「何で彼女が?」
「あなたが羨ましいわ! 私も自由にお空を飛び回りたいもの!」
舞台でアリサ姫役の少女が羽ばたくのような手振りを披露している。
って言っても、俺の片方の目には別の映像が映っていた。闇に包まれた離れ小山の様子。プリマスが木々の間を駆け抜けているのだ。彼は今、狼のような姿を模している。
『マスター、ようやくベルトールの部下たちが動き始めました』
息を弾ませながらそう語る彼の視線の先にはちょっとした崖がせり上がっていた。周りに鮮やかな花が咲き乱れていた。その下に何者かが蹲っている。
『崖下に入り口があるのでしょう。魔族の防犯システムです。特定の魔力じゃないと開きません』
プリマス曰く、彼はこの崖下の入り口から出入りしているわけではないらしい。
つい先ほど、彼がそこから出て来たところをプリマスが偶然発見したんだと。
『ここは裏口と言ったところでしょうか? 本当の入り口は離れ小山かあるいは周辺の建物のどこかにあるのかもしれません』
プリマスがそう話している間にベルトールの部下は崖下に空いた穴の中へと消えていくところであった。
『私も中に入ります』
そう言うとプリマスの視界は大きく揺れた。
狼型プリマスの体から羽虫型プリマスへと彼の本体を移したのだ。
プリマスは閉じかかった扉の隙間へと滑り込んだ。
見たところ、扉は岩にカモフラージュされていたようだね。
薄暗い通路を羽ばたきながら進むプリマス。その視界にはベルトールの部下の背中が見える。
そう進まない内に灯りに満ちた広い空間へと出た。至るところに何らかの実験器具のようなモノが置かれていた。
空間の中心に、複数の魔族たちが集まっていた。彼らの前には前後左右に鎖が張り巡らされている。何かを拘束しているようだ。
『どう、だった?』
集団のうちの1人が戻って来た者に尋ねた。
『急激に雲が発生している。じゅ、順調だ』
その問いかけに他の者は惚けた顔を見合わせた。
『どんどん、力を増しててて、いるぅ。今度は確実に成功する、ぞ』
何だか様子が変だ。
ヤツら、呂律が回っていないし、なんかぼんやりしている。
そんな魔族たちの隙間から鎖に拘束されている者の姿が見えた。
『タマ、ですね』
思わず頭を抱えそうになる。
プリマスの言う通り、奴らに拘束されているのは古音虎の子供タマだった。古音虎を拘束できる程の鎖。連中、どんな技術を持ってやがんだ?
だが、それよりもタマの様子がなんか変だ。白目を剥き、大きく体を震わせている。まるで悪魔憑きだ。
『おや? あれは何でしょう?』
プリマスの視線が一カ所に集中する。彼が見ていたのはタマの首筋。そこには例の首輪が嵌められているのだが、それだけじゃなく注射器具のようなモノまで繋がれていた。
『何らかの薬剤が投与されているようですね』
プリマスの言う通りだ。
あの薬剤を投与されてタマはあんな状態になったのだろうか?
それはベルトールの部下たちの様子を見ているうちにわかった。
『薬ぃ、は、つ、使い果たしましたぁ?』
ベルトールの部下の1人がタマの眼を覗き込んだ。
『前とは違う。こ、今度は自滅しめぇ』
前?
それってエフュサンドス砂漠のことだろうか?
『そうだ、アレを使おう!』
別の部下がそう言って端の方にある棚から何かを取り出してきた。
『あれは、牙のようですね』
プリマスの言葉に俺は心の中で同意した。
手に握られているのは半透明な大きな牙だった。
あぁ、おそらくアレは砂漠の古音虎の牙だ。
突然リリアンナたちの側からいなくなった理由はこの牙だったのかもしれない。
『さぁ、お前の兄弟だぞぉ』
部下の野郎は今にも暴れだしそうなタマに見せつけた。煽るように牙をヒラヒラ振り回す。
『で、出来損ないの兄貴、みたいになるなよぉ』
タマは大きく痙攣しだした。憎しみの光がその眼に宿っている。
さらに、心臓の鼓動ような音が俺の耳にまで届いてきた。タマの体は透き通り、膨張し始めた。
『か、覚醒しようとしているぅ!!』
『あ、あのお方の言う通りだぁ!』
『あのお方、あのお方、あのお方あああああぁ!!』
部下たちは興奮した様子で騒ぎ立てる。と、同時にタマを拘束していた鎖が千切れ飛ぶ。
『――あ』
部下の1人が声を上げたかと思ったら、その左腕が綺麗に切断されていた。
血しぶきが上がるその先に、半透明な巨大虎が悠然と立ち尽くしていた。
『ぎ、ぎゃああああああああ!!』
部下たちは一斉に駆け出した。しかし、手遅れだ。
成獣と化したタマはゆっくりとした動きで前足を上げた後、部下たちに向かって振り下ろした。
次の瞬間、彼らの体はバラバラに吹き飛び、辺り一面血と肉片に覆われていた。
タマはそんな光景に何の関心も向けず、悠然と出口に向かって歩いて行く。
なんてこった。
ようわからん薬剤を打たれたらしいタマは、その影響で急激に成獣へと成長しちまったらしい。某名探偵にプレゼントしてあげたい薬だぜ。
『この体を捨てて、元の体に戻ります』
視界が暗転し、外の狼型プリマスのモノに切り替わる。
プリマスは隠し扉がある崖下に視線を向けた。
『出てきますよ』
彼の言葉通り、岩の隙間から煙のような揺らめきが立ち上ってきた。それはすぐに古音虎の姿へと形を成す。
古音虎は風そのものだからどんな隙間からでも通り抜けることができるのだ。
周囲に咲く花を蹴散らしながら、タマは何かを探すように周囲を見回している。
一体何を探しているのだろう? もしくは誰を……?
