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trick or treat

作者: 百瀬華音

軽めの女性向けな表現があります。ご注意を

「トリック・オア・トリート!」

 侵入者はカタカナ読みでそう叫んだ。

 呆れて物も言えない悠馬の前には、友人が仁王立ちでしかも黒いマントを羽織って立っていた。

「……帰れ」

「あ、ひどい」

 ひどいと言いつつも、隆弘の表情は至極晴れやかだ。

 今日は確かに十月の末だが、高校生にもなってこんな行事を断行するヤツがいようとは、悠馬は思ってもみなかった。しかもそれが、幼馴染であるとは。呆れや怒りを通り越して、哀れみすら感じる。

 どこか誇らしげな友人を前に、大げさにため息をついてみせた。

「あのな、タカ。いくらハロウィンだからってそれはないだろ。恥ずかしくないのか」

「えぇ――? カッコいいだろうが」

 そう言うとマントをバサッと広げて見せた。外から見れば真っ黒だが、中は真っ赤だ。にかっと笑った口には妙に発達した犬歯が見える。入れ歯でもしているのだろう。

「……その格好のままで来た、とか言わないよな」

 隆弘の家から悠馬の家までは歩いて五分もない。だからといって、吸血鬼の仮装で町内を練り歩くには相当な抵