「滝の裏の秘密基地、王道やね!」
翌日の早朝、俺はベネルフィア大門から外へと出た。
入る時とは違い、すぐに外へと出る事ができた。
これからシャーナたちと合流する。ポーに改めて部分変態をしてもらう必要があるのだ。
ま、実際は自分でできるんだけどね。
街道を進んでいると、前から伐士らしき男たち2名がやって来る。淡い緑色のジャケット、腰には伐士帯を身に付けている。腰付近の雷銃が朝日を反射していた。
俺は軽く頭を下げる。
伐士たちは頷き、俺の横を通り過ぎた。
ふぅ、別に緊張する必要もない――
「おい、君」
へ?
背後の伐士の1人が声を掛けてきた。
「はい!……何でしょう?」
「この周辺海域で、魚人が活発な動きを見せているんだ。決して海岸には近寄るなよ?」
「あ、はい」
「それだけだ。ヲイドと共に」
「ヲイドと共に……」
伐士は軽く手を振って街の方に向かって行った。
正直、ビビったぜ。
魚人に気をつけろ、か。
そういや、エステルさんも昨日言ってたな。
ま、海岸には近寄るつもりはないし。
しばらくは街道を進んだ。左手は深い森になっている。
確かこの辺りの手筈だったけど……。
「ワンっ!」
突然、犬の鳴き声が聞こえた。
キョロキョロと周りを見回すと……いた!
森の手前に灰色の犬が佇んでいる。シェイプシフターのポーだ。
俺はゆっくりとした足取りでポーに近づいた。
「久しぶりだな、ポー」
「お久しぶりです、ダーティさん。人間の気配はありません。私に着いて来て下さい」
ポーは尻尾を振りながら森の中へと入って行く。俺もその後に続いた。
それから1時間、道無き道をひたすら進んだ。木の根を飛び越え、枝を潜り、軽々と進むポーの後を追う。
俺も犬になりたい……そう思っていると、どこからか水の流れる音が聞こえてきた。
「もうすぐです……」
ポーはそう言って足取りを速めた。
いくつかの木を横切ると、開けた場所へと出た。
目の前には川ではなく、高さ20メートル程の滝があった。
水しぶきが顔に降り掛かる。何だか空気が澄み切っているようだ。
「こっちです」
ポーは崖下の足場から滝の裏へと向かう。
俺は滑らないよう崖に手を突きながら滝の裏へと向かった。
チラッと滝壺に目をやると、叩きつけられた水が泡となって渦巻いている。
「それで、滝の裏の秘密基地にはどうやって入るんだ?」
裏側にはゴツゴツとした岩があるだけだ。
ポーは一度目を向けると、前足を高らかに掲げて岩にペタンと付けた。すると、岩が滑らかな動きで横にズレて、洞穴が姿を現した。
なるほど、魔力認証式ってわけね。
「行きましょう」
俺たちは洞穴の中へと入って行った。
滝の裏の秘密基地、王道やね!
ピチャ、ピチャ――。
水滴が天井から落ちてくる。
「わっぶっ!」
ちょうど俺の鼻の頭に落ちてきた。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫。けど、まだなのか?」
暗い洞穴の中、俺は燃え盛る魔手羅を松明代わりにしていた。コブリンの《火纏爪》を使ってね。
だけど、ずっと下り坂になっていて、少し不安になってきた。
「心配要りません。ほら、もう着きますよ」
ポーが示す先、十数メートル下に淡い光が見えた。
「あれが私たちの拠点【水底の月】です」
水底……月……?
俺たちは残りの坂を下った。
地下に降りる事に光に包まれるのだ。不思議なもんだ。
洞穴の底へと出た。
「ほへー!」
眼前には広大な地底湖が広がっていた。
澄み切った水の中から青白い光が放たれており、それが地下空間を照らし出していた。
良く見ると、湖の底に巨大な光の塊が鎮座している。
水底の月、か。言われてみれば、確かにそう見える。
右手側には石造りの建物がある。一階建てで、横に大きく広がっている。あれが拠点なのだろう。
左手の湖を眺めながら建物へと向かった。
石の階段を登り、門を潜ると、
「ダーティ!」
ダークエルフのシャーナが出迎えてくれた。青白い光に彼女の銀髪がキラキラと輝いている。今までみたいにポニーテールにはしておらず、髪は下ろしていた。これはこれで新鮮で良い。ただ、残念な事に露出が多い服装は、茶色いマントで隠されていた。
「シャーナちゃん! 久しぶり! 相変わらずエロ……お美しいなぁ」
「はぁ、お前も相変わらずみたいね」
シャーナは呆れたように首を振る。
まぁ、久しぶりと言っても、ほら貝のペンダントで連絡は取り合っていたのだけどね。
「ところで、どうしてそんなマントを着ているんだい、シャーナ? 俺は憤っているのだよ! 君の魅力を半減してしまっているぞぃ!」
「はぁ? だって寒いんだもん。仕方ないでしょ?」
ん?
