「俺はアルゴン・クリプトンを止めるつもりはないよ」
序数狩り襲撃から3日が過ぎた。
俺は今、魔族の拠点【水底の月】にいる。建物内の簡素な小部屋でダークエルフ姉妹を待っていた。
テーブルに肘をつき、3日前の事を思い返す。
ルシアンと戦った後、俺は街道目指して森を駆け抜けた。
森から街道までは南西方向に走り、街道を見つけた後はその道に沿って進む。
予想していたよりも簡単に休息所に辿り着く事ができた。そこから街道伐士隊に連絡してもらい……まぁ、細かい事はどうでもいいか。とにかく、俺は無事にセブンス家やドゥリ教官たちと合流する事ができた。
ルシアンの事を尋ねてみると、やはり俺を助ける為にシルバーゴーレムの後を追ったらしい。
「あいつは時々、誰にも手がつけられなくなるんだよなぁ」
ドゥリ教官は困ったようにそう言った。
「あいつの潜在能力は我々の予想を遥かに超えたモノなのかもしれんな」
伐士に連れられてルシアンが戻って来ると、ドゥリ教官は烈火の如く怒鳴り散らした。それがベネルフィアに帰り着くと、待ち構えていたダーツ教官によって今度はドゥリ教官が怒鳴り散らされる番となった。正直、ちょっと同情しちゃうよね。
ベネルフィアではセブンス氏も出迎えてくれた。色々な気遣いの言葉と今後の激励を送ってきた。その間、近くにはエヴァ嬢もいたわけだが、彼女はチラチラこちらを不安げ眺めるだけで全く話す事ができなかった。
ノーヴ山脈についての情報がないか探ってみたが、特に何もなかった。セリスたちは無事に隠れ家から証拠品を運び出せたらしい。
セリスたちから連絡が入ったのは襲撃から2日後。明日話を聞きたいって事で拠点に来るよう指示された。
で、今よ。
怒れるダークエルフ姉妹を待つ間、この俺は子犬みたいにプルプル震えていた……ワンッ!
「ダーティ?」
数分後、妹のシャーナだけがやって来た。周りを窺うようにして部屋に入ってくる。やけにコソコソしているのが気になるね。
「お姉さまはまだ来ないから、今のうちにちょっと話がしたいなって――」
「クゥ~ン」
「……ねぇ」
「クゥン、クゥ~ン」
「……何やってんの?」
何って。
そりゃもちろん、愛くるしい子犬のマネをしているのだ。四つん這いになって彼女の生足に頬擦りし、上目遣いでつぶらな眼を向けるのだ。これでどんな怒れる女子もたちまち鎮火よ。ちなみに子猫バージョンもあるけど、それはまた今度――。
「ぎゃふん!」
「ったく、バカじゃないの」
蹴飛ばされてしまった。なぜだ……。
シャーナは苛立たしげに椅子に座り込む。まだ床に倒れている俺をキッと睨みつけると、
「お座りッ!!」
「ワン!」
俺は反射的に彼女の対面の椅子に座った。
「呆れた。せっかく手助けしてあげようと思ってたのに……」
シャーナは頬杖を突いてため息を吐いた。
「手助けって、どういう?」
俺の質問には答えず、彼女は身を乗り出す。
「ねぇ、あの時私たちに向かって来た男の子って、お前のお友達なの?」
見れば、彼女の眼は不安げに揺れている。
参ったな、そんな眼で見られるのは苦手だ。
「あれは、その、焦って判断を見誤ってたって言うか――」
「バカ、今更誤魔化さないでよ。あの時の様子見てたら誰だってわかるわ」
まぁ、そうだよな。
「あの後、あの子を殺せてないんでしょ?」
まぁ、そうだな。
「それは私、仕方がない事だと思う」
まぁ――え?
「え?」
「だってダーティには人間の部分もあるわけでしょ? それなら人間と親しくなる事だって普通にあり得る事でしょ? それくらい私にもわかるもん」
「そう、思う?」
「うん、思うよ。だからね――」
彼女は少し躊躇いを見せたが、意を決したように口を開く。
「だから、この潜入を止めちゃわない?」
「えぇ?」
何言ってんのこの娘は?
