Vol.16
ディーラちゃんの謝罪は終わった。
次は俺の番だ。
「昨日は……俺も言い過ぎた。すまない」
「アキヒコ……」
「だけど、俺にはやっぱりお前を殺すなんて。いや、人を殺すなんて無理だ。俺にはできないよ」
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が流れる。
「……半ば不意打ちのような形でふっかけた私のほうこそ、悪かった。私もあのときは、頭に血が昇っていたからな」
「アラム……」
「もう、私にその名は名乗れない! すまんが、ひとりにしてくれ」
今は時間が必要か。
「……今日中にギルドに報告に行く。昼過ぎに迎えに来るからな」
そう言い残して、メディカルルームを辞した。
「彼女、立ち直れるでしょうか……」
「どう、だろうな」
リオミのほうが、彼女の気持ちは想像しやすいのかもしれない。アースフィアはところどころ地球……というより日本の要素が伺えるので忘れてしまいそうになるが、やはりここは異世界だ。
所詮、俺は異邦人。相容れない価値観もある。
「…………」
ディーラちゃんは、すっかり元気をなくしていた。
「……お姉ちゃんのところ、行くか?」
彼女は無言で頷いた。
ラディちゃんはあいも変わらず、こんこんと眠り続けている。
こうしてふたりを並べてみると、あんまり似てないな。ラディちゃんはルビードラゴンって感じがしないんだよな。色的に。
他種ドラゴンなのかもしれない。
「ディーラちゃん、頼みがあるんだ。ドラゴン討伐の依頼の証として、キミの鱗を少し分けて貰いたい」
「アキヒコ様……」
リオミの目は「倒したことにしてしまうのですか」と訴えていた。
「アラムと話し合って決める。ディーラちゃん、いいかな」
「……うん」
ディーラちゃんが袖をまくると、腕の部分に真紅の鱗が露出していた。シェイプチェンジを使っている間も、ドラゴンの特徴は残るらしい。ディーラちゃんは痛みを堪えるでもなく器用に鱗を一枚剥がして、俺に渡してくれた。
「ありがとう。キミたち姉妹のことは、俺が責任を取って守るから」
「……うん、ありがと。お兄ちゃん」
彼女たちの罪を共有してあげられない以上、俺にできることはそれぐらいだ。
俺を見上げたディーラちゃんは、精一杯の笑顔を浮かべてくれた。
「夕飯までには帰ってくるから、留守をよろしくね」
「うん」
多少の申し訳なさを感じつつ笑顔を返し、俺は部屋を後にした。
「リオミ、ちょっと付き合ってくれ」
「は、はいっ」
そう言ってブリッジに跳ぶ。
リオミを誘ったものの、特別彼女と話す用件があるというわけではなかった。
ただ単に、ひとりきりになりたくなかっただけ。
「アキヒコ様……?」
アースフィアを見下ろす俺を、リオミが心配してくれる。
「この世界全部で、これから同じようなことが起きるんだよな」
アラムとディーラちゃんは縮図に過ぎない。
魔王の支配がなくなったあとも、人間は魔物を憎み、魔物は虐げられて人間を憎むようになる。
ディーラちゃんのような善良な子は、肩身の狭い思いをしながら罪悪感に苛まれる。
「俺は、本当に魔王を倒してよかったんだろうか……」
今でも時々夢に見るのだ。
あの選択は果たして正しかったのか、と。
リオミの事を思えば最善だったことは間違いないが、これから起きるであろう悲劇を思えば胸が痛む。
「アキヒコ様、お気を確かに」
リオミが隣に来てくれる。
俺の心が弱っていると察したか、かつてのような叱責はない。
そっと寄り添ってくれる。
「たしかに魔王を倒したことで生まれる悲劇もあります。それでも、魔王によって苦しめられた多くの命が救われたことに間違いなどありません」
「ああ、わかっている」
「これから、アキヒコ様の知識を大いに広めましょう。お父様もきっと協力してくださいますし、聖剣教団なら教えとして広めることもできましょう」
「俺は保護って方向で考えてたけど、そうか。最終的には、人々の認知度を上げる方が重要だよな」
