Vol.05
「……アキヒコ様、起きてらっしゃいますか?」
「……うん、起きてるよ」
「このことは、お父様とお母様には話しません。だから、わたしの立場のことで躊躇ってらっしゃったのでしたら、気にしないでください」
「リオミ……」
「ロードニアのことはもちろん愛しています。ですが、アキヒコ様が望まないのでしたら、わたしは国を出ます」
「……」
「だからどうか、わたしのことはひとりの女として見てください」
俺は、返事をしなかった。
リオミもそれ以上は語らず、眠りの世界へ落ちていった。
彼女の言ってくれたことは、素直に嬉しい。国と俺ならば、俺を選ぶと。俺にそこまでの価値があると思えないのだが、彼女が抱く想いまで否定することはできない。それほどまでにひとりの女性に愛された経験は、俺にはなかった。生きてきて、これほど幸福な気持ちになったのは初めてだ。
恋の病には寿命があるといわれる。約三年だ。この間に愛を育めなければ、恋は冷める。無論、長年片思いをしている人もいることを考えれば、例外もあるだろう。それらは恋の病ではなく、自分の中で対象への愛を深めた結果だといえる。
そう、恋と違って愛に賞味期限はない。時間をかけてふれあい、一緒にいることを当たり前にしていく。俺は愛を恋の延長だと考えていない。これは家族愛のようなものだろうと根拠もなく考えている。
俺から見て、リオミはあきらかにまだ恋に狂っている段階だ。
今の寝物語にしたって、恋煩いを起源としている。リオミの想いが偽物であり、一時の感情だと切り捨てているのではない。想いは紛れもなく本物だが、それは俺達がきちんと努力を続けていかない限り長続きしないということだ。
今のリオミの想いを永遠とするためには、彼女の好意につけこんだり、欲望のはけ口としたりしてはならない。それはただの裏切りである。そういった手管を得意とし、操り人形にすることに長けた者もいるだろうが、そういった連中を俺は心の底から嫌悪する。下衆が相手なら、殺人だって神は許してくれると思っている。
だから後は、俺が努力できるかどうか。リオミを裏切らない自分で居続けることができるかということだ。
そして、俺がこの世界にいつまでいるかということでもある。
「俺は本当に帰れるのか……」
リオミとの普段の会話から、それとなく俺が帰るのは不可能じゃないとわかっている。何度でも行き来できるほど自由でないにせよ、俺を帰すぐらいだったら問題ないらしいのだ。
だから、「俺は本当に帰れるのか」という言葉は「俺が帰る気になれるかどうか」とイコールだ。
聖鍵を地球に持ち込めるかどうかは、わからない。聖鍵のなくなった俺が、地球で昔のように生きられるか想像できない。仮に持ち込めたとして、どこまでできるのかもわからない。
だが、そんなことよりもっと重要なのは、リオミと一緒にいられなくなるかもしれないことだ。こんなにも愛しく、俺を好いてくれる女性を置いていけるのか。彼女が一緒に来られるとしたら、地球でともに暮らせるのか。そもそも、そこまでして帰る必要はあるのか?
俺は、あの地球に未練があるのか?
