「少なくとも、人間側で見た中では一番美しいと思う」
バロー博士の研究所を出た時、既に日は西に傾き始めていた。
博士は微笑を湛えて俺たちを見送ってくれた。
その柔和な物腰とは裏腹に、この老人は様々な秘密を抱えている。
今回その中のいくつかを、俺も共有する事になってしまった。
おそらく、またいずれ博士に会いに来る事になるだろう。
俺はそう確信していた。
「ねぇねぇ、ゴリプー。天才博士の所にあった赤い花にどんな効能があったと思う? それはね――」
川沿いの通りを歩きながら、エヴァ嬢は嬉々として先程見知った知識を披露してくれている。
俺は適当に聞き流しながら、先程の博士との話の事を考える。
ルシアンの両親がヲイド教の権力者たちによって謀殺された可能性があること。
そのグウィン夫妻の研究テーマは奴力の転用技術。もし、それが実用化されたら、序数制度に始まるこの社会の格差が無くなるかもしれない。それ程までに重要な研究だったこと。
そして、その研究過程で彼らは偶然にも、硬貨が人々から奴力を吸収しているという秘密を知ってしまったこと。
博士はその事実、もしくはそれ以上の秘密を知ってしまったが為にグウィン夫妻は命を落とす事になったと考えていること……。
謎がさらに増えちまった。
しかし、グウィン夫妻がベネルフィアに向かうのにノーヴ山脈の街道を使った理由が判明したかもしれん。彼らが命を狙われている事を知っていたのなら、人目につくコルヴィア経由の道を避けたのも、まぁ納得がいくからな。
そうなると、クリスソフィアの両親は巻き込まれてしまった事になるな。不憫な話だ。
ん? 待てよ……。
幼いクリスが見たという黒い蛇のようなモノ。俺はそれを魔手羅かな、と密かに考えていたわけだ。
夫妻の殺害を目論んだのが人間側なら、魔人がそれに手を貸した事になる、のか?
いや、魔族をどうにかして利用しただけかもしれない……けど、よりによって魔人が?
まさか、魔人が完全に人間側に属しているわけでもないだろうし……ないよな?
やめた、やめた。こんなの考えたってわかるわけない。
そもそも、クリスの印象だけで安易に魔人を連想するのも可笑しい。確かに俺の魔手羅は黒いけど、ジーンキララのは紫色だったじゃないか。
「ちょっと、ゴリプー! ワタクシの話を聞いているの?」
そうだ。今はグウィン夫妻の事よりも、硬貨の秘密について――
「ゴリプーッ!!」
「は、はいッ!」
エヴァ嬢が俺の腕を抓んで、ぷうっと頬を膨らませている。
「すみません、意識がお星さまの彼方まで飛んでいました」
「何を訳のわからないことを言っているの? あぁ、きっと天才博士とのお話で頭を酷使ししすぎてしまったのね」
それは俺がバカだと言っているのだろうか?
「いやまぁ、確かにそうかもしれません」
「でしょ? 知恵熱でもあるんじゃないかしら。そうだ、ゴリプー! そういう時に良く効く植物が――」
「ところでエヴァ様はどのようにしてバロー天才博士と知り合ったのですか?」
また草の薀蓄を語られるのは御免だったので、すかさず質問を被せた。
エヴァ嬢はキョトンとした顔付で指を顎に当てている。
「そうねぇ、お兄様が天才博士に学問を教わっていたから、ワタクシも付いて行ったの。まだほんの小さかった頃の話よ」
今だって小さいじゃないか、という指摘は当然ながらしない。
「博士と会う時は、いつもああやって研究室の植物を見学しているのですか?」
「えぇ、そうよ」
「……やっぱり、エヴァ様は治癒師に興味が――」
「だ、だから違うってば!」
その狼狽えっぷりは暗に認めているようなモノではないか。どうして隠すのだろう? 立派な職業だろうに。
「そ、それより」
と、エヴァ様が強引に話題を変える。
「明日はフォース様にご挨拶するのでしょ? 大丈夫なの? 緊張してない?」
彼女なりに俺の事を気遣ってくれているようだ。良い娘じゃな。
「大丈夫です! もう気合い入れてベネルフィア代表は別格だって事をアピールしてやりますよ」
てか、フォースとはこの前対面したばかりだしな。
「随分自信満々ね。さすがはワタクシの家来だわ!」
エヴァ嬢は腕を組んでうんうんと頷いている。そんな様子を眺めているうちに、ふと気になっていた事を思い出した。
「エヴァ様、そういえば、どうしてフォース様はお茶会の護衛をされるのですか?」
セブンス氏は特別な理由があると言っていたが……。
「ん? あぁ、だって今回のお茶会には――」
「お嬢様!」
エヴァ嬢の話を、背後を歩いていた使用人が遮った。
「それは、今この場でお話して良いことではありません!」
と、厳しい声をセブンス嬢に向ける。
「えぇー、だって、ゴリプーも参加する事になるわけだし……」
「ダメです!」
使用人の有無を言わせぬ口調に、エヴァ嬢もさすがに従った。
微妙に気まずい沈黙に包まれながら川沿いの道を歩いた。
そして対岸へと通じる橋の手前で俺たちは別れた。
宿屋に着いたら、ずっとここにいたらしいドゥリ教官と満足下な顔付のアーロンが待合いのテーブル席に腰かけていた。他のヤツらはまだ戻ってきていないようだ。
だがその直後、ジーンキララが宿屋へと戻ってきた。
彼女はにこやかに笑みを浮かべながら俺の脇をすり抜けた。その時に微かに柑橘系の匂いがした、ような気がした。
◆
翌朝。
伸びをしながら起き上がり、ふと視線をベッド脇のサイドテーブルに向けた。そこには水報板と硬貨を入れている袋を置いていた。
博士の話が本当かどうか確かめる為に現数力を使って自分の奴力量を確認してみた。
「……本当だ」
思わず声に出してしまった。
確かに少量の奴力を消費していた。何の奴ウ力も使っていないはずなのに……。
硬貨の方も現数力で調べてみたが、奴力は検出されない。
いったい俺の奴力はどこに行っちまったのか?
