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誠顛末録  作者: 史燕
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八木源之丞

「力さん。そう言えばお主、先日八木源之丞殿の所へ伺ったそうだな」


永倉が思い出したように訊ねた。

八木源之丞とは、新撰組がまだ壬生浪士組と呼ばれていた頃に屯所として利用させてもらっていた家で、屯所の移転後も隊士たちは京にいたころには何かとお世話になっていたのだ。


「皆様お元気そうでしたよ」


島田は八木一家の話を三人に聞かせた。

昔は小さかった勇太郎君が今では立派な青年に成長していた事。

八木家の奥方に懐かしいもてなしを受けたこと。

源之丞と京時代の思い出を語り合ったこと。

島田の語る限りでは、八木家は自分たちのことを懐かしんでくれたようだった。


「……その、恨み言なんぞ言われはしなかったか?」


斉藤が、恐る恐る確認するように訊ねた。


「いやはや、某もそれが心配だったのですがね」


なにせ、薩長の者からすれば恨みしかない悪名高い新撰組の庇護者だったのだ。

それに対する対応もおのずと想像ができる。

それ故に斉藤も島田も、永倉や直接の面識のない市村さえも心配だったのだ。


「源之丞殿のお言葉です『うちらは気にしておりません。むしろ誇りに思っております』と」


永倉と斉藤、市村は思い出していた。

鳥羽伏見の戦いの直前、京を離れたその日のことを。




その日は土砂降りだった。

いつもの市中取締りとは異なり、完全な軍装に身を包んだ行軍だった。

この日、自分たちが去った後は、薩長を中心とした勢力が洛内に入ってくることは明白だった。

仕方のないこととはいえ、京の街を追い立てられていく自分たちが、果てしなくみじめで、哀しかった。


そんな思いを抱きながら、隊伍だけは乱さぬよう、諸藩の屋敷の間を練り歩いていた。

なにせ、会津・桑名以外の諸藩は日和見と言っていい立場で、将軍慶喜の招集にも応じなかったほどだ。

派手な音は藩邸からはしないが、京を出ていく自分たちの姿を気にしていることは肌で感じていた。


(あれが悪名高い壬生狼のなれの果てじゃ)

(散々好き勝手にやってきたんだ、それも当然さ)


そういった声が聞こえてくるようだった。

これが京に来てから足掛け五年、必死に戦ってきた結果かと思うとなお一層みじめだった。


そんな中、藩邸を通り過ぎた先に人だかりが見えた。

「こんな雨の中でどうしたというのだろう」「なにか問題でも起こったのだろうか」

隊士たちは不審に思いながらも、人だかりに向けて歩き続けた。


「永倉さん、いてはりますかー?」

「斉藤さん、こっちどすえ」


徐々に近づくにつれて、人だかりから自分たちを呼ぶ声が聞こえてきた。


見れば、行きつけの飲み屋の親父が、見回りの後によく通った茶店のばあ様が、浪人の押入りから助けた呉服屋の店主が、それぞれ見知った顔を見つけては声をかけていた。


「面を上げろーっ」


ふと、真ん中の方から声が聞こえた。

どうやら六番隊組長の井上源三郎が叫んだらしい。


「胸を張れーっ」

「槍を下げるなーっ」


永倉も斉藤も、井上に合わせるようにして叫んだ。


「面を上げろーっ」

「胸を張れーっ」

「槍を下げるなーっ」


永倉達組長に合わせる形で、島田達伍長も叫び声をあげた。


島田は実感していた。

自分は、自分たちは、ここにいる人々のために闘ってきたのだと。

天皇や将軍のため、自分たちの身を立てるため、そう言った気持ちがあったことも事実だ。

しかし、一番はやはり、この京の街に住む人々を守るために闘ってきたのだ、と強く実感していた。


「ちょっと、待ってください島田はん」


そう言って島田を呼んだのは八木源之丞だった。

島田は新撰組隊士の中でもひときわ体躯がよい。

その為、源之丞としても見つけやすかったのだろう。


「どうかなさいましたか?」


島田は用件を誰何した。


「皆さんな、朝からなーんも食うてへんとおもて、みーんなで集まって握り飯作ったんよ。近藤はんに伝えてもらえへんか?」


島田は、涙が流れそうになるのをぐっとこらえ、急ぎ近藤のもとへと走った。


「何ごとか」


そう尋ねる近藤たちに用件を伝えたところ、行軍をその場で一旦休止することになった。

島田は近藤たちを連れて、源之丞のもとへ向かった。

その頃、市村は土方に同行し、隊士たちの様子を確認していた。


近藤は源之丞に会うと、何度も、何度も「かたじけない、誠にかたじけない」としきりに頭を下げていた。

源之丞はというと、「近藤さんがこんなに頭に下げてもろうと思うてなかったわ」と戸惑っていた。


しかし、島田には近藤の気持ちが良く分かった。

自分たちが屯所にして以来、刃傷沙汰は絶えないわ、何かあればすぐに寄りつくわで、八木家の一家には迷惑をかけっ通しだったのだ。

これは他の人たちにも言えた。

何より、自分たちと関わった廉で、薩長から一体どんな難癖をつけられるかわからない。

今だって薩長両藩邸には人がいる。

にもかかわらず、京の人々はこのような対応をしてくれたのだ。


“頭などどんなに下げても足りない”


これは、近藤も、島田も、永倉や斉藤も、市村や他の隊士たちも、新選組の全員が思ったことだった。

それでも、源之丞はこともなげに言った。


「これは、うちらが好きでやったことどす」


「残念ながら、禁裏様や公方様やいうむつかしいことは、うちらにはわかりません」


「でも」と源之丞は続けた。


「でも、うちらにも、近藤はんや島田はんたちが、うちらのために必死に頑張ってはったのはよう知ってます。近藤はんたちは、近藤はんたちの“誠”を貫くために頑張ってはったんは」


源之丞はそう言って、新撰組の隊旗である“誠”の旗を見上げながら言った。

それを見た近藤は、最後にもう一度だけ「かたじけない」と言った後、源之丞の前を辞した。

面を上げ、胸を張り、ただ前だけを真っ直ぐに見つめながら……。




その後、幕府側は負けに負け続け、新撰組そのものも瓦解していった。

そんな中で戦い抜き、生き残った面々がこの場で酒を酌み交わしていた。


「もう新撰組だということで付け回されることはなくなりましたし、八木家の方も大丈夫でしょう」


そう言って、島田は話を締めくくった。


「八木家のみなさんって、懐の広いお方ですね」


そう、市村がポツリと漏らした。


「ああ、本当に広いさ」

「そうだな、懐の広さに関しては、日の本一かもしれないな」


永倉と斉藤も市村に続けた。

誰が言うともなく四人揃って盃を満たすと、同時に一気に盃をあおった。



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