『やっとあなたに≪金の記憶≫ましたね』
ロディマスとダーツはその日、馬車に乗って巡回任務を行っていた。
ダーツは窓の外を眺めていた。
右手にはノーヴ山脈という大きな山が横たわっている。
山にも街道が走っており、彼らの巡回にも該当していたが、そう滅多に利用される道ではなかった。
しかし、今日はこの辺りを回ろうとロディマスは言った。
特別何かあるわけでもないのに、とダーツは不思議に思っていた。
視線を隣に座るロディマスに向けると、彼は不安な顔つきで手元の水報板を見つめていた。
別に覗き見するつもりはなかったが、そこには笑顔の女性が写り込んでいるのが見て取れた。
「ん? どうしたギュロッセ?」
ダーツの視線に気づいたロディマスが尋ねてきた。
「いえ、別に」
「あぁ、この人のことかい?」
彼は水報板をダーツの方に向けた。
そこには黒髪の美しい女性が笑顔を向けていた。
「彼女はエミリカ。装飾細工の職人さ」
水報板をよく見てみると確かにその手には加工する為の道具のようなモノが握られている。
「へぇ、あなたの恋人なのですか? 真剣に見つめていたようでしたが」
「その通りさ」
ロディマスは意外とあっさり認めた。
「驚きました。これまでそんなことを話したこともないじゃないですか」
「まぁ、彼女は今はカルスコラではなく王都に住んでいるからな。紹介できなかった」
王都キュロア。
ダーツもこれまでほんの数回しか行ったことがないが、どこよりも発展した都市だった。
そんな所に住んでみるのも悪くないなと彼は思った。
「それで、何です? そろそろ結婚の申し込みでもしようと考えていたのですか?」
ダーツは茶化すように言った。
「結婚かぁ。どうやら私にはその勇気はないようだ」
「振られるのが怖いのですか?」
ダーツは冗談のつもりで言ったのだが、ロディマスは深刻な顔つきで黙り込んでしまった。
「一体どうしたんです? 今日はどうにも様子がおかしいですよ?」
上官は寂しげな笑顔をダーツに向けた。
「ギュロッセ、どんなことがあっても生き残れ。相対する相手が誰であれ、躊躇うな」
「一体何を――」
ダーツがその言葉の意味を尋ねる前に、街道伐士専用の水報板から警報が鳴り響く。
『緊急連絡です! コーヴ山脈から救難の風奴ウを検知しました!』
この連絡は街道伐士所有の情報収集馬車からのモノだった。
街道で魔族の襲撃を受けた際などに特殊な風奴ウである種の救難信号のようなモノを送る仕組みになっていた。
その信号を受信するのが情報収集馬車だった。
『指示を願います隊長!』
隊員が指示を請うが、ロディマスは顔を真っ青にして座り込んでいた。
「なんてことだ……」
「ロディマス!」
ダーツの呼び掛けに彼は我に戻った。
「部隊員に告げる。ノーヴ山脈の麓にて待機せよ。私とダーツで山の様子を偵察する」
そのロディマスの言葉にダーツを含めた他の隊員たちは困惑した。
この場合に2人以外の隊員を待機させる理由などあるのだろうか?
「しかし、ロディマス……」
「これは命令だギュロッセ!」
異論を挟もうとしたダーツだが、ロディマスの威圧的な物言いに思わず言葉を失った。こんな彼を見るのは初めてだった。
「……すまない。だが、頼む、私の指示に従ってくれ」
誰もがロディマスの異常な態度に只ならぬモノを感じていたが、異を唱える者はいなかった。
「よし、行こう」
ロディマスのその声を合図に馬車に乗っていた隊員たちが次々と外へと飛び出していく。
風奴ウで空を滑空し、一気に山の麓まで駆け抜ける。
他の隊員たちは麓で降りていく。そしてダーツとロディマスはさらに上昇し、山の中腹に走る街道へと降り立った。
「信号はこの付近から発信されたようですが、見当たりませんね」
舗装された道の周辺には灰色の岩や石ころばかりで特に変わったところはない。が、ダーツは違和感を覚えていた。そしてすぐにその正体を悟った。
救難の風奴ウを発する程の状況だったはずなのに辺りに変化が無さすぎる。争った形跡などが全くないのだ。
その静寂さが、かえってダーツを不安にさせた。
「信号の発信場所がズレていたのでしょうか?……こちらダーツ、確認したいことが……」
ダーツは麓で待機している隊員たちに連絡を取ろうとしたのだが、水報板がまったく反応しなかった。
「これは一体? ロディマス、水報板が」
「あぁ、私のもだ」
その時、突然頭の中にズーンという低重音が鳴り響いた。
ダーツは頭を抑えて周りを見回したが、敵の姿は見当たらない。
音はそう長く掛からないうちに鳴り止んだ。
ダーツは再び水報板を覗き込んだが、やはり停止したままだった。
「ロディマス、どうにも様子がおかしい。ここは一旦麓まで戻りましょう」
そう提案したが、ロディマスは首を振る。
「それはできない、ギュロッセ。どうやら手遅れだったようだ。ここからは私一人で行く」
「何を言って――」
ダーツは思わず目を見張った。
ロディマスの背中から黒い腕のようなモノが飛び出していたのだ。
そしてそれは蛇のような動きでダーツに襲いかかってきた。
彼は視界を奪われ、そして意識が遠のいていった。
それからしばらくしてダーツは目を覚ました。
辺りにはロディマスの姿は見当たらない。
水報板に目を向けると、今度はちゃんと起動していた。
ダーツはまずロディマスに連絡を試みたが、通じなかった。なので、麓に待機している隊員に連絡してみた。
『あぁ、ダーツか! 無事なのか?』
水報板から安堵と戸惑いが入り混じった隊員の声が聞こえた。
『さっきまで連絡ができなかった。何が起きているんだ? ロディマス隊長は一緒じゃないのか?』
ダーツはただ「いいえ」と答えるだけに留めた。
彼が意識を失う前に見たロディマスの異形な姿。あれではまるで魔族ではないか。
もしかしたらあれはシェイプシフターだったのか?
