「えっと、今のファースト様の名は……」
『――みなさん、今日並びに明日は、この街を救ってくださったファースト様に感謝を。そして、さらなる信仰をヲイドに捧げましょう!』
正午になりかけた頃、男の声が街全体に響く。
音源はそれぞれの広場にある噴水から湧き出る水のカーテンだ。そこには教会の奴ウ父の姿が映し出されている。
これは《水鏡》っていう奴ウ力なんだ。水を媒介にしていくつもの場所に映像と音声を伝える事ができる。
なんでそんな事を知っているかって?
そりゃ、今この瞬間《肉体学習》が発動したからよ。や、ホント便利。
んで、この奴ウ父とか言うおっさんは、さっきから夜海の仮面祭りの開会挨拶的なモノをしているのね。
仮面を着けた他の人たちは噴水にちゃんと向き直って真剣に聞いている。俺からしたら異様な光景だが、それが当たり前のようだ。
教会の権威ってヤツかね。
奴ウ父ってヤツらは聖地ヲイドニアから派遣されているらしいからな。特別なエリートども、みたいな?
奴ウ父の演説が終わると同時に、どこからともなく管楽器の音色が潮風に乗って辺りに響き始めた。
「綺麗な音だね」
とジーンキララ。
「確かにね。一体どこで演奏してんだろ?」
周りを見回してみれば、他の人々は水路の方に集まって行くではないか。
俺たちもその流れに乗る事にした。
「よっ! お待たせ!」
と背後からルシアンの声。
振り返ると、仮面を着けた3人がいた。
クリスはモスグリーンのシンプルなハーフマスク。ダルは木製の幾何学模様が彫り込まれたフルフェイス。
そしてその隣にライオン頭のヤツがいる訳だが。
「ライオン……丸」
なんというシュールな光景だろうか?
他の2人がまともな分、ルシアンのそのライオンマスクが異様な個性を放っていた。吹き出すのを堪えるのは困難だぜ。隣を見ると、ジーンキララも同じ葛藤に苦しんでいるようだ。
「これから水路のパレードがあるんだ。だから俺たちも観に行こうぜ!」
と、ライオン頭。
「ん? 2人ともプルプル震えてどうしたんだよ?」
ライオン頭は俺たちの様子が変な事に気づき、訝しげな視線(仮面で見えないから、あくまで俺の想像)を送ってくる。
「ルシアン、察してあげて……」
クリスが助け舟を出してくれる。
「はぁ? 何をだよ?」
しかし、ライオン頭は首を傾げるだけ。
俺たちはとうとう吹き出してしまった。
◆
街全体に響き渡る音楽は、水路を巡回するゴンドラから流れていた。そこには数人の奏者が見た事もない楽器で演奏している。
「なぁ、昼飯にしようぜ」
とルシアン。
確かに腹が減った。
ってなわけで、俺たちは露店が立ち並ぶ小ベネル広場に戻った。
「去年も食べたんだけどさ。サウサリウスの美味しい食い物があるんだ」
ルシアンがキョロキョロ見回しながら言う。
「あ! あった、アレだ」
彼が指す方には真っ赤なテント。
立て掛けてある看板には【溶岩饅頭】と書いてある。
「めっちゃ熱いけど、美味いんだ」
人数分の饅頭を買い、いざ食べようとするのだが、
「あ、あれ? 仮面が取れない!」
ルシアンは懸命にライオンマスクを取ろうとするのだが、ちょうど鼻の辺りに引っかかっており、取る事ができないのだ。
「ちょ、手を離せば下にずり落ちてくるし。これじゃ食えないよ!」
と嘆くルシアン。
仕方ない。
「俺が食わせてやるよ、アンルチ」
「ホントか! よし、じゃあ、マスクは俺が抑えてるから、口の辺りに饅頭を……」
「わかってるって」
饅頭を半分に割ると、熱い湯気が立ち昇る。その半分をルシアンの口元へと近づける。
「……なぁ、ちゃんと口元に運んでくれよ? それめっちゃ熱いんだからな? 絶対だぞ?」
「……わかってるって」
今のはフリと考えてよろしいか?