思考の迷宮だ。俺にとっては慣れ親しんだ、昔からの娯楽。答えは出さない。ゴールも見つけない。いつまでも、迷宮の中を彷徨い続ける。
ふと横を見れば、リオミの安心しきった寝顔。リオミの美しい髪を弄びながら、俺も同じ夢を見たくなった。
「ふたりとも、交尾したの?」
「「ぶっふッ!?」」
ディーラちゃんの第一声に、俺とリオミは同時に牛乳を吹き出した。
「どうしたの?」
「どうしたの、じゃねぇ!? おま、朝っぱらからなんつーことを!」
「んー、だってふたりからお互いの匂いがするし」
そういえば、ドラゴンの超知覚は五感と第六感を総合的に使っているのだと、ルナベースで見た覚えがある。ディーラちゃんのそれが、こんな形で発揮されてしまうとは。
「キミみたいなお子様が交尾とか言っちゃいけません。お兄ちゃんは許しませんよ!」
「えー、なんでー?」
「あのねディーラちゃん……? 人間同士は、あんまりそういうことを人前で言わないんですよ」
この光景、よくあるホームドラマみたいな展開だな。ディーラちゃんは魔物なので、人間のような恥じらいがないようだ。
これは、しっかり教育をしなければならない。朝が来る度に指摘されていては、おちおちリオミといられなくなってしまう。
「んー……」
ディーラちゃんは納得していない様子だ。ちょっと卑怯だと思うが、彼女の弱点を突こう。
「た、例えばディーラちゃんはラディちゃんが嫌がるようなことはしたくないし、されたくないだろう?」
「うん! 絶対そんなのはイヤ!」
「ディーラちゃんにそういうこと言われるとね、俺とリオミもディーラちゃんと同じような気持ちになっちゃうんだよ」
唖然とした様子のディーラちゃんだったが、顔がくしゃっと潰れたかと思うと……。
「うわあああああん! ごめんなさーい!!」
泣き出しちゃった。
しまった、やりすぎだったか。
「大丈夫、大丈夫ですから」
リオミがディーラちゃんの背中を撫でてあげる。
「もう二度と、二度としないから~! ゆるして、ゆるして~……!」
「ゆ、許す許す! 俺ももう、怒ってないから!」
しばらくは、ディーラちゃんを宥めるのに時間がかかってしまった。難しい年頃だろうなと思っていたけど、そういえばこの子は見た目よりも中身が幼いのをすっかり忘れていた。
どうも魔王に支配されている間、精神は眠らされている事が多いので、体だけが成長してしまう弊害があるようなのだ。ディーラちゃんは年齢段階で言えば、シェイプチェンジの姿も20歳を過ぎていなくてはならない。
だが、彼女の精神年齢が反映されて14歳ぐらいに落ち込んでしまっている。いや、実際の中身はもっと年下だろう。ディーラちゃんの望みが、やや上方に反映されているのだ。ドラゴンは寿命がないから、失った時間を取り戻せないわけではない。ちょっとロリババアになるだけだ。
そういえば、この場にはもうひとりいた気がしたのだが……。
「…………」
黙々とバターロールにママレードをつけ、口に運んでいるシーリア。ディーラちゃんとは逆に、不気味なまでの静けさを纏っている。
「え、ええと。シーリアさ~ん?」
「…………」
な、なんだろう。
怒っているという感じではない。もし怒りを秘めているにしても、シーリアの場合は空気に伝導する。よくよく観察してみると、黙ったまま食事をしているわけではないことに気づいた。
「そういえば、ふたりともそういう関係に見えなくもなかった。何故、私は気づかずにいた……」
超小声でそんなことをのたまっていらっしゃった。
「おい、シーリア。大丈夫か?」
「!? ア、アキヒコッ!?」
ちょっと心配になったので、顔を近づける。背後から肩を叩かなかったのは、なんとなく斬られる未来が見えたからだ。
「具合でも悪いのか?」
「い、いやっ。そんなことはぁ、ないぞぉぉ」
どもっている。明らかにいつものシーリアじゃない。とはいえ体の調子が変というわけではないようだし、彼女が大丈夫だというのなら平気だろうか。
「そうならいいけど……」
「な、なあアキヒコ!」
引き下がった俺に、今度はシーリアが食い下がる。
「な、なんだよ」
「わ、私は……アキヒコのことを想い続けても、いいんだよな……?」
シーリアが、こんな儚げに見えるのは初めてだ。
