Vol.32
俺はリオミとヒルデをマザーシップの展望室に誘った。
展望室の全天スクリーンでは、真っ暗闇の宇宙の中で星々の瞬きが必死に揺らめいている。
今日もどこかでダークスが星々を侵食しているだろう。
……救世主概念を宿していた頃は、それが我慢ならなかった。
だけど今は、見知らぬ命がどうなろうと胸が傷まない。
パトリアーチと初めで出会った時も、彼は俺を「今までの三好明彦と違う」と評した。
三好明彦とはもっと自分勝手で利己的で、宇宙すべての命を救おうなどとは露ほども考えない。
まあ、要するに普通の人間なのだ。今までの俺が、普通ではなかっただけなのだ。
「……ベニーから聞いてたって、ホント?」
ひとまずオリジンの正体と、俺がオリジナルであることは……リオミとヒルデに伝えることにした。
正直、泣かれたり魔法をぶっぱされたり剣で切り刻まれたり慰謝料を請求されたりぐらいは覚悟していたのだが、ふたりは意外と冷静に聞いてくれた。
「はい。アキヒコ様が出撃してらっしゃる間に、アキヒコ様がオリジナルなんじゃないかという話をしてたんです」
「まさか、陛下自身がオリジンを創ったとは思いませんでしたけれど」
とはいえ、彼女たちが内心穏やかでないのは様子を見れば一目瞭然だった。
リオミには心配されたし、ヒルデは今も不機嫌そうである。
「そっか、ベニーがふたりに話をするって……そのことだったわけか」
彼女の気まぐれが結果的にワンクッションになったわけか。
つくづく俺は誰かに助けられて生きているな。
などと油断していたからか。
「いいですよー。もうアキヒコ様のことはいろいろ諦めました。好きにしてください」
「えっ……」
リオミがアキオミをあやしながら、俺に向けて無慈悲なセリフをのたまった。
「今後はアキオミがそういう無茶をしないように育てることに専念しようと思います」
アキオミは寝ている。この時期の赤ちゃんは、寝る時間がとにかく長い。
「ね~、アキオミはパパみたいな無茶なことしないもんね~」
話しかける相手が寝てるのに、何故か会話が成立しているよう見えるから不思議だ。
しかも今はアプリを使っていないはずなのに。
「いや……今後は俺も父親になるんだし、こういうことは」
「そのセリフ、何度目でしたっけ?」
「えっと……」
慌てて取り繕うものの、あっさり言い負かされて口篭る俺。
情けない……。
この性格は、あれか。
並列思考とか関係ないのね。
「アキオミはパパみたいになっちゃダメでちゅよ~」
アキオミに睡眠学習されると嫌だなぁ。
この分じゃヒルデにもいろいろ言われそうだ。
などと思いつつ、守銭奴な側室の方に振り向くと。
「じゃあ、陛下の寵愛はわたくしがいただきますわね」
「え?」
ヒルデは素早く俺の左横に入り込み、腕を絡ませてきた。
「あーっ!」
くわっと目を見開いて抗議の悲鳴をあげたのはリオミである。
「あらあらあら、リオミ様はアキオミ王子の方が大事なのでしょう? でしたら、わたくしと陛下が何をしてても構いませんわよね?」
うわー、ヒルデ。えげつない手を……。
彼女とは何度か褥を共にした記憶があるので、腕にヒルデの胸があたっていても、そこまで気にならない。
気にならない。
「よ、よくないですっ。わたしも……」
リオミも俺の腕にくっつこうと近づくが、そこで気づいてしまう。
自分の手はアキオミを抱いていて、塞がっていることに。
「~~~っ!」
アキオミを放り出すこともできず、さりとて俺とヒルデがくっついている絵は我慢できない。
八方塞がりのリオミは、恨みがましく俺を睨みつける。
えーっと……。
「じゃあ、こうしよう」
「ひゃっ」
とりあえず俺は空いてる右手でリオミの肩を抱き寄せた。
「こ、こんなことで誤魔化されないんですからね」
「誤魔化してない。リオミが怒ってること、ちゃんとわかってるから」
「……ゃぅ」
この間の別れる宣言は死にたくなった。
もう、あんな想いをするのはコリゴリだ。
だからリオミに愛想をつかされるのだけは、なんとか阻止しないと。
「ちっ。結局、わたくしは噛ませ犬ですのね」
そう言いながらもヒルデは俺の左腕から離れようとしない。
「でもヒルデ。ちゃんと右側は空けてあげてたよな」
右側1番、左が2番。
リオミは常に右側をキープしていた。
ヒルデもそれを知っているはずである。
「た、単に近かっただけですわ……」