「……あ、手が滑った」
「ああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
◆
ルシアンにとって悲劇的な昼食を終えた後、水路に沿って歩き始めた。
水路には定期的にゴンドラが周回しており、華麗な音色を街に響かせている。
俺たちが向かっているのは、クリスが見習いとして入っている装飾店だ。
なんでも、祭りという事で特別にクリスの作品が販売されているらしい。
「へっ! どんなに下手くそか見に行ってやるよ」
などとルシアンは言う。わかりやすいヤツめ。
装飾店の前には臨時の飾り棚が据えられており、そこにクリスの作品が飾ってあった。
ブレスレットやペンダントなど、素人からしたら上等に思える。
「へぇ、クリスちゃんすごいよ!」
とジーンキララ。
クリスは顔を赤くして礼を述べた。
店内から2人の人物が出てきた。
1人は店員、もう1人は背の高いショートカットの女性。仮面は着けていない。
店員はクリスの方を指し、もう一方は頷いている。
「なんだろう?」
とルシアン。
すると、ショートカットの女性がクリスの方に近寄ってきた。
その手にはクリスが作ったブレスレットが握られている。
「これはあなたが作ったの?」
と女性がクリスに問い掛けた。クリスは遠慮がちに頷く。
「そうなの……」
彼女は何か思案している様子でブレスレットを眺めている。
クリスは落ち着かなげにその女性の姿を見つめた。
自分オリジナルの作品、しかも処女作だからな。クリスの期待と不安もよくわかる。
「ねぇ、あなたのお名前は?」
女性が不意に顔を上げ、クリスに問い掛けてきた。
「は、はい! クリスソフィア・ルイスです!」
頓狂な声で答えるクリス。だが、女性は全く意に介さず噛みしめるように頷く。そして、
「ではクリスさん。これを頂いていくわね?」
「えっ?」
クリスはキョトンとした顔で固まっている。
その様子が可笑しいのか、女性は軽く微笑みを浮かべている。
「えと、あの、つまりご購入という事ですか?」
「もちろんよ」
クリスはシドロモドロしながら頭を下げた。
「あ、ありがとうございますッ!」
女性はニッコリ微笑んでブレスレットを掲げた。
「こちらこそ。良い旅のお土産になるわ」
顔を上げたクリスの顔はすっかり綻んでいた。緊張が解けたのだろう。
「良かったな、クリス」
クリスはニッコリと笑みを浮かべて頷いた。
◆
それから数時間後。
すっかり日も暮れ、辺りは街灯の明かりや松明の炎で照らされている。
夜のパレードがもうすぐ始まろうとしていた。
俺たちは船頭のソニエに誘われてパレードに加わる事になっていた。
ゴンドラ乗り場に向かうと、ソニエが待っていた。彼女は羽飾りの付いたハーフマスクを着けていた。
「よーし、みんな揃ったね。1人新入りが加わっているけど、乗員は大丈夫よ」
ジーンキララも一緒に乗る事になっていた。
「あ、でもダルグレンは船が苦手だったわね」
とソニエは言ったが、
「ぼ、僕も乗ります!」
とダルは答えた。
「え? でもダルは――」
舟が苦手だろ? と続けようとしたのだが、彼はまるで一大決心をしたかのような面持ちで下のソニエのところに向かう。
俺がポカンとしていると、ルシアンがニヤニヤしながら俺の肩に手を置く。
「おうおう! 憧れの女性の為に苦手な舟旅に臨むとは、ダルも男だよなぁ」
「えっ?」
それってつまり……。
「ダルは性的な意味でソニエさんの事が好きなのか?」
「性的とかお前……純粋な恋愛感情だよ」
「へぇー!」
意外だ……でもないか。
ダルみたいなオットリしたヤツには年上のお姉さんが似合ってるしな。
ゴンドラに乗り込もうとしているダルを、ソニエが手助けしている。
「ちょっと大丈夫ー?」
「は、はい、大丈夫です!」
「めっちゃ震えてるけど……でもまぁ、心配ご無用よ。なんせあたしが漕ぐんだからね」
「は、はいッ!」
懸命に余裕を見せようとするダル。
少年よ、まぁ、頑張れ。
◆
俺たちの周りにも他のゴンドラがゆったり進んでいる。
その内の1つには一つ目の仮面を着けた人物が乗っている。確かヲイドのマークだよな。
その事についてルシアンに尋ねてみると、
「あれはユグベリタス様の仮装だよ。海の怪物から街を救ったユグベリタス・ファースト様」
「へぇ。ユグベリタス様、ねぇ」
そうか、そりゃファーストにだって名前はあるよな。
こうなると、気になるのは今現在のファーストの名だな。
「えっと、今のファースト様の名は……」
「ゼムリアス様だろーが」
常識だろ? というニュアンスでルシアンが教えてくれた。
そうかそうか、我が宿敵尤者の名は、ゼムリアス・ファーストってのか。
俺は不意にすぐ下の海面に目を向けた。
周りの灯に照らされた海面には、微かに俺の顔が映っている。
仮面を着けたその顔は、どこか化け物じみて見えた。
瞬間、背筋に冷たいモノが走った。
嫌な予感がする。
海に潜む怪物。
今この瞬間も暗い海底で俺たちの事を見張っているのではないか?
ふとそんな考えが浮かんだ。
こうして祭り1日目は終わり、問題の2日目が始まる。




