「俺は戻ってきたのだ、【巨神ガメの甲羅】に」
ワイバーンの編隊が城壁上の通路へと降り立つ。
内には壁に隣接した塔と1階建ての建物がポツンと佇んでいるのみだ。
ここは北の【巨人の指輪】が設置されている砦。
あの時は目隠しされていたけど、ようやく実物の指輪が拝めるぜ。なんせ、大陸間転移装置であり、人間と魔族の争いの元凶だからな。
「ダーティ、悪いけど、リリーを起こしてくれる?」
「了解です!」
後ろのリリアンナを見やった。
「スー、スー、スー……むにゃ、むにゃ」
可愛い寝顔だ。
リリアンナは、俺とレーミア様が話しているうちにいつの間にか眠ってしまったのだ。あんなに揺れるワイバーンの背でよく寝れるもんだ。尊敬しちまうよ、おいたん。
「スー……スー」
さて、どうやって起こそうかな?
そうだ、耳に息を吹きかけよう、そうしよう!
俺はリリアンナの耳元に顔を近づけた。だが、
「……普通に起こして」
レーミア様の凍てつく視線により、断念せざるをえなかった、無念。
ワイバーンから降りると、シャーナがコチラに近寄ってきた。
レーミア様は砦の兵士と何やら話をしているので、ここで少し待つ間、雑談でもしておこうかな。
「ワイバーンに乗り続けていると、何だか平衡感覚がおかしくなるわね」
シャーナは気怠そうに伸びをする。
「そうかな? シャーナちゃんは空を飛ぶのは苦手なの?」
と、尋ねると、彼女は困った顔をする。
「んー、苦手ってわけじゃないんだけどねぇ……やっぱり私はバイコーンに乗る方がいいかな」
「まぁ、わからなくもないね」
俺たちの脇を西方将軍ファントム一行が通り過ぎて行く。
ファントムは俺たちに顔を向けると爽やかな笑みを浮かべた。
「お疲れ様!」
俺とシャーナは頭を下げる。
彼らは中庭へと直接通じる階段を下りて行った。
その次にイーティスちゃんが俺たちの脇を通り抜けようとする。
「やぁ、イーティスちゃん! 飛行機酔い、じゃねぇ、ワイバーン酔いはしなかったかい?」
「……別に」
彼女は素っ気なくそう言い、通り抜けようとしたのだが、シャーナちゃんに目を留めると立ち止った。
再び俺にそのエメラルド色の目を向けると、
「あなた、臭いますわ。近寄らないでくれません? 雌獣の臭いがプンプンします」
などと、シャーナちゃんに聞こえるように言う。
おや?
「ねぇ、それって私の事?」
シャーナちゃんが睨みながら言う。
「……さぁ」
イーティスちゃんは肩を竦める。だが、その目は意地の悪い光を湛えていた。
おやおや?
俺は2人を交互に見比べる。
そして、イーティスちゃんに向き直った。
「じゃあ、体を洗って臭いを落とせば、イーティスちゃんにすり寄っていいんだね? いいんだね!?」
と言いつつ、イーティスちゃんにすり寄る。
「はぁ? もう! どいてください!」
イーティスちゃんは面食らって、俺を押し退け、さっさと行ってしまった。
その後ろを姿をニヤニヤしながら眺めていると背後から、
「ちょっと、今のどういう事? お前も私が臭いって言いたいの?」
シャーナの怒気の籠った声。
「いやいや、とんでもない。シャーナちゃんはいい匂いだよ。ほら……くんくん、くんくん……うん、間違いなく魅力的な香りだ。どれ、もう少し下の方も――くんくん」
「ちょ!? どこの匂い嗅いでんのよ、バカッ!」
「あ痛て!」
デコピンされてしまった。
「まったく、お前はいつもそんな変態的な行動して……」
仕方ない。
ソレが男の性よ。
「それにしても、さっきは穏やかじゃなかったね? あの娘とは仲が悪いの?」
シャーナは首を振る。
「別に、あいつに限った話じゃないわ。ダークエルフとハイエルフ。こっちは低魔、あっちは高魔、似た種族でもその溝は大きいの」
ふーん、やっぱりか。
髪と肌の色が違うだけで、他はほとんど同じなのにな。
って、俺の元いた世界も同じだったか。肌の色が大きな差を生む。
「私たちも行きましょう」
背後からレーミア様の声。
俺たちもファントムやイーティスちゃん同様、中庭へと通じる階段を下りて行った。
階段の下にはあの1階建ての建物がある。
扉の横には魔族の兵士たち。
あの中に転移装置【巨人の指輪】があるのだ。
ワクワクするね!
俺たちが扉を潜ると、横の兵士たちが頭を下げた。
中は薄暗く、肌寒い。
建物の中で唯一発光している物体。
建物の中央に佇むソレは、大きな石のリングが半円になった形をしている。大きさはは直径10mくらいだろうか?