宿屋1階の食堂で、朝飯を食いながら今日の日程の打ち合わせが行われた。
ヲリアルサンドを食いながら話すドゥリ教官によると、お茶会は昼過ぎに行われるそうなので、またそれまでは自由時間となるそうだ。
「だが、今度は自由行動はさせないぜ。今日の午前中は研究施設の見学を行うからな。昨日、許可を頂いた。体ばっかり鍛えてもダメだからな。しっかり学ぶんだぞ」
当然俺たちの間からはブーイングの嵐だ。
「やかましい! 昨日存分に遊び回っただろうが!」
教官の言葉にソーユーが抗議した。
「いやいや、俺たち、昨日は学術的な見学会に参加してたんですよ! な、ジューン、ルシアン?」
ソーユーが他2人に同意を求める。
「何を言ってやがる! お前ら、この街の女の子に片っ端から声を掛けてたろ? それとなくセブンス夫人から指摘されたんだぞ! まったく……って、グウィン、お前もか!」
ルシアンはバツが悪そうに縮こまり、
「いや、俺はその……無理矢理連れられたと言うか……」
などと、言い訳を述べている。
俺はそんなヤツの肩をポンっと叩き、
「安心しろ。クリスちゃんには黙っておいてやる」
と、ニヤニヤしながら言ってやった。
「ばっ、別にクリスは……いや、内緒にしてくれた方が変な誤解は生まなくて済むし、ありがたいと言うか――」
「うん、やっぱ、言っちゃおう!」
「なんでだよ!!」
ま、内緒にしてやるけどね……それに、俺が昨日知ってしまったグウィン夫妻の話も内緒だ。あれはあくまでバロー博士の推測だし、今言ったところでルシアンを動揺させちまうだけだからな。
今は、楽しい気分でいたいじゃないの、ねぇ?
◆
愉快な朝食を終えた後、俺たちは教官の宣言通り退屈な研究室見学を行った。
そしてみんなで昼食を取った後、セブンス家の者たちと合流し、俺たちはゾロゾロと街の北部に向かった。
その北部にある高級宿泊施設がお茶会の開催場所だった。
身綺麗な服装の従業員に案内されて、建物の中庭へと足を踏み入れた。
中庭は、一面が綺麗に刈揃えられた芝生に覆われている。その芝生の中央部分には何十人も座れそうな長テーブルが設置されている。純白のテーブルクロスの上には、美味そうなお菓子が入ったバスケットなどが置かれている。
テーブルの周囲には柔らかそうなクッション付きの椅子。そしてそこに腰掛けている煌びやかなドレスを身に纏った娘たち。各序数持ちの娘たちだ。席にはその母親たちも座っていて、それぞれ談笑している。
こんなお茶会、不思議の国のアリスでしか見たことないぜ……ちょっと違うけど。
セブンス夫人とエヴァ嬢が揃ってその長テーブルへと向かう。
それに気付いた他の者たちがにこやかに挨拶した。
見たところ、この中ではエヴァ嬢が一番の年下のようだ。他の娘は俺と同い年(むろんアルゴンの見た目の年齢ね)くらいが多い。
さて、中庭に設置されているテーブルはそれだけではない。
その少し離れたところには丸テーブルがいくつか設置されている。
そこにも結構な人数が集まっていた。
「他の街の選抜メンバーだよ。みな考える事は同じらしい」
と、ドゥリ教官が囁いた。
見れば、あのローウェイン・シックスの姿もある。
ジーンキララの方を見やれば、彼女は露骨に嫌な顔をしていた。
「あいつらと競うってわけだな」
ソーユーが品定めするように眺めまわしている。
「一発ガツンと噛ましてやるか」
「アホ! 今回はフォース様に挨拶しに来ただけだ。そろそろ始まる。俺たちもあっちに行こう」
俺たちは丸テーブルがある方に向かった。
歩きながら教官は俺たちに注意する。
「いいか? マジで大人しくしてくれよ? 今回は序数持ち方だけではないんだ。特別に――」
教官の言葉は、品のある女性の声によって遮られた。
長テーブルから1人の夫人が立ち上がっている。
「みなさま、そろそろ始めさせて頂きますわ」
みなが注目している中、夫人はにこやかに話を続ける。
「ですがその前に、今回は特別にご参加下さるお方がいらっしゃるの。そろそろおいでになると思いますわ」
その言葉が終わるか終らない内に、俺たちが入ってきた所とは別の通路から一団が中庭にやって来た。
何人かの使用人の娘、そしてノーベンブルム伐士団長エリック・フォースを従え、優雅に芝生を歩く若い女性。
その女性は、淡いブルーのドレスに身を包み、ほとんど白に近い銀色の髪には金属製の髪飾りを着けている。
スラッとした体形で、まるでモデルのようだ。
少なくとも、人間側で見た中では一番美しいと思う。
その女性が歩み寄って来ると、座っていた婦人や娘たちが一斉に立ち上がる。
そして中庭にいる全員が恭しく頭を下げた。
女性はにこやかに微笑んでいる。
彼女の笑顔はまさに天使の微笑みというか、もう芸術作品を見ている気分だぜ。
その女性こそが、ノーベンブルム王国第一王女、ルクス=アウラ・サードだった。




