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パパの短冊

作者: えんぴつ

「ねえねえ、パパは何をお願いするの?」


 家の玄関を開けると、待ってましたとばかりに幼稚園に通う娘のまみが七夕の笹飾りを手に持って、ぼくに走り寄ってきた。


「お、なんだ、これ。幼稚園で作ったのか?」


「うん。まみは『おいしいケーキをたくさん食べたい』ってお願いしたの。ママはね、え〜と、『かぞくみんながけんこうでありますように』だって」


 まみが、短冊を読みながら言った。


「そうかそうか、パパお風呂に入っちゃうから、そしたら書くからな」


「早く入ってくださ〜い」


 時折、敬語が混じるその話し方が、たまらなくかわいい。 


 お風呂から出ると、ゆっくりする間もなく、またまた娘の短冊攻撃がはじまった。


「ねえねえパパ、早く書いてよ。そしたらベランダに飾るんですから」

 

「ん〜、なんて書こうかな。願いごとかあ」


 正直なところ真っ先に浮かんだのは、「最新型のマッサージチェアが欲しい」だったが、そんな夢のないことを書いたらママに怒られそうだし、家族の健康はママに取られちゃったし。ぼくはほかに何かないか考えた。


 ま、なんだっていいんだ。娘が喜ぶようなことを書けば。娘はいま英語教室に通っているから「まみの英語が上達しますように」でいいか。いや、それなんか教育熱心みたいでイヤだな。お、そうだ、そうだ。


 ぼくは折り紙を半分に切った短冊に、ひらがなで「まみがうんどうかいのかけっこで1とうしょうになりますように」と書いた。 

 

 まみはぼくが書いた短冊を読み、「速いお友達がいたら無理ですよ。遅いお友達と一緒なら大丈夫かもね」などとブツブツ言いながら、ママと2人でベランダに出て、七夕飾りを飾り付け、「お願い事、かなうといいね」なんてかわいらしいことを言っている。 


 お願い事、かなうといいね、か。


 ぼくはビールをグラスに注ぎながら、あれ、どこかで聞いたことのあるセリフだなあと、ちょっと気になった。が、すぐに娘のクイズ攻撃にあってそのことは頭の中を通り過ぎていった。

 

 とにかく娘はいまクイズ魔だ。


 ちょっと前までは「なんで? なんで?」と質問魔だったのが一歩成長したのか、最近は幼稚園の先生に教わったことやテレビや本で知ったことを得意気にぼくに言いたいらしく、なんでも問題形式で攻めてくる。


 たいていはたわいもない問題だけど、たまに「どうして雨が降るのか、パパ知ってる? まみは知ってるよ」なんて言われると焦るんだ、これが。

 

 今晩の娘の問題は、七夕についてだった。


「パパ、七夕ってなんの日か知ってる?」


「それは織姫と彦星が1年に1回、お空で会える日だよ」


「ピンポ〜ン。でも会うだけじゃないですよ。デートするんだからね」


「へ〜、デートするんだあ。デートってなにするの?」


 娘の口からデートなんて言葉が出てくると父親というのはかなりドキッとする。


「それは、男の人と女の人が一緒にお話をしたり遊んだりするんだよ」


 そして、こんな答えにホッとする。


「まみはデートしたことあるの?」


「え〜、まだ子供だからないに決まってるでしょ。パパはあるの?」


「あるさ。ママといっぱいデートしたよ」


「いいな〜。まみもパパとデートしたい!」


 まあ、なんてかわいいことを言ってくれる娘なんだろう。


 なんかこう、両手で顔といい頭といいメチャクチャに撫でまわしたい感じだ。


 こうしてビール飲みながらまみの相手をしているのが、いまのぼくの至福の時間になっている。


「はいはい、もう遅いからまみは寝なさい」


 ママの言葉にまみはぼくの手を引っ張って、「ねえねえ、もっとお話しよ。お布団の中で」とぼくに添い寝をねだった。


 もちろん娘にメロメロのぼくは、ビールを飲み干すとまみの布団に入り、話の続きをはじめた。


「ねえパパ、ママとどんなところへデートに行ったの?」


「そうだなあ、映画を観たり、レストランで食事をしたり、最初のデートは、あれ? 最初のデートは……」


 そうだっ、さっきまみが言った「お願い事、かなうといいね」っていう言葉、ママが言ったんだ!


