「こういう場合に限って最悪な状況は訪れるんだな」
目覚めると、そこはどこかわからない部屋のベッドの上だった。
寝起き特有の気怠さを感じる。欠伸をしながら目を擦ろうとするのだが、
あれ?
手が、動かない。
いや、それどころか全身全く動かせない。まるで金縛りにあったようだ。
一体どうなっているのかと視線を首から下に向けると、
「――っ!!」
声にならない悲鳴を上げた。
なぜなら、首から下の体に黒い大蛇が巻き付いていたからだ。とても太くて長い胴だ。俺の体がすっぽりと巻き付かれて首以外動かせない。
これは非常にマズイ。
俺は何とか抜け出そうともがくのだが、全くビクともしない。
そんな俺をあざ笑うように大蛇はその胴を震わせた。そして右側からその巨大な鎌首をもたげて俺を見下ろしてきた。
恐る恐るその鎌首に視線を向けると、俺はさらに肝を冷やしてしまった。それは蛇の頭ではなかった。ソレは――
魔手羅……!
―――――――――――――――――――――
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――――――
――
「アンジエエエェェロッ! ハッ!」
俺は奇声を上げながら目を覚ました。
今度こそはちゃんとした目覚めだ。
そこは巨大馬車の個別寝室。
既にカルスコラを発って数時間になるだろうか。お茶会が中止になった後、俺たちは伐士隊に事情を説明させられた。と言っても、誰も満足に説明はできなかった。
その拘束が解かれた時には既に日は沈んでいた。そして今の時刻は真夜中を過ぎている。微かな月明かりが室内を照らしている。
ドゥリ教官の聞き苦しいイビキが部屋中に響いているが、今は安心感がある。あんな悪夢を見た後だから――。
「――ッ!」
俺は咄嗟に自分の背中を見やった。部屋着には破れた跡はない。良かった。やはりアレはただの夢だったんだ。
ホッとした俺は、サイドテーブル上のピッチャーからグラスに水を注ぎ、一気に飲み干した。冷たい水が寝呆けた頭をハッキリさせ、悪夢の余韻を消し去ってくれた。
悪夢……。
魔手羅が勝手に動き、俺に襲い掛かろうとした。
フロイト的に言えば、無意識に抑圧された欲求や不安などが表層したモノが夢って事だよな。
じゃあ、今回のこの悪夢は何を意味している?
確実に言えることは、あのお茶会での出来事が影響しているのだ。それは恐怖の感情か、それとも……。
やめだ。無意識の事なんざ考えたって俺は臨床心理士じゃねぇからな。わかるわけない。
それよりも、実際の出来事について考えてみるべきだ。
ペリフォと視線が合った瞬間、精神世界の戦いが繰り広げられた。この現象は以前にもデズモンドやフォースとの間にも発生した。ただし今回は、先の二例とは違って俺が勝った。すると、ペリフォは見えない力で実際に吹っ飛ばされた上に狂数症とか言う病を発症した。
狂数症――。
あの騒動の後でドゥリ教官にその症状の事を尋ねてみた。
人間の体内源数"6"が、何らかの要因で変質してしまう事で起こる精神病らしい。
主な症状は幻覚、幻聴、重篤化すれば自我の崩壊まで起きるのだとか。
画期的な治療法はなく、快復は絶望的らしい。
ペリフォはその謎多き病を発症した。俺のPSYの力で吹っ飛んだ後にね。
運ばれて行く最中のペリフォのうわ言。
黒い一つ目の化物。
どう考えてもンパ様の事だよなぁ。
あのペリフォという小僧は邪神ンパ様の幻覚を見たのだろうか?