『誰か来ます』
左手の木々の向こうから何者かたちがやって来た。
彼らには見覚えがある。レーミア様の部下たちだ。ロイの姿は見えないが、彼の指示でこの辺りを見張っていたのだろう。
『確かにこの辺りで物音がしたんだ』
彼らはまだ古音虎の存在に気づいていないようだ。このままでは鉢合わせしてしまう。
果たしてタマは彼らをも惨殺するのだろうか? さっきのは酷い扱いを受けていたから、防衛本能でって事なのか?
プリマスもどうするか悩んでいるようだ。
頭に浮かんだのはリリアンナに頬を摺り寄せるタマの姿。
――この子はたぶん寂しくて遊び相手が欲しいだけなんですぅ
だが、さっきのタマの姿は……
レーミア様の部下たちが近づいてくる。
そんな彼らの存在を、タマも察知したようだ。その眼に浮かぶ感情は――
プリマスは飛び出し一声吠えた。
それと同時にタマは彼らに向かって飛びかかった。
プリマスの警告も虚しく、再び惨殺劇が繰り返された。
もうタマの眼には憎しみしか宿っていないようだった。
血潮の中、タマは咆哮をあげ、山を駆け下りて行った。
『後を追います』
プリマスも山を駆け下りて行った。
木々の間突き進む。先にはタマの後ろ姿。結構距離を取られている。それだけタマが速いのだ。
あっという間に山を下り切り、寂れた建物群を屋根伝いに飛び進んで行く、魔都の中央付近に向かって。
俺はこっそりと席を立った。
「どうした?」
レーミア様が怪訝な顔をして尋ねた。
まさか離れ小山の状況を言うわけにはいかない。たぶん異変に気付いたロイたちが報せてくれるはずだ。
「ちょっとお手洗いに」
そう答えて俺は席から離れた。
扉を超えて円形回廊に出る。今はとにかくプリマスに指示を出さなくては。
今プリマスたちは建物が密集し始めた区域に差し掛かっていた。でも、走るプリマスの視界だと正確な位置がよくわからない。
俺は回廊にある階段から頂上の7階に向かった。
大体の方角はわかるから、上から彼らの位置を把握しよう。魔鬼理≪鬼流≫で視力を強化すれば可能なはずだ。
3階、4階……
階段を登る間、俺は無意識に右わき腹を掻いていた。なんか痒みがどんどん増しているんだよね。そんな事言っている場合じゃないけど。
そして5階……
さらに上に行こうと階段を登りかけた時、静まり返った回廊に話し声が微かに聞こえた。ホント小さな声だ。鬼流で感覚を研ぎ澄ましていたから聞こえたくらいだ。
ほんの少し視線をソチラに向けると、柱の裏の薄暗がりでファントム将軍と着飾った中年女性が何やら会話していた。
怪しい。
何かの密談か?
このまま盗み聞きしてもいいかなと考えたが、今はそんな事をしている場合じゃない。それに、ファントムが顔を上げてコチラに視線を向けようとしているところだったから俺は慌てて階段を登った。
6階、そして7階。
7階には大きな窓ガラスがあちらこちらに設置してある。まるで展望台のようだ。お陰で魔都の様子が良く見える。
「おい、なんじゃこりゃ」
俺は思わず声を上げた。
だって、このスーラン座の塔に入る時には綺麗な月が見えるくらい晴れ渡っていたのに今じゃ辺り一面厚い雲に覆われているじゃないか。ベルトールの部下が言っていた通りだ。
「プリマス、話せるか?」
『ランニングマシンに乗りながら知恵の輪をやるよりは可能でしょう』
意味わかんない。
「で、タマはどこに向かってんだ?」
『さぁ、何とも。私はついていくだけで精一杯です』
「わかった。お前は追跡を続けてくれ」
リリアンナは魔都の外にいるはずだから、タマの目標はまた別なのか?
なんにしても、これ程の異常だ。既に他のヤツらも動きだしているかもしれない。
俺は扉を潜って7階の劇場内に入った。他の者の邪魔にならないようにしながら見下ろす。
舞台は既に第二部に移っているらしく、大きな棺桶が置かれていた。演劇の大道具なのだろう。俺は2階の魔王の席に視線を向けた。魔王の席の横にトビアスが控えていた。何やら話し込んでいるようだ。うん、もう魔王の耳には今の状況が伝わっているようだ。これから水面下で対策が練られるのだろう。
再び回廊に出ようとした時、舞台の棺桶が開き始めた。
舞台装置の光線が開けられた棺桶に注がれる。そして、中から少女が立ち上がった。最初はただの役者だと思った。が、その顔を見た時我が眼を疑った。
何で彼女が?
俺はレーミア様の方に視線を向けた。彼女は呆然と棺桶の少女を見つめている。
次にトビアス。彼は困惑の表情。
ベルトールは明らかに狼狽しており、フェムートは一見無表情のようだが、その眼にはなぜか怒りの感情が見て取れた。
だが、異変を感じ取ったのはごく少数。演劇は普通に続いているし、他の観客たちも変わらず楽しんているようだ。
俺は再び回廊に出て、窓の外に眼を凝らす。
「プリマス、タマがどこに向かっているかわかった」
棺桶から出て来た少女は、リリアンナだった。