 同じ言葉を10年後に娘から聞くとは……。



 

 あれはパパが大学3年でママが1年の時だった。


 その頃のパパはとにかく旅行が好きで、バイトでお金を貯めては自転車で全国をまわっていた。


 あの時は北海道1周旅行の最中だった。


 何日間か寝袋生活が続いて、そろそろお風呂にも入りたかったからサロマ湖のユースホステルに泊まった夜のことだ。


 パパはユースホステル特有のあの“みんな仲間だ”みたいな雰囲気が苦手で、食事を済ますとすぐに寝てしまうつもりだった。


 でも、食堂でひとりの女のコが「自転車でひとりでまわっているんですかあ。すごいですねえ。夜とか怖くないですかあ?」なんて話しかけてきて、そのうちに外でキャンプファイヤーやフォークダンスがはじまっちゃったもんだから、そのコに誘われてパパも柄にもなくフォークダンスまで踊ってしまったんだ。


 そのコの手、すべすべで、柔らかくて、小さくて、かわいかった。

 

 その後は、結局みんなで遅くまでワイワイ飲んでしゃべって盛り上がった。


 朝起きると、ユースホステルの玄関に大きく太い竹の七夕飾りが用意されていたんだ。昨日はなかったから、その日からはじまった七夕企画だったみたいで、宿泊客が思い思いの願い事を短冊に書き、チェックアウトしていた。


 パパはまだお酒が残っていたのか、それとも旅先で大胆になっていたのか、普段なら絶対にそんな勇気なんかないのに短冊に『優ちゃんに会わせてください』って書いたんだ。


 そう、ママにまた会いたいって。


 ママとママのお友達には朝食の時に別れを告げていた。


 だから、パパがこのまま自転車に乗って次の目的地に向かえば、それでもうママとは2度と会うこともない。


 お互い連絡先もなにも交換していなかったから。

 

 後ろ髪を引かれる思いで、パパは自転車に荷物をくくりつけ、さあ出発という時に、意外なことが起こった。


 ママがぼくの前に現れたんだ。恥ずかしそうにはにかんで。


 そしてメモをパパに手渡すと、「お願い事、かなうといいね」と小さな声で言った。


 舞い上がっているパパはなんのことかすぐには分からなかったけど、その意味が分かると顔から火が出るくらい恥ずかしくなって、パパはロクな言葉もかけずにペダルを踏んでママの前から走り去ってしまった。


 メモにはママの住所と電話番号が書いてあった。

 

 それから東京のパパと福岡のママとの文通がはじまったんだ。


 まだお互いパソコンも携帯も持っていなかったからね。


 パパはママが好きになり、すぐにでも福岡まで会いに行きたかったんだけど、パパのパパ、つまりまみのおじいちゃんが倒れて、パパのお家はお金に困っちゃって、とてもそんな余裕はなかったんだ。

 

 そして文通だけの交際が1年近く続いたある日。


 パパ彦星はどうしても、ママ織姫に会いたくて会いたくて、とうとう自転車で天の川を渡る決心をしたんだ。


 東京と福岡まで距離にして1300キロメートル。当時のパパにとっては、そんなに驚く距離ではなかった。でも、時間がなかったんだ。7月7日に福岡に着くためには10日しかなかった。1日130キロメートルの強行軍は、パパでも無謀なスケジュールだったんだ。でも、行くしかないと思った。


 パパはペダルを漕いで漕いで漕ぎまくった。筋肉痛で太腿が痙攣しても、歯を食いしばって漕いだんだ。


 そして、7月7日、七夕の夜に博多の駅前でママと再会したんだ。


 ママは、いまにもベソをかきそうな顔で「去年の七夕のお願い事、かなったね」って言ってくれた。


 あの時のママの顔、かわいかったなあ……。

 


「だからね、七夕さまがお願い事をかなえてくれたからパパとママは結婚できて、まみが生まれたんだよ、まみ。まみ?」

 

 娘はとっくに寝息をたてていた。 



 ぼくは静かにまみの布団から抜け出すと、新しい短冊に「優ちゃんとずっと一緒に仲良く暮らせますように」と書いた。恥かしいのでまみが読めないように漢字で。


 さて、ママがこの短冊に気付いたら、ぼくになんて言葉をくれるのだろう。


 10年前と同じように「お願い事、かなうといいね」って、はにかんで言ってくれるかな。


 



    

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― 新着の感想 ―
[一言] 少し出来すぎだけど、優しい文体と僕が若かった時代の雰囲気が伝わる素敵な物語でした。 不便な方が幸せなこともありますよね。
2008/05/14 08:39 退会済み
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