それはありえなかった。シフターは人間に変態できるだろうが、奴ウ力は使えない。一緒にいたロディマスは確かに奴ウ力を使っていたのだから本物に違いない。
「隊長とははぐれてしまいました。どうにも異常な事が起きているようです」
『そのようだな。既に他の部隊に応援を要請した。我々もそちらに向かう』
水報板越しに隊員は「そこを動くな」とダーツに釘を刺した。
言われなくても彼はその場を動くつもりはなかった。
しかし、彼の足は自然に動いていた。
最初はゆっくりとした足取りで、徐々に歩を速め駆け足になる。
なぜ、そうしているのか、本人にもわからなかった。まるで見えない力に引っ張られるようにして彼は街道を走った。
ロディマスは、呆気ない程すぐに見つかった。
彼は街道から外れた巨大な岩の一つに立ち尽くしていた。
その背中からは例の黒い腕が4本飛び出している。
ダーツは無意識の内に伐士帯の雷銃に手を掛けながら、ゆっくりとした足取りで近づいていく。
不意に彼がこちらを向いた。その血走った両の眼はダーツに向けられる。
「ロディマス……」
呼びかけてみるが、反応はない。
ダーツはロディマスに注意を向けながらも岩の下に目を向けた。するとそこには馬車らしきモノの残骸が散乱していた。
ダーツは息を呑んだ。その残骸に混じって男女数名が横たわっていたのだ。
そのうちの男女2人には見覚えがある。
つい最近出会ったグウィン夫妻であった。
それ以外に赤毛の男女の姿も見える。
ロディマスがやったのだろうか?
そんな不安が胸をよぎった時、変わり果てた上官は唸り声をあげながらダーツに向けて突進してきた。
ダーツはすぐさま伐士帯の雷銃を取り、ロディマスに向けた。
しかし、彼は尚も突進してくる。
「クソッ!」
ダーツは悪態をつきながら雷銃のトリガーを引いた。
先端の針がロディマスに迫る。雷撃の出力は抑えてあるので意識を失う程度で済む。
だが、ダーツの目論見は外れた。
ロディマスはその背の黒い腕で針を掴み取った。さらに彼は針を引っ張り寄せようとする。
凄まじい力で引き寄せられそうになったダーツはやむなく雷銃を手放した。
ロディマスは近接戦闘が得意な上、謎の黒い腕がある。ダーツは近づかれるのは厄介だと考えていた。
後退して距離を取り、両手を地面に押し当てる。
≪覇威土≫!!
岩の手がせり上がり、ロディマスを掴み取ろうとする。
しかし、それさえも彼の黒い腕によって粉砕されてしまった。
「チッ!」
ダーツは短剣を抜き取り奴力を流し込む。
≪光剣≫!!
光を纏った短剣を構えるダーツ。
迫り来る黒い腕4本がまるで大蛇のように襲い掛かってくる。
ダーツはロディマスの顔を見た。
その血走った眼から感じるのは殺気のみ。
本気なんだと彼は悟った。
――どんなことがあっても生き残れ。相対する相手が誰であれ、躊躇うな
一瞬の間に、これまでのロディマスとの記憶が過ぎり、そしてまた一瞬でそれは消し飛び、彼の頭は真っ黒になった。
「うおおおおぉぉぉ!!」
ダーツは雄叫びを上げながら光剣をロディマスに向けて突き出した。
黒い腕がダーツの肩を、横腹を切り裂いた。
激痛に彼は真後ろに倒れ伏した。
何とか上体を起こすダーツをロディマスが見下ろしていた。
咄嗟に防御体勢を取ったが、何もしてこない彼に、ダーツは恐る恐る視線を向けた。
ロディマスの足元にポタポタと液体が垂れ続けていた。
すぐにそれが血液であること、赤い滝の源流が彼の胸元に深々と突き刺さった光剣であることが認識できた。
ロディマスはゆっくりとした動作でダーツと同じく真後ろに倒れ伏した。
そこでダーツは正気に戻った。
自分がしでかしたことを理解し、絶望した。
「ロディマス!!」
ダーツは痛む体を無理やり動かしてロディマスの元に駆け寄った。
「あぁ、ロディマス! 俺はなんてことを……」
上官の顔がどんどん青ざめていく。
ダーツは伐士帯から止血用の薬草を取り出し、それを燃やして治癒を行い始めた。
血は少しずつ止まり始めた、かに見えたのだが、完全には止まらなかった。
「おかしい、なんでだ? なぜ止まらないっ!」
ロディマスの傷は半分は修復されたが、もう半分はまったく治らないようだった。
「クソッ、どうして!」
「ギュロッセ……」
弱々しい声が彼の名を呼んだ。
見ればロディマスは微かに笑みを浮かべてダーツのことを見上げていた。
「お前も……近接型が向いているんじゃないか?」
そんなことを言うロディマスの様子はいつもの気さくな上官に戻っていた。
「ロディマス、私は……」
「いいんだギュロッセ……仕方がない。それより……巻き込んで、悪かった……な」
ロディマスは視線をダーツから空の彼方へと向けた。
その両の眼はうっすらと金色の光を放っていた。光の錯覚ではなかった。その眼の輝きがどんどん強くなっていき、やがてダーツの視界は金色に染め上げられる。
輝きの中、
「……エミリカ」
声にならない声。
それが、ダーツが聞いたロディマスの最期の言葉となった。