もちろん、彼女が俺のことを想うというのは「憎んでもいいのか、恨んでもいいのか」という意味に相違ない。それが今や、彼女の命を繋ぎ止めているのだから。
俺は力強く応える。
「そんなの、当たり前だろ!」
「そ、そうか! よかった!」
安心した! というようにパァッと表情が明るくなるシーリア。
そうか、俺ってそんなに憎まれてるんだな。俺がしたことを思えばしょうがないとはいえ、ここまで笑顔になられると、ちょっと心にズキっとくる。
「私は二番目でも一向に構わんからな」
「お、おう」
グっと握りこぶしを作り、俺に向かってウインクしてくる。
意味がわからない。シーリアの思考回路は未だに解読不能だ。同人街のメイドカフェで土偶とかを削っていくのと同じレベルで。
落ち着かない朝食を終え、俺達はハルードの宿でトランさんと合流する。ディーラちゃんは、お留守番だ。
「おはようございます。昨晩はお楽しみだったようで」
「貴様、見ていたな!?」
トランに掴みかかる。
「え、ええと、バケシロに舌鼓を打ったという意味だったのですが、何かまずいことでも……」
「も、申し訳ない。つい」
トランさんの襟を直しながら、引きつった笑顔を浮かべる俺。
いかんな、どうも朝からいろいろあったせいでテンションがおかしい。今ので、ちょっとトランさんにも悟られちゃったじゃないか。
ハルードを出てしばらくは、平穏無事だった。国境の関所も特になんのトラブルもなく越え、アズーナン王国へと入国する。
「アズーナン王国は、果物のおいしい国ですよ」
「へえ、果物か」
ルナベースで「アズーナン 果物」と入力。
バナナ、パイナップル、ヤシといった南国系の果物が多い。
こちらでも、舌を楽しませることができそうで何よりだ。
「ただ……ロードニアに比べると、治安はよくありません」
「へぇ、そうなのか?」
「アキヒコ、アズーナン王国で最も収益を上げているモノが何か知っているか? 知らなければ調べてみるといい」
言われて調べる。
「…………麻薬、か」
アズーナン王国はロードニアの東に位置し、南側に温暖な海を抱えている。
北は三国連合、東にはベーベル山脈が連なり、そこを越えると都市国家群。すべての国と良好な関係を築いている。この国では一概に麻薬といってもすべてが違法というわけではなく、マリファナなどは合法だ。
強力な違法薬物はマフィアに相当する裏組織が牛耳っており、闇で取引されているとのことだ。
他国に流れてくることもあるが、関所や港を通ることはまずない。官吏を買収できても、麻薬を探知する魔法装置を突破できないのだ。それゆえ裏の地下ルートなどが存在し、これらの根絶に向けてアズーナン王国は日々努力を続けているのだという。
アズーナン王国の南側には群島がいくつも存在し、それらを拠点とした海賊が横行している。だが、多くの海賊は国に雇われた私掠船であり、麻薬を密輸する裏組織への略奪が認められている。稀に裏組織と手を組む海賊もいるそうだが、そういった連中は長続きしないのだそうだ。
内陸よりも海に棲息する魔物は狂暴であり、船を沈めるクラーケンなどの魔物もたまに出没するという。それゆえ海賊は屈強な男どもが揃っていて、恐れを知らない。魔王も彼らには手を焼いたことだろう。
「そういうわけで、海は国の認可を得られた船であれば、かなり安全な旅が約束されています。ただ、内陸部は正直言って安全とは言い切れません」
「この街道は大丈夫なのか?」
「街道を外れるよりはマシだろうが、自衛手段を持たないで移動するのは自殺行為だ」
シーリアの率直な意見に、トランさんが苦笑いしている。
なるほど、俺達と出会っていなければハルードあたりで冒険者を護衛に雇うのがベターだったわけだ。治安のいいロードニア王都に比べて、ハルードに冒険者が多かったことも納得できる。
「まあ、問題はないだろ。もし、今この馬車を襲うような連中がいたら、そいつらは間違いなく世界で一番ツイてないよ」
「ああ、そうだな」
シーリアの目が細められた。
「む、どうした?」
「おでましだ」
彼女がそう言った瞬間、下品な響きの声が次々に。
「おい、止まれ! 金目のものと身ぐるみを置いていってもらおうか!」
「へっへっへ、金もってそうな商人だぜ」
「おい、中には女もいるぞ! 最高にツイてるぜ、ヒャッハー!」
この馬車は、世界一ツイてない男たちに包囲されていた。