「そんな、どうしていきなりそうなるの?」
「どうしてって。そりゃ、ダーティにはまだ潜入が早すぎたからよ。だって、まだロクに訓練も終わらない内にあんな事があって決行されたんじゃない」
思い返せば確かにそうだ。
静寂の森で予期せぬ出来事から伐士の襲撃受けてしまって、急遽こうなったんだもんな。
「人間に対する距離感が掴めてないんだよ。大体、静寂の森周辺の情勢の把握っていう一番の目的はほとんど果たせてるじゃない。だから、私からも潜入を中止するようレーミア様に提案してあげるわよ。ね? そうするべきだって」
そうするべきと言われてもなぁ。はいそうだね、と言えるわけない。
「でも、これから王剣器隊の選抜試験があるんだよ? 上手く行けばこの国の中央部に入り込めるんだよ? それを捨てるなんて許されないし、俺も嫌だよ」
この俺の反論に彼女はプクッーと頬を膨らませた。
「もう! これからもっとこういうの増えていくんだよ? 親しい人間とも戦う事になる。その度に傷つくのはダーティ、お前なのよ? 絶対に板挟みになるんだってば。最悪、罪に問われて奈落堕ち、なんて事にもなるかもしれない。だったら、潜入止めてさ、活動拠点をここにしてもらうよう頼めばいいじゃない。ここなら私たちが訓練してあげられるし」
真剣な面持ちのシャーナ。どうやら本気で俺の事を心配してくれているらしい。
「そこまで気を遣ってくれるなんて、素直に嬉しいよ」
「じゃあ――」
パァと顔を明るくするシャーナ。そんな彼女を手で制する。
「でもダメだ。俺はアルゴン・クリプトンを止めるつもりはないよ」
「なんで?」
「確かにシャーナちゃんの言う通りだと思う。でも、だからって逃げる事はできない。これは絶対に避けては通れない問題だ。今、傷つく事を恐れて逃げ出したら、俺はきっと後悔する。だからここで諦めたくないんだい」
何よりも、そんな敵前逃亡的な事をしたらンパ様に恐ろしいお仕置きをされちまう……。
「俺を信じて欲しい、ってのは高望みかな?」
するとシャーナは苦笑した。
「今のところ心象は良くないんじゃない」
「だよねぇ」
彼女は再び頬杖を突く。
「はぁ、せっかく心配してあげたのに。意外と頑固ねぇ」
「そのギャップに惚れちゃうだろ? だろ?」
「バーカ」
彼女は苦笑しながら首を振った。
「ま、そこまで言うのなら、頑張りなさいよ。ただし、ダメだと思った時は私の提案に従ってよね」
「ありがとうシャーナちゃん。それと、この前は怒鳴ったりしちゃってゴメンちょ」
「言っとくけどね。お姉さまは私みたいに優しくないからね。覚悟しときなさい。ましてや、さっきみたいなふざけた事したら――」
それはフリと認識して宜しいか?
「あぁ、来てたかダーティ」
シャーナが言い終わる前に当のセリスが部屋の中に入って来た。
「あ、お姉様」
「なんだ、秘密の話でもしてた?」
「ち、違うわよ! ね、ダーティ?」
「ワォ~ン!」
俺は再び子犬モードでセリスの生足に――。
「ぐヴぉえぇっ!」
セリスの生足に抱きつく前に風の壁に吹っ飛ばされた。
まさか、魔鬼理まで使うなんて……やだ、これ本気で怒ってるわ。
「……シャーナ、悪いけど席を外してくれる?」
「え? えぇ、わかったわ」
セリスに頼まれ、シャーナは席を立った。そして無様に床に倒れ伏すおいらに冷たい視線を浴びせてきた。
「救いようがないわね。こってり絞られちゃえ」
そう言って踵を返して出て行った。
セリスが椅子に腰掛ける。
「じゃ、約束通り話を聞こうか」