また俺は視野狭窄になっていたようだ。
こういう大局的な判断は、リオミのほうが向いている。
「惑星エグザイル、か。言ってくれるよ」
超宇宙文明は、アースフィアを流刑地と呼んでいる。彼らにとって、アースフィアは未開もいいところなのだろう。外宇宙への開拓以前に、彼らは惑星の中でひとつになれていない。
彼らから見れば地球も、同じようなものだろうか。
「アキヒコ様。どうか、わたしたちを信じてください」
「リオミ。どうか、俺を支えてくれ」
俺ひとりでは、大きな力に押し潰されてしまう。だから、決してこのぬくもりを手放すまい。
「この間の続き……」
「……はい」
抱きしめた柔らかいリオミの感触に脳を焼かれながら、美しく艶やかな髪を撫でる。
俺を見上げる彼女の瞳は潤んでいた。
思わず愛おしくなって、できるだけ優しく頬に触れる。
やがて俺の手は、リオミの少し充血した唇に辿り着く。
かつて、あれだけリオミに手を出してはならないと頭の中で言い訳を連ねておきながら、今の俺を支配する情動の前に、あれらの詭弁は塵芥同然と成り果てていた。
妹みたいに思ってる、などという発言は撤回しよう。俺にとって、彼女はもう……。
「好きだよ、リオミ」
「……うれしい。わたしもお慕いしております、アキヒコ様」
お互いの気持ちを確かめ合う。
リオミは赤面しながら嬉しそうにはにかんだ。
一瞬、アラムやディーラちゃんに見られてしまうんじゃないかという思考が脳裏によぎった。
だがゲスト権限もない彼女たちでは、ここにたどり着くことはできない。
だが、今度は無粋なセキュリティカメラどもが俺たちをしっかり見張っているのが気になった。聖鍵に命じ、照明ともどもすべてシャットダウンする。
宇宙から差し込む有害な紫外線などを遮断した太陽の輝きだけが、ブリッジを覆う漆黒の闇に一縷の光をもたらす。
リオミは突然の闇にびくりと肩を震わせたが、俺が自分を指し示して瞬きすると、すぐに安心してくれた。
俺の手がリオミの両肩に差し掛かると、いよいよリオミも覚悟を決めて目を瞑る。
アースフィアの蒼き輝きに、ふたりの男女の影が重なった。
昼過ぎになった。
俺たちがアラムを迎えに行くと、既に鎧姿に着替えたアラムが待っていた。
「遅かったな」
「あ、ああ。悪い」
「す、すいません」
「このままギルドに行くのか?」
「いや、一度村に挨拶をしてからかな」
――聖鍵、起動。
――対象、俺、リオミ、アラム。
――範囲転送、メイラ村。
「村にはなんと説明するんですか?」
「本当のことを言おうと思う。それでいいか?」
「構わない」
即答だった。
ディーラちゃんの謝罪が、多少なりとも効果をあげたのだろうか。
村に事情を説明すると、逆に納得されてしまった。
子供の様子がおかしいと思った親が、丁寧に話を聞き出した結果。子供はなんとディーラちゃんと思しきドラゴンに遭遇し、友達になっていたことがわかったのだ。
あのときアラムの言うように、きちんと情報収集をしておけば……。
結局、レッドドラゴンの情報が誤りだったという裏付けは、狩人の証言と子供の証言、複数のソースから取ることができたというわけだ。ルナベース検索だけに比重を置くことの危険性を再認識する。
倒したと嘘の報告をしたら、子供には泣かれていたに違いない。
子供には今度ディーラちゃんに会わせてあげることを約束し、俺達は村を去った。
「よかったですね、アキヒコ様」
「ああ。ちょっと、光明が見えた気がするよ」
「…………」
アラムは複雑そうに顔を顰めていた。
王都の外に跳び、徒歩でギルドへと向かう。受付の人に取次を頼むと、彼女は慌てた拍子にまた小指をぶつけていた。ひょっとして、いつもやるんだろうか。
「さすがアキヒコ様、魔王討伐に漏れぬスピード解決でしたな!」
「あー……どもです」
そうだ、ギルド長はこういうヤツだった。
これで魔王討伐の生き残りだというのだから、能ある鷹は爪を隠すということなのだろうか。
「して、ドラゴンを倒したという証は?」