「さあ、どうだか」
「……お立場、おわかりじゃありませんの?」
「いでででっ!!」
万力のように左腕を締められて、たまらず呻く。
「ささ、大人しくそのままでいて、わたくしたちを満足させくださいまし」
ヒルデはすぐに力をゆるめた。
うーん……魔人化してなかったら、折れてたんじゃないかコレ。
思わず抗議したくなって、口を開こうとした……そのとき。
「オ……オギャアアアアア!」
「あ」
「え?」
「はい?」
リオミの腕の中で、アキオミが泣き出してしまった。
「ア、アキオミ! どうしたんですか!?」
「なんですの!?」
妻の2人が慌てて俺を解放し、アキオミに視線を注いだ。
どっちも何をどうすればいいのかまったくわからないらしく、ただただ右往左往。
そんな中、俺だけは冷静だった。
「2人とも慌てすぎだよ。ちょっとびっくりして、起きちゃっただけだ」
「そ、そうなんですか?」
リオミには故あって兄弟がいないし、ヒルデも末妹だっけか。
アースフィアでたくさんの王族の子供がいるのって、アズーナンとグラーデンぐらいみたいだし。
2人とも赤ちゃんがどういうものか、よくわかっていないようだ。
「ちょっとアキオミを貸して」
「は、はい」
リオミはまるで俺が最後の希望だとばかりに、アキオミを渡してきた。
俺は体を揺らしながら、我が子をなだめる。
「よーしよしよし。大丈夫大丈夫」
「ギャアギャアアア」
アキオミは泣き続けている。
多分おっぱいでもうんちでもない。
さっきの騒ぎで起きてしまったのだろう。
「ほーら、怖くない。怖くないぞ~」
俺はスクリーンの側に寄って、アキオミのゴキゲンをとり続ける。
しばらくすると。
「ん、泣き止んだ」
泣き疲れたのか、アキオミはおとなしくなった。
しばらくすれば、再び眠りの世界へ旅立つだろう。
「アキヒコ様……久しぶりにすごいと思いました」
「陛下……い、意外ですわ……」
「赤ちゃんの世話は、妹が生まれたときに手伝ったことがあるから」
この時期の赤ちゃんなら、寝てる分には大人しい。
まだ動きまわったりしないから、夜泣きさえなんとかなれば大丈夫だ。
「ん、いつの間にかマザーシップが転移したな」
「クルーの皆さんのお仕事ですわね」
メシアス多次元連合の転移には、映画のようにワープの衝撃に備えるとか、そういうのはない。
風情も何もあったものではないが、スクリーンに映る星々が一瞬で変わる光景は、それはそれで面白い。
「あっ、見てください! アースフィアですよ」
リオミがスクリーンに手をついて、身を乗り出すように覗きこむ。
メシアスでエグザイルと呼ばれる流刑惑星が、碧々と輝いていた。
マザーシップもアースフィア衛星軌道に乗るコースを取っているはずだ。
アースフィアがどんどん大きくなるのを眺めていたら、俺のスマホがバイブした。
画面を確認すると、再び王宮へ戻っていたフェイティスからのメールが届いていた。
「チグリ様への説明が終了しました。マザーシップのイメージホールへお連れしたので、ご主人様おひとりで来てください」
チグリ……ダークライネルの一件で本体の方で会って以来か。
当時は彼女が脳内爆弾などを作っているなんて知らなかった。
フェイティスほどではないにせよ、いろいろ聞きたいことがある。
でも、俺ひとりでって……何か話しづらいことでもあるのか?
マザーシップのイメージホール。
前にフランの謝罪演説をしたり、リオミと結婚したり建国する際に使った半球状の部屋だ。
今回のリオミによる説得も、この施設を使って行う。
「お久しぶりです、陛下ぁ」
そこで、チグリはフェイティスとともに俺を待っていた。
「あ、ああ。久しぶり……元気だった?」
「はいっ。おかげさまで、すこぶる元気ですよぅ!」
結論から言うと、彼女の外見は全然変わっていなかった。
彼女はダリア星系において、クローンタイプの生体義体で15年の歳月を過ごしており、今も妊婦の本体ではなく生体義体で来ている。
生体義体は普通の人間と同じで歳を取るから、てっきり義体は30歳ぐらいになってると思ったのだけど。
彼女は歳をとっていなかった。
「? どうかされましたか、陛下? わたしの顔に何かついてますかぁ?」
「い、いや……本当に元気そうで何よりだよ」
チグリは、俺が気圧されるくらい、妙にテンションが高かった。
躁状態、とでも言えばいいだろうか。
こんな子、だったか……?