あ、確かに寒いな。そっか、地下深くだから寒いのも当然か。
「いやしかしだね、それではダークエルフの特性が死んでしまっている。アイデンティティーの為にも今すぐマントは脱ぎ捨てるべきだッ!」
「嫌よ。お前の言う特性なんかより、寒さを防ぐ方が大事なの」
「寒いのなら、ほら! 俺と抱きしめ合おう!そうすれば暖かくなるぜぃ!」
「はぁ? バッカじゃないの!まったくお前は――」
「あの、そろそろ行きませんか?」
ポーの遠慮がちな一言で、シャーナは我に返った。
「そ、そうね、ありがとうポー。ほら、行くわよダーティ」
シャーナに導かれて扉を潜り、建物内へと入った。
この拠点にはバックアップ要員以外の魔族もいるらしい。狭い通路で、吸血鬼やオーガ、その他魔族とすれ違った。
俺たちは通路を進み、一つの部屋へと入った。
円形のテーブルが置かれた部屋で、壁には地図が貼り付けられていた。この地域だけを拡大した地図のようだ。
「ここに座って待ってて。お姉様を呼んでくるから」
「私も少々失礼します」
そう言って、シャーナとポーは部屋から出て行った。
俺は椅子に座り込み、テーブルに肘を突いた。
さてさて、ジーンキララの事について探りを入れてみないとな。
果たしてシャーナたちは彼女の事を把握しているのだろうか?
知っていたとして、俺がその事実を匂わせたら、何かしらの反応を示してくれるかな?
セリスはまぁ用心深そうだけど、シャーナの方だったら期待できるかも。だってあの娘、隠せない性格だもんな。
だが待てよ。今この時も、俺に対する応待について打ち合わせしているんじゃ……?
うーん、最悪な展開じゃないといいけど。
そんな事を考えていると、セリスとシャーナ、ポーが部屋に入って来た。
ポーは犬の姿ではなく、お世辞にも綺麗とは呼べない元の姿に戻っていた。
「久しぶりね、ダーティ」
セリスが笑い掛けて来た。
「うん、ひっさしぶりー! 俺に会いたかったかいセリスちゃん?」
「えぇ、そうね」
セリスもシャーナ同様、マントを身に付けていた。
なんか隙が見えないようで、やり難いなぁ。でも、変わらない態度で臨まないと……。警戒されたくない。
「それじゃ、早速だけどポー、お願いね」
「はい」
ポーは俺の真ん前に立った。
「ダーティさん、顔の力を抜いて下さい。それじゃ、失礼します」
ポーの指が俺の顔に触れる。すると、何かが顔に流れ込んでくる感覚。部分変態の更新だ。アルゴン・クリプトンの顔を保つ為に。
「はい、終わりましたよ」
ポーは満足げに俺の肩を叩いた。
「ありがとうポー。案外早かったな」
俺がそう問い掛けると、ポーは頷いた。
「えぇ、顔の維持の為に私の魔力を流し込むだけですからね」
ポーはセリスたちに目配せした。
「では、私はこれで」
「えぇ、ご苦労様、ポー」
ポーは軽く会釈して部屋から出て行った。
「さてと……」
セリスとシャーナは俺と向かい合うようにして腰を下ろしている。
「定期的に連絡は受けてはいるけれど、念の為にこれまでの事を報告してくれる?」
俺は頷き、街に入ってから知り得た情報を伝えた。
「……どうやら一般庶民の間には【静寂の森】の出来事は伝わってないみたいなんだ」
そう、誰もその事について話しもしていないし、さり気なく聞いてみても不思議な顔をされるだけだった。
「……と言う事は、伐士団は水面下で事を進めている可能性があるわね」
セリスが思案げにそう言った。
「うん、俺もそう考えてさ。ベネルフィア伐士隊の第2支部に何らかの資料がないか調べてみるつもり」
その為に、近くの部屋を借りたんだからな。
「どうするつもりなの?」
シャーナが首を傾げる。
「今度養成所でその第2支部を見学するんだよ。そこで下見をして、侵入する方法を考えてみようと思うんだ」
俺の言葉にセリスは難しい顔をする。
「侵入? まぁ、悠長にやってられないものね。でも、失敗したら全てが台無しになるし、魔人の存在が人間たちに知られてしまう。リスクも大きいわね」
「うん、だから無理はしないよ。難しそうなら別の方法を考える」
「わかった。その場合は私たちも可能な限りフォローするから」
やるんなら夜中だよな、やっぱ。
その場合は念の為に顔も変えておこう。って、それじゃ怪人何十面相みたいだな。
「それで、他に報告する事はある?」
とセリス。
うーん、何かあるかなぁ。ジーンキララの事はもちろん言うつもりはない。となると――。
「あ、そう言えば、この近くの海域で魚人たちの活動が活発化しているんだってさ。何か聞いてる?」
セリスとシャーナは顔を見合わせた。
「えぇ、その情報はこっちにも入ってる」
何だか2人とも苦々しげだ。
「えっと、彼らは何かの作戦で動いているの? 一応、俺も把握しておいた方がいいだろ?」
「いえ、違うのよダーティ」
え? 何が違うんだ?