もしそうだとしたら、同情を禁じえないね。
だって、常人があの方の姿を見たら発狂しちまうに決まってら。この俺様の強靭な精神力を持ってして初めてあのお方の僕を務める事ができるのだよ。
果たして、ペリフォは狂数症になったからンパ様の幻覚を見たのか、それともンパ様の幻覚を見たから狂数症を発症したのか。
いずれにしても、ヤツの魂は狂ってしまった。体内源数が変質したせいで。
ってか、人の魂も源数で構成されているってのは、唯物論的な考え方だよな。
肉体、脳が存在して初めて「魂」というモノが生まれる。つまり、魂とは普遍的なモノではなく、肉体や物質の影響で変化する事もある。それがこの世界の理って事だ。
それは俺自身にも当てはまる。
確かに俺には前世の長田究極としての記憶はある。だけど、違うんだ。
今の俺は魔人アルティメット。肉体は純粋な人間のモノではない。肉体の影響は俺の魂も受けているはずだ。
今更ながら、この転生システムってのは不思議だなと思うよ。
俺は再びベッドに寝転がり、ツラツラと取り留めもない事を考え続けた。
◆
あのお茶会の騒動が起こった後でも、ルシアンや他のヤツらの態度はさして変わる事はなかった。ありがたい話だ。
帰りの馬車内では気まずい空気か流れる事はなかった。むしろ、お茶会を終えた開放感から行きよりもはしゃいでいる始末だ。さすがに堅物のアーロンもリラックスしていた。まぁ、彼の場合はルシアンを気にしてってのが主な理由だろうけど。
そしてお茶会が終わってからと言うもの、俺たちはエヴァ嬢とロクに話す事もできなかった。きっとセブンス夫人が心配して俺たちと距離を置かせているのだろう。
そんなこんなで俺たちは再びコルヴィアを訪れた。
今度は南方面に円周を沿って行く。
南の停車場で馬の繋ぎかえを行っている間、ふと俺は視線を感じて辺りを見回した。
すると円周の内側、つまり街中へと通じる門の側にローウェインが立っていた。
ヤツは憎しみの籠った目で俺たちの方を睨み付けていた。その殺気立った姿に不安も感じたが、気にしない事にした。たかがボンボンの1人に何ができるよ。
コルヴィアを発って数時間後、俺たちの馬車は休憩所に立ち寄っていた。日もすっかり暮れ、辺りには薄闇が立ち込めている。
休憩所と言っても、その堅牢な石造りの建物内にはいくつかの寝室もあれば食堂もある。今も数台の小型馬車が停めてあった。
俺は建物からちょいと離れた木の裏に回った。ここなら人目に付かない。ポケットから手の平大の巻貝を取り出す。
さっきこの巻貝が軽く振動していたのだ。
ダークエルフ姉妹から何やら連絡事項があるらしい。
「や、愛しのシャーナちゃん、何か用かい?」
と、巻貝に向かって話し掛ける。 するとすぐに女性の声が巻貝から風のような調べで響く。
「……ご期待に添えずに申し訳ないね。生憎とシャーナは手が離せないから」
そう言う声の主はセリスだ。ダークエルフ姉妹の姉の方でクールビューティーなショートカットの持ち主だ。
その顔形を思い起こしながら、俺は会話を続ける。
「やぁ、セリスちゃんだったのか。もちろん君の声も聞けて嬉しいよ」
「はいはい」
もう、素っ気ないんだから。こりゃアルコールが必要だな。
「それで、いったい何用でござる?」
これまで彼女たちの方から連絡が来た事はない。滅多な事じゃない限りね。
「例のアーリルフ将軍の部下たちのこと」
「序数狩りの?」
「そう。彼らが拠点から発った」
「それは……また、襲撃する為に?」
「それはわからない。目的が判明しないからね。一応、あんたも気をつけて」
そしてセリスは一間逡巡するように黙り込んだ。
「実はさ、彼らの動きはどうにもおかしいんだ」
「というと?」
「機敏すぎる。まるで何者かから指令を受けているみたい」
「それは、アーリルフ将軍じゃないの?」
「ハッキリしない。でも、私は違うと思う」
「ってことは、誰だと思うの?」
「だからハッキリしないんだってば」
そんなに苛つかなくてもいいじゃない。傷つくな。
「それをハッキリさせる為に私とシャーナで彼らを追跡している」
「今?」
「うん。ベネルフィアを横切って北上してる。あのノーヴ山脈に向かっているみたい。とすると、やっぱりあんたは注意すべきね」
平然と大変な事を言ってくれる。
危険な魔族どもがこの付近に近づいているって?
一応、護衛の街道伐士隊がいるとは言え、やはり不安にはなるよ。
「なんで彼らはノーヴ山脈に向かっているんだろう?」
と、疑問を口にするとセリスは当たり前のように答えを返して来た。
「それは、あの山脈に隠れ家があるからじゃない。彼らは何日間もどの拠点にも姿を現さないで序数狩りをしてたんだ。隠れ家でもないと無理でしょ?」
まぁ、確かに。
どこかに休める場所でもないと、すぐに疲弊しちまうな。
「なるほど、セリスちゃんたちはその隠れ家を見つけ出すつもりなんだ?」
「そう。何らかの手掛かりもあるだろうからね」
「ほへぇ、中々スリルある任務じゃないか。気をつけて。あ、シャーナちゃんにも言っといてね」
するとクスリと笑う声。どうしたの?と尋ねると、
「シャーナも同じ事を言ってたから。あんたも気をつけて」
そこで通話を終えた。
序数狩りの魔族どもが接近している。
でも、さすがに俺たち一行が標的ではないだろう。
俺はそう楽観的に考えながら、木陰から馬車へと向かった。
◆
しかし……。
こういう場合に限って最悪な状況は訪れるんだな。
それは翌日の夕刻。
北東の方角にノーヴ山脈の陰鬱な姿が見えてきた所だった。
まず最初に重たいモノ同士がぶつかり合うような音が辺りに響き、そして次に耳障りな叫び声が一斉に上がった。
その叫びに負けじと伐士の怒声が聞こえる。
「魔族襲撃!魔族襲撃!防衛態勢!防衛態勢!!」
瞬間、俺の脳裏にはある連中の姿が浮かび上がった。
滝の裏の拠点で下品に騒ぎ立てていた魔族ども。
序数狩り……。




