誠の一字
「これを薩摩で見せたときは『あの新撰組か』と感嘆されたんですよ」
市村は、隊章に刺繍された誠の文字を見つめながら言った。
彼は強者揃いの薩摩軍の中においても、異彩を放っていたらしい。
一つは、薩摩の御家流である薬丸自顕流ではない太刀筋だったからだろう。
さらに、戊辰戦争を戦い抜いた市村は実戦経験も豊富であり、何より機を見るに敏であったという。
そこで市村は、薩摩軍の幹部連中の目に止まった。
「さすがは天下に名高き壬生の狼。かつて辛酸を舐めさせられたが、これほどであればさもありなん」というのは西郷隆盛自身から市村がかけられた言葉だという。
「そして思ったんです。『ああ、私は今も新撰組隊士市村鉄之助なのだ』と。向かってくるなら全て斬り伏せてやる、副長たちと同じ、新撰組が――名高き壬生の狼が相手になるぞ、と」
市村はそう言って、隊章を懐かしそうに見つめながら語った。
「某は箱館戦争の最終戦でも、これをつけていました」
市村に代わって話し始めたのは島田だった。
新撰組も、箱館に移った時には洋装に元込め式ライフルという編成に変わっており、箱館で入隊した隊士の中には、それまで着てきた軍装に隊章だけ配り縫い付けさせるという有様だった。
箱館では箱館湾の弁天台場を、新撰組を中心とする二百名あまりが守っていた。
箱館戦争の最終戦、弁天台場の降伏を決める戦いの前夜のことである。
「みなさん、私たち新撰組もとうとうここが最期の場となりそうです」
連日連夜新政府軍の砲火に晒され、弁天台場を死守していたが、とうとう背後の箱館山を越えて包囲され、五稜郭の司令部とも連絡が取れなくなった。
そういう状況下で、土方が抜けたあと代わって新撰組局長を務めていた相馬主計が、急遽京都以来の隊士を集めた。
島田や相馬のほかは、安富才助・中島登・横倉甚五郎など数名であった。
「京以来の面々もこれだけになってしまったのか」
島田が言った。
ここにいるのは、新撰組の中でも京都以来ここまで苦楽を共にしてきた仲間たちであった。
「力さん、感慨に浸るのはいいですが、相馬の話を聞いてやりましょうよ」
安富が、まったく力さんはしかたないな、という風に言った。
思えば「力さん」と呼ばれる相手もこれだけなのだな、と再度島田は思いを馳せた。
「それじゃ、本題に移りますよ」
相馬が安富の言を受けて言った。
「といっても、コレなんですが」
真面目くさった表情をしながら、相馬が取り出したのは二合徳利であった。
要するに、今生の別れかもしれない現在、酒でも呑もうじゃないかということだ。
相馬が乾杯の音頭を取った後、みな思い思いに楽しみ始めた。
酒を注ぎあう者、京都以来の昔語りを楽しむ者、それぞれめいいっぱい楽しんでいた。
しかしただ一人、島田だけは乾杯して口を付けた後は、ずっと盃を眺めていた。
「島田さんは、酒はあまり嗜まれないですもんね」
相馬が島田の側へやってきて言った。
島田自身は決して呑めないとはいえないが、酒はあまり好まず「酒より汁粉を持ってきてくれ」というような人間だ。
ただ、島田が沈思していたのは、酒が飲みたくないというだけではなかった。
相馬が近づいてきたことに気付いた島田はおもむろに自身の隊章を指さし言った。
「相馬よ、某たちは『“誠”を貫く』ことはできたのだろうか」
そう大きな声で言ったつもりはなかったが、島田の声を聞いた面々は押し黙り、八木源之丞の言葉を思い出していた。
「島田さん、それは『できたか』なんて考えるものではありませんよ」
相馬は穏やかな表情で言った。
相馬は島田よりも若く、入隊時期も遙かに遅い。
だが、島田は自分よりも将器があると思っていたし、それには土方も同意していた。
この発言にも、島田や他の隊士たちは感じ入るところがあり、「これが器の違いか」と島田は妙に納得していた。
「相馬。某は明日、あの旗をこの台場に掲げようと思う」
島田はそう話した。
“誠”とは貫けたかどうかを問うものではない、今自分たちがそれを貫いていると信じて行動するものだと。
翌朝、弁天台場の高所に高々とたなびく、朱色に「誠」一字が書き抜かれた旗に、敵味方ほど目が釘付けとなった。
言わずと知れた新撰組隊旗である。
島田は京都からずっと共にしてきたこの旗を、自分たちの“誠”と共に高々と掲げたのである。
「いざ戦場へ出向くと、敵さんもこれを目ざとく見つける連中が多くてですね」
島田は隊章を見つめながら言った。
「『あいつは新撰組だ』となると、敵さんたちは途端に及び腰になる。言ってやりましたよ『新撰組隊士島田魁、冥途の土産にお相手仕る。命が要らぬ者だけ掛かってこい』とね」
そのとき島田は、このまま“誠”に殉じるならば、死んでもよいと考えていた。
――そうだ、自分は悪名高き新撰組だ。
――お前たちの仲間を十の指では足らぬほど斬り捨ててきた。
――いくらでも相手してやろう、ただし、この胸に翻る“誠”一字は覆せぬぞ。
と思いながら。
「結果はご覧のとおり、未だに生き恥を晒しております」と言って気恥ずかしそうに締めくくった。