「ご主人様。言い忘れておりましたが、チグリ様は定期的に記憶を初期化されているのです。クローンの肉体もテロメアを操作して不老処置が施されています」
「……は?」
「ご報告が遅れまして、申し訳ありません」
俺がフェイティスの説明に疑問を差し挟むより早く、チグリの顔がずいっと目の前にやってきた。
まるで無邪気な子供みたいな笑顔で……。
「見てください、陛下! わたし、魔法が使えるようになったんです! 《炎の源よ、力を示せ ファイアーボルト》!」
「!?」
チグリは突然、あらぬ方向に向けて両手を突き出し、炎の弾を発射した。
炎の魔法はイメージホールの壁の一部に命中したが、さすがはメシアス製、焦げ目のひとつもつかない。
って、そういう問題じゃない!
「お、おい……いきなり魔法を撃つなんて何考えてるんだよ! 危ないじゃないか!」
叱りつけて、はっとする。
チグリをこんな風に怒鳴ったら、縮み上がってしまう。
もう少し優しく注意しないと……。
だが、無用の心配だった。
「あれ? あ、そうかぁ……マザーシップの魔素値は低いんでしたね。じゃあ、ジュエルソードシステムを使えば……」
彼女はそもそも俺の抗議など、まったく聞いていなかったのだ。
「い、いや、いい!」
「えー、そうですかぁ? じゃあ、やめますねぇ」
俺が慌てて止めると、チグリは渋々といった様子だが詠唱を中止してくれた。
今のは魔法習得オプションじゃない……声紋魔法、しかも短縮詠唱だ。
《ファイアーボルト》の詠唱は『あまねく炎の源よ、我が敵に力を示せ』だったはず……。
リオミ並の使い手でなければ短縮詠唱は不可能なのに、いったいどうやって……。
「褒めてください、陛下ぁ!」
「えっ!?」
再び突然チグリが物凄いテンションで叫び、頭を差し出してきた。
俺は驚きのあまり、言われるままに彼女を撫でる。
「ええと……すごいな、チグリ。声紋魔法を使えるなんて」
「えへへへ」
タリウスのじっちゃんに「才能なし」の太鼓判を押されたチグリが、魔法を……。
その疑問に答えてくれたのは、俺の賛辞に尻尾を振っているチグリではなく、フェイティスだった。
「今のは、遺伝子操作の結果です。チグリ様は自分の生体義体を魔法に最適化されました」
「は……?」
遺伝子操作……って。
要するに、自分の体の遺伝子構造を書き換えて、魔法の才能がある体にした……ってことか。
確かにそれはできる、できるけど……。
いや、生体義体だから……別にいい、のか…………?
クローンとか義体使ってるし、俺なんて魔人になってるし今更ではあるか……。
俺が生命倫理に自分なりの結論を出していると。
「ところで、ゲームは誰が勝ったんですかぁ?」
一瞬、何を聞かれているかわからなかった。
陽気なチグリの声。
何気ない問いかけだった。
「……なんだって?」
「終わったんですよね? 陛下の始めたゲーム」
「それは……」
確かに終わった。
そんなものはとっくの昔に、意味のない戯言と化している。
「わたし、皆さんへの技術支援担当だったじゃないですか。いっぱいいろんなものを作って、ほら。ポイントもこんなに!」
チグリは自分のスマートフォンの画面を、俺に見せびらかす。
そこには、ゲームスコアがカウントされていた。
開発及び提供した兵器名と獲得ポイントが記されている。
超弩級宇宙戦艦エグゼクター 5,000ポイント
脳内爆弾 2,000ポイント
ディメンジョンマント 1,000ポイント
リフレクタードローン・カスタム 500ポイント
ルナ・オリハルコニウム安全靴 100ポイント
見たことのあるものから、ないものまで。
ずらーっと列挙されている。
「わたし、今回はちょっと自信があるんです。皆さんに貢献した分だけ、わたしも優勝できる可能性があるって、ゴクアック皇帝がおっしゃっていたんです!」
俺はしばらく画面を見たまま固まっていた。
やがて、ゆっくりと頭をあげて。
「すごいな、チグリ。これなら優勝間違いなしだ」
ライアーでなくてもつける嘘をついた。
