再会
明治十五年の春、京のとある居酒屋に四人の男たちが集まっていた。
男たちは名を、藤田五郎・杉村義衛・島田魁・市村鉄之助といった。
「しかし、まさか力さんが京に戻っていたとはなあ」
各々手許に盃を持ち、一杯目を乾したことを確認すると、杉村が島田に話しかけた。
力さんとは島田の愛称で、その体躯が力士に見紛うほど立派なものであることからつけられたものである。
「ええ、撃剣道場を開かないかと誘いを受けまして」
島田は、面映ゆい様子で言った。
「そういう永倉も、集治監で剣術師範をしているそうじゃないか」
藤田は杉村を「永倉」と呼びながら茶化した。
集治監というのは現在の刑務所のようなもので、杉村は北海道の樺戸集治監で看主たちに剣術を指南していた。
「それを言うなら、斉藤。お主が警視庁に出仕したと聞いたときはびっくりしたぞ」
今度は杉村が藤田を「斉藤」と呼びながら反論した。
「永倉よ、間違うのはわかるが、今は斉藤一ではなく藤田五郎なのだが……」
「それを言うなら斉藤、俺も永倉新八ではなく杉村義衛だ」
藤田と杉村の間で剣呑な空気が漂い始めた。
この二人の場合は、もし手を上げるようなことになれば周りもタダじゃすまない。
見かねた市村と島田が、慌てて仲裁に乗り出した。
「まあまあ、お二人とも。今は古い仲間が集まったということですし、お互い昔のままの呼び方でいいじゃないですか」
「永倉さん、斉藤さん、新撰組の元組長同士で争っても仕方がないでしょう」
「むっ、そうだな」
「ああ、二人の言うとおりだ」
杉村と藤田は、二人の言葉で矛先を収めることにした。
ここにいる面々だが、実は並みの経歴を持つものではない。
まず、藤田五郎だが、現在は警視庁に勤めている。
草創期の警視庁抜刀隊に所属し、明治十年の西南戦争を転戦したというが、この男のすごいところはそれだけではない。
かつて、京において不逞浪士を震え上がらせた、泣く子も黙る新撰組三番隊組長――斉藤一なのである。
また、杉村もその名は変えているが、斉藤と同じく不逞浪士の取締りで名を馳せた、新撰組二番隊組長永倉新八その人である。
このため、現在は名を変えていても互いに「斉藤」「永倉」と呼び合っているのだ。
この場では市村の言う通り昔の名前で呼び合うことで落ち着いた。
市村鉄之助もまた、並みの人物ではない。
新撰組には京を離れる一年前からの入隊だが、副長付として今は亡き土方歳三の側で戊辰戦争を転戦し戦い抜いたという凄まじい戦歴を持つ。
さらに、西南戦争では斉藤とは逆に薩摩側として参戦していた。
戦歴としては永倉・斉藤に引けを取らないと言える。
最後に島田だが、はじめ監察方として活躍。
のちに彼は永倉の二番隊に属し、幹部である伍長として隊士たちを率いていた。
また、最高幹部である永倉や斉藤と同じく、新撰組草創期からの隊士であり、最古参のメンバーの一人であった。
箱館戦争まで新撰組隊士として参加し、最高幹部である新撰組頭取として降伏時の処理にも奔走した。
この場に集まったのは、斉藤が公用で、永倉が私用で京へ立ち寄ることとなったため、京に住む島田と斉藤と現在も交流があった市村が予定を合わせ、こうして旧交を温めることとなったのである。
「ところで市村よ。何ゆえ斉藤と連絡を取るようになっていたのだ?」
永倉が不思議そうに訊ねた。
たしかに新撰組時代は副長付の市村と幹部の三人は面識があったが、斉藤とそこまで親しかったわけではなかった。
「実は、西郷の乱(西南戦争)の後官軍に捕まったところ、偶々お会いしまして……」
事の次第はこうだ。
薩軍側に所属していた市村だったが、西郷の死を機に軍全体が降伏。
捕えられた市村を偶然見つけたのが、政府側の警視庁抜刀隊として所属していた斉藤であり、そのとりなしと降伏後の態度が大人しかったことが相まって、斉藤に身柄を預けるという形で解放されたのだという。
「なるほど、新撰組同士が敵味方に分かれていたのですか。不思議なものですね」
島田がしみじみとした様子で言った。
かくして、新撰組が鳥羽・伏見の戦いで洛中を離れて実に15年の時を経て、元新撰組隊士四人が京の居酒屋で再会を果たしたのだった。