「それなんですが、ドラゴンは悪い魔物ではなかったので、倒さずに説得しました。人は襲わないそうです」
「なんですと!?」
村でしたのと同じ説明を繰り返す。
「一応、説得した証ということで、ドラゴンからは鱗を分けてもらいました」
「うむむ……しかし、レッドドラゴンだったのですよな」
「いえ、実はそこが間違いでして。ルビードラゴンの子供だったのです。瘴気に侵されてもいなかったので、魔王がいなくなった後に正気に返ったのでしょう」
あらかじめ考えておいた文句をつらつらと。
反論の余地を与えず、鱗を手渡した。
「討伐ということにはなりませんでしたが、ドラゴンの脅威は去りました」
「ふぅむ……」
「オーキンスさん」
考えこむギルド長に、アラムが声をかける。
「アキヒコの言うことに間違いはありません。私が保証します」
「キミがそのようなことを言うとはな……」
心底驚いた様子のギルド長。彼はアラムの事情を知っているだけに、信じられないといった風情だ。かくいう俺も、ここでアラムがフォローしてくれるとは思わなかった。
「それと、私はアキヒコに決闘を挑み敗れました。もう私は剣聖アラムではありません」
「な、なんだってー!?」
ドラゴン説得以上のインパクトが、ギルド長を襲う。
「本当なのですか、アキヒコ殿!」
「えーと、はい。勝っちゃいました」
てへぺろ。
「と、いうことは……やはり、掟に従って……」
「それなのですが、私はアキヒコに助命されました。業腹ではありますが、生き恥を晒すことにします」
さらに信じ難いものを見るような目で、ギルド長は俺とアラムを交互に見た。
ていうか、びっくりしてるのは俺も同じなんだけど。
「そういうことですので、私の登録名から称号を消してください。かつての名に戻ります」
「そ、そうか……わかった」
ギルド長は頷いた。
「では、その件はのちほど済ませておくとして、まずは報酬なのですが」
ギルド長の目が厳しく細められる。
減額は覚悟の上だ。
「規定どおり、おひとりにつき白金貨3枚と金貨100枚を支払わせて頂きます。白金貨では普通の買い物には大きすぎますので、1枚分を金貨に両替致しました。もちろん、費用はいただきません」
報酬に変わりなし。考え得る限り、最高の結果だ。
文句はない。
「わかりました、それで結構です。ありがとうございます」
「それと、アキヒコ殿にはご指名でカドニア王都のギルド支部から依頼が入っております。もちろん、受けるかどうかは決めていただいて構いませんが……」
む? 俺を指名?
「あのカドニアが……?」
リオミが呟く。なんだろう?
いや、今はギルド長から内容を聞くのが先だ。
「どんな依頼でしょうか」
「なんでも盗賊退治とか。アキヒコ殿のお手を煩わせるようなものではないと思いはしますが……」
盗賊。つまり人間相手なのか。いくら盗賊でも、人間を殺すことには抵抗があるな。
とはいえ俺を指名というのは気になるし、受けるかどうかの判断もしたい。
調べておこう。
「今すぐ即答はできませんが、前向きに考えておきます」
「かしこまりました。早急というわけでもありませんし、カドニアは遠いですからな。時間を置いても大丈夫です」
そういうことなら、本来かかる移動時間ぐらいは情報収集に費やしてしまってもいいということか。
アースフィアの通貨も手に入ったし、しばらくは余裕がある。前みたいに漏れがないように、慎重な調査をしよう。
ギルド長は何やらリオミに目配せし、リオミも頷いていた。
なんだよ、俺だけ仲間はずれかよ。俺の席ねぇのか?
「報酬は受付の方でお支払いします。今回は本当にありがとうございました」
ギルド長がふかぶかと頭を下げる。
こうして事務的に応対してくれる分にはいいんだが。
「それとアキヒコ殿! こちらの紙にサインを頂けないでしょうか! 私と母と娘の分、3枚お願いします!!」
最後まで大人しくしていられんのか、この人は。
俺は適当に書いたサインを渡して報酬を受取り、ギルドを後にした。