「えっ……本当ですかぁー!? やったぁ! やりましたよ、わたし! やったんです! わたし初めて、ちゃんとやれましたぁ!」
彼女はぴょんぴょんと飛び跳ねながら、すごい速さでイメージホールを一周する。
戻ってきた彼女はそのまま俺に飛びついてきた。
常人ではとても反応できない瞬発力だったが、動体視力強化オプションとパワードスーツの力でもって抱きとめる。
「おめでとう。今度みんなを集めて優勝式をやるからな」
「はいっ、はいっ! ありがとうございますぅ! 陛下、大好きですぅ!!」
情熱的なハグから、熱烈なディープキス。
昔では考えられないようなセックスアピールだったが、俺の心は寒かった。
「じゃあ、チグリ。イメージホールの施設を急いでリオミの能力に対応させてくれ。できるだけ早い方がいい」
「はいっ! 《クイックタイム》も使えば、すぐに終わりますよぉ! 任せて下さいねぇ!」
そう言ってチグリは手と尻尾を振りながら、イメージホールの機材の方へと走り去った。
「…………」
俺はチグリに向けていた笑顔を解いた。
多分、無表情になっていると思う。
そのまま、背後に控えているであろうメイドに問いかける。
「フェイティス……全部話したんじゃなかったのか」
「はい、先のオリジンの件も含め、すべてをお話しています」
「じゃあ、どうして! あれじゃ、現実とゲームの区別がまるでついてないみたいじゃないか」
「そのとおりです、ご主人様。あれが今のチグリ様なのです」
なんだよ、それ。
どういうことだよ。
「チグリ様はこの2ヶ月……ダリア星系の加速倍率である90倍の時間を調整するため、おおよそ100度に渡る記憶処理と再クローニングを受けました。その際に感情のコントロール、性格変更、躁鬱の調整……すべて、ご自身で調整を行われました」
わからない。
フェイティスの言っている意味が、全然わからない。
「チグリ様は、弱いままの自分が嫌で嫌で仕方なく、そんな自分を変えたいと願い続け、自分の技術を磨き、聖鍵がもたらしたテクノロジーを活かす方法を誰よりも考え、実行しました。その結果が今のチグリ様です」
つまり……ノブリスハイネスに強制されたんじゃなくて。
チグリは自分で望んで、ああなったっていうのか。
「ご安心ください。仮想と現実の区別がつかないのは、おそらくは一時的なものです。いずれあの方も、自分のしたことの意味を知るでしょう」
「フェイティス……そのことを知ってて、何も、しなかったのか」
「はい。ご主人様のご命令通り、観測任務に徹させていただきました」
……わかってる。
このことでフェイティスを責めるのは、お門違いだ。
悪いのは俺と、あんなチグリになるまで見過ごしていたノブリスハイネス……つまり、三好明彦だ。
「今のチグリ様は、ご自分であのようになられたのです。ご主人様と同じです。チグリ様も引っ込み思案で魔法の才能もない自分が変えたいと願っていました。そして、持てる力と知識でチグリ様なりに努力をされた。そのように捉えて差し上げることはできませんか?」
「でも、あんなふうに変わるなんて、いくらなんでもおかしいだろ。ゲーム開始以前の記憶のバックアップがあるはずだ。記憶を戻して本体に戻れば、いつものチグリに……」
「それを、貴方がおっしゃるのですか? 三好明彦」
「……っ」
フェイティスに名前を呼ばれた瞬間、俺は自分の時間が停まったような錯覚に襲われる。
「いつものチグリ様、とは。ご主人様にとって可愛らしくセクハラしても蹲って抵抗できない、そのような少女のことをいうのですか?」
フェイティスの指摘に、俺は言葉を詰まらせる。
そんなこと、どの口が言えるというのか。
「いや……そう、か。あれが、彼女が選んだ道なのか」
「はい。誰に言われるでもなく、チグリ様が選んだ道です」
俺達は、時間を操作し超高速で作業を進めるチグリを眺める。
なんとも言えない無力感に胸を苛まれながら、それでも目は逸らさない。
俺には見届ける義務がある。
聖鍵の力によって、自らの運命をねじ曲げた少女の雄姿を。
魔人の反応速度と膂力が高い演出を訂正しました。