「魚人はそもそも魔王軍に入ってないのよ」
「え、そうなの?」
じゃ、彼らはハグレ魔族みたいな存在って事かな。
「魚人……いえ、海に住む魔族はみな魔王軍じゃない。彼らは好き勝手に行動している」
とセリス。
「海は大海の主の縄張りだからね。魔王様も深く介入する事はできない。だから、魚人たちは魔王様に従わないし、時には邪魔してくる事もある」
はぁ、大海の主ね。
つまり、魚人どもは虎の威を借る狐って事だな。
「海に住む魔族を味方にできたら、人間たちの海洋航路を押さえる事ができるんだけどね」
セリスは苦笑した。
ふむ、海の魔族どもか。
利用できそうだな……。
「まぁ、とにかく、彼らは味方じゃないから気を付けて」
「オッケー」
セリスは頷くと改めて背筋を伸ばした。何か別の話をするつもりらしい。
「……ねぇダーティ、あんたは人間に対して親しみを感じてる?」
「ちょっとお姉さま! それは――」
シャーナを手で制し、セリスは再度問い掛けてきた。
「仲間意識は芽生えてない?」
どうしてこんなにしつこく問いただすのだろう?
「……それってさ、俺以前の魔人でそうなったヤツがいるって事かな?」
逆に質問してやった。
ちょうどいい。この流れに乗ってジーンキララの事を探ってみるか。
「いいえ、いない」
いない……?
ならなぜ、俺に対してこんな……やっぱり疑われているのだろうか?
「じゃあ、どうしてそんな心配を……?」
すると、セリスは躊躇いがちに視線を逸らせた。
「あんたは……他の魔人と違って、より人間的なモノの考えをしているから」
まぁ、前世はただの人間だったからな。
「だから、人間に親しみを感じてもおかしくない。私はそう考えている」
セリスは視線を真っ直ぐ俺に向けた。
正直当たってはいるけどね。さて、どう答えるか。
「うーん、正直言うと、確かに親しみを感じる人間もいるよ。でも、俺は割り切っているつもりだよ。必要とあればどんな事でもするつもりだ。この前答えたようにね」
「……そう」
セリスはゆっくりと噛みしめるように頷いた。
「……まぁ、1人で情報収集するってのは中々プレッシャーもあるんだよね。他の魔人を応援として呼ぶ事はできないの?」
チラッと2人の顔を眺めてみた。特に変わった反応はしていないな。
「それは難しいわ。魔人の存在は少数だし、他の街の潜入だけで手一杯だから」
とシャーナ。
まぁ、この程度でボロは出さないか。
「そうだよね。うーん、でも何だか不安になる事があるんだよな。例えばある人間に対して、こいつはひょっとして魔人なんじゃないか? とか思っちゃう事があるんだよねぇ」
ちと踏み込んでみた。
「はぁ、何それ、大丈夫? 人間たちの前でうっかり魔人の事を話したりしないでしょうね?」
シャーナが呆れたように言う。
うーん、特に変化なしだな。彼女たちには知らされていないのだろうか?
「ほら、俺たち魔人ってお互いの顔を知らないだろ? だからもしかしたら、秘密の任務で潜入した魔人と俺がバッタリ鉢合わせ、みたいな? その場合ややこしくなるじゃん?」
めちゃくちゃ踏み入ったな。そろそろ止めとかないと……。
「それは無いわよ。その辺は将軍方が上手く調整してくれるはずだから。ね、お姉さま?」
「えぇ、そうね……」
むぅ、これでも反応なしか。それとも演技か……わからん。
もう! 読心の魔鬼理とかあればいいのに!!
「ダーティはダーティの任務をこなせばいいの。安心しなさい、私たちがちゃんとサポートしてあげるんだから!」
シャーナが胸を張って言う。
……少なくともシャーナは無関係っぽいな。