半円の空洞の部分には青い揺らめきが漂っており、それが部屋を照らしだしているのだ。
「指輪って言うから、てっきり完全な円形なのかと思ってたよ」
隣のシャーナに話しかけた。
「まぁ、そうよね。私もよくはわからないんだけど、この中央大陸の物と北大陸の物で1つのリングを形成しているんだって」
「へー」
目の前の指輪を見ていると、ふと疑問が浮かんだ。
「ねぇ、シャーナちゃん、前に言ってたよね? ハグレ魔族の事だけど、彼らはここから北大陸に逃げて行ったの?」
よく見ると、壁の四方に見張りが立っている。そんな事はできないと思うのだが……。
「違うわ。彼らは海から逃げたの」
「海? 船を使って?」
「そう思う?」
「いや、違うな。ただの船なら魔王軍が逃がすとは思えない。魔王軍が手を出せない状況、それは大海の主が関わっていたから、とか?」
「ご名答。あの主の気まぐれってわけ。彼の配下の者がその巨大な背に乗せていったわけよ」
「なんだ、海を割ったわけじゃないのか」
「は?」
「いや、何でもない」
俺たちは指輪の中へと入って行った。
まずは、セリスとポー。次にリリアンナとレーミア様、最後に俺とシャーナ。
指輪を潜ると、青白い揺らめきが頬を撫でる。何となくひんやりとした感触だ。
最初の数歩は何とも無い。だが突然、頭がクラクラしてくる。足下の固い感触が消え去り、宙に浮いているような感覚に陥る。
光が周りを飛び交っている。
それは星の光のようであり、蛍の光のようであり、生命の輝きのようであった。
目の前で火花が飛び散る。
頭がグルグル回り出す。遠心力でバラバラに吹き飛びそうな感覚。
そして、足下に固い感触。
光はしだいに消えていく。
目の前が再び薄暗くなる。
「さぁ、着いたわよ」
シャーナちゃんの声。
俺は周りを見回した。
何ていうのだろう?
ローマ劇場みたいな場所だ。
中心には【巨人の指輪】。
その周りを円形に取り囲む階段。
前は目隠しをされていたけど、たぶん同じ場所だ。
俺は戻ってきたのだ、【巨神ガメの甲羅】に。
◆
「お、レーミアじゃねぇか!」
そう声を掛けられたのは、指輪の部屋から階段を登り切り、回廊へと出たところの事だ。
俺たちが振り向くと、そこにいたのは北方四将軍の1人、オーガ族のトゥーレとその部下たちだった。
どうやら、部下たちも同じくオーガ族らしく、赤髪で、トゥーレ程ではないにしろ巨体で筋肉質だった。女のオーガもね。
「ご苦労だったな、今戻ってきたのか?」
「えぇ、そうよ。お前たちは?」
トゥーレはポリポリと頭を掻いた。
「こいつらの報告を受けてたんだ。王都付近まで偵察に出ていたヤツらでよ。今から労いの為に飲みに行こうと思ってな」
王都付近まで偵察?
確かに、トゥーレ以外のヤツらは何か薄汚れてんな。汚ねぇ、飲む前に風呂でも入れよ。
「そうだ! レーミア、お前たちもこれからどうだ?」
トゥーレの言葉に他のオーガたちも賛同の声を上げる。
何言ってんだコイツら……。
こっちは疲れてヘトヘトだっての。
「そうねぇ、私は遠慮させてもらうわ」
ほら!
さすがレーミア様。
「他のみんなは好きにしなさい……ただしリリーはダメよ、お酒はまだ早いんだから」
「ふぇ~!?」
参加するつもりだったのか、リリアンナちゃん。
「ボードゲームで一緒に遊んであげるから、ね?」
「え? ホントですかぁ!? わーい! レーミア様と遊ぶの久しぶりですぅ」
はしゃぐリリアンナの頭を撫でながら、レーミア様がコチラを見る。
「で、お前たちはどうする? 別に遠慮しないでいいのよ? 今日くらい羽目を外しなさいな」
て、言われても。
「私は……参加しようかな」
そう言ったのはセリス。
「え!? お姉さま、行くの?……じゃあ、私も」
なんと。
おいおい、これじゃ、海を越えた先の兄貴が号泣しちまうよ。
結局、俺たちの側から飲みに行くメンバーは、
シャーナ、セリス、俺。
ん?
え!? 俺も!?
なぜこうなった?
「じゃあ、行こうぜ!」
トゥーレの呼びかけにオーガたちが歓喜する。
「楽しんできなさいね」
レーミア様はそう言って、リリアンナとポーを引きつれて回廊の先へと歩いていった。
「ちょ、俺!」
「行こうぜ、魔人さんよ!」
俺はオーガたちに担ぎ上げられ、回廊を突き進んだ。
「まってぇくれー!!」
俺の叫びが回廊に響き渡る。