「俺は潜伏中に助けられたな」
永倉が言った。
「近藤さんたちと別れた後は、負けに負けてなあ。必死に隠れて逃げるために、着るものも何も一切合財捨てたんだがこれだけはなぜか捨てれずにいてなあ」
「『もう死んだ方マシだ』と思った時にも、これを見るとまだ死ねんと思ってな」
おかげでなんとか旧主家であった松前藩に拾われて、今があるのだと、豪快に笑いながら永倉は言い放った。
「それに、東京に出てきてからも厄介な目に遭ってな」
「三樹三郎に見つかったんだ」
三樹三郎とは、元新撰組隊士で、脱退したのちに尊攘派の浪士隊である御陵衛士を結成した鈴木三樹三郎のことである。
御陵衛士は新撰組の参謀職にあった鈴木の実兄の伊東甲子太郎を筆頭とする派閥が脱退したもので、新撰組としてはこれを敵視し、謀略をもって粛清した。
鈴木はその生き残りである。
彼らはその後近藤勇を狙撃し、右肩を使えなくした。
永倉達にとっても、鈴木にとっても互いが互いに仇敵として恨みつらみの籠った相手である。
「あいつらは、今は元官軍として鼻高々だったさ」
元御陵衛士のメンバーで、現在まで生き残っている者たちは、それぞれ栄達の道を歩んでいる。
それは別にいいさ、と永倉は思っていた。
「勝てば官軍」それは事実なのだから。
「だが、安富才助は阿部に殺されたそうだ」
安富才助とは、京都以来箱館戦争まで戊辰戦争を戦い抜いた隊士だが、明治3年江戸(当時)で惨殺されている。
島田や市村はもちろん、永倉や斉藤とも長い付き合いのある人物だ。
その下手人が、元御陵衛士の阿部十郎なのだという。
この件に関しては、警視庁に勤める斉藤も知っていたらしく、「俺もそう聞いた」と永倉の話を肯定した。
「一応勝手に斬った張ったをやりゃあ、犯罪にはなるが、向こうは天下の元勲様だ。そこらへんはどうとでもなる」
そんななか、帯刀した鈴木と護身用の杖しかもたない永倉が遭遇したのだ。
「向こうは斬る気満々だったようでな。みるみる殺気が籠ったうえで刀の柄に手もかかったさ」
――これは斬られるな。
永倉はそう思った。
そのときふと、胸元に入れていた左手に何かが触れた。
――そうか、俺にはこれがあったじゃないか。
新撰組の、隊章である。
『“誠”を貫く』
源之丞の言葉が、永倉の脳裏をかすめた。
――そうだ、俺は、俺たちの“誠”を貫くだけさ。
杖を持つ永倉の右手に、熱い力が籠った。
――来るなら来い。たとえ斬られようとも、そちらもただでは済まさんぞ。
永倉の総身から、剣気が溢れだしていった。
「何か用件でもおありか」
永倉の口から、地に響くような低い声が発せられた。
「いや、なんでもござらん」
鈴木は自らの殺気を引っ込めて、その場を立ち去って行った。
「いやあ、あの時はもうだめかと思ったが、これに触れた途端、勇気づけられてなあ」
永倉は自身の隊章を掲げながら、愛おしそうに言った。
俺の場合は、と斉藤は話を引き継いだ。
「会津の戦は散々で、その後は斗南なんて草もろくに生えない地域に飛ばされたのさ」
斗南藩で受けたもと会津藩士たちの苦悩については、永倉達も聞き及んでいた。
だが、その当事者たる斉藤から聞き及ぶ斗南の惨状は、筆舌に尽くしがたいものだった。
入植時の指揮を執ったもと会津藩家老の山川浩は「斗南とはいかな国よと人問わば神代のままの国と答えよ」とその様子を詠っている。
そこで斉藤は名を変え、妻を養いながら必死に生きてきたのだという。
「どうしてこのような扱いを受けるのだろう、などとも思ったさ」
斉藤はその時のことを思いだしながら言った。
今まで俺たちは国のために必死に闘ってきた。
なのに、なぜこのような仕打ちを受けなければならないのかと。
「しかし、その後思ったのだ。『恨むよりも、ここで踏ん張るべきではないか』とな」
――『“誠”を貫く』とはそういうことさ。
「そして最後は、泥沼の西郷の乱さ」
その当時斉藤は、生計を立てるために東京へ出てきて警視庁に奉職していた。
西南戦争においては、会津藩の汚名を雪ぐために政府側に参戦した元会津藩士は少なくなかったのだという。
西南戦争の途中、薩摩側の抜刀突撃や白兵戦にもつれ込んでの夜襲に苦慮した政府軍は、警視庁抜刀隊という形で、もと武士の志願兵や警視庁から選抜された士族の人員で、斬り込み専門の部隊を編成した。
斉藤もその一員だったが、敵軍を斬って斬って斬りまくった後に、「さぞかし名のある剣士だろう」と素性を訊ねられてうっかり「新撰組」だと名乗ってしまったのだという。
「今まで必死に隠してきたのにマズイと思ったが『新撰組なら納得だ』と警視庁の高官にまで言われる始末でな」
そして近々、警視庁の撃剣大会に出場するよう要請されているのだという。
「みなさん、“誠”の一字を胸に抱いているんですね」
市村が言った。
「当たり前だ、市村」
忘れたとは言わせないぞ、という風に三人が市村を見つめていた。
「ええ、もちろんわかっていますよ」
――“誠”を貫く――
それが明治を迎え、幕府がなくなってからも変わらぬ、新撰組の在り方なのだろう。