖器しか知らないし、興味もないのでした。あ、人型と言ってもですね、まだ人間のしか見たことがないのですよね。他の魔族の人型……そう、例えばダークエルフとかサキュバスとか吸血鬼とか、ですね。彼女たちのモノならぜひ拝見したいモノです。あ、でもゴブリンとかオーガのは遠慮しときますわ、なんちゃって、アハハハハハ……」
相も変わらず沈黙する水龍。
「あー……あ! そ、そうだ。あなた様の鱗を見ていて私感動致しました! 1枚私めにお恵み頂きたいくらいですよ――あ、いや、引き剥がせとは言ってませんよ? いえ、違うのです。その、とにかくなんてお綺麗な鱗なんざましょう! いったいどんな鱗ケアをされているのですか? 海藻パックですか? 違う?」
もしかして石化してんのかね、この水龍。
「いやはや、いやはや、長旅でお疲れではないでしょうか? よければ、私がマッサージ致しましょうか? この魔手羅マッサージをお受け下されば、どのようなコリでも瞬時に解消できますよ! では、ちょっと準備の為に失礼を……そそくさ~」
俺はギコチナイ動きでその場から離れようと試みたのだが、水龍は短い咆哮を上げたので俺はその場に倒れちまった。
「ひえぇぇ! 食べないでええぇぇ! 俺はゼペットじいさんみたいになりたくねぇですよぉ!!」
水龍はさらに顔を近づけてくる。
ヤバイ! マジで食われる!
と、その時、水龍のその深い眼が微かに見開かれる。
俺はその目に吸い込まれるような感覚を覚えた。
だんだんと意識が朦朧としてくる。意識が沈み込んでいく……。
気づいた時には深い海の底のようなところに浮かんでいた。
周りは何もない、深い闇。
と、どこからともなく声が聞こえてきた。
変な、エコーが掛かっているような声だ。
『あなたは何を恐れられているのです? もうすぐこの世界を手に入れられるのですよ?』
男の声。
以前に見たヴィジョンの時に聞いた声だ。
『大海の主? あぁ、"グレート・ワン"の事ですか』
『――ならば、"神々"や"グレート・ワンズ"に対抗し得る方法をお教えしましょう』
『……"オーバー・ロード"を創り出すのです』
ナ
ゼ……マ……タ?
深遠なる闇の底。
"彼"は太古から存在し続ける。
意識と無意識の境界線。
"彼"には世界が、とても脆いモノに見えていた。
境界を守る者。
"彼"にはこの小さき世界を守る意志がある。
たとえ、主がいなくなろうとも……。
イ
シ
キ
ガ……
コ
ボ
レ
オ
チ
テ
イ
ク……
『やさしい娘ね、あなたは――』
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――――――
――
「あ……」
しだいに意識がハッキリすると共に疑問が沸き起こってくる。
グレート・ワンズって何だ?
オーバー・ロードって何だ?
声の男は誰なんだ?
話の相手は誰なんだ?
そもそも、このヴィジョンは一体何なんだ?
俺は上を見上げた。いつの間にか高い位置から俺を見下ろしている水龍と目が合う。
だが、彼女は何も語らない……。
ん?
彼女!?
なんでわかったんだ?
現数力は使ってないのに。だけど、直観した。この水龍は雌だ。そしてこのチビ龍もね。
俺は戸惑いながら水龍に目を向けた。
「――!?」
彼女の後方、湾を越えた先の中央広場の方から、光の槍が弧を描きながら高速で迫っていた。
あれは天奴ウ≪月光槍≫だ。
「危ないッ!!」
と、無意識の内に叫んでいた。
彼女もその攻撃を察知したのだろう。月光槍が来る方向に顔を向ける。
あぁ、そうか。
注意するまでもないじゃないか。
水龍には奴ウ力なんて効きもしない。
あの攻撃だって無傷で済むはずだ。
そう思っていた。
だが――
「GUGAAAAAAAAァァ!!」
月光槍は水龍の鱗を切り裂いた。
水龍は悲痛の叫びを上げながら血を周りにまき散らす。
下にいた俺にも彼女の血が振りかかった。
めちゃくちゃ熱い。
だが、そんな事は気にならない。
俺は中央広場の方に目を向けた。
誰かはわからない。
だが、戦艦や海坊主の攻撃でも傷一つ負わなかった水龍が、こうも簡単に負傷させられた。
どうやらヤバイやつが到着したらしい。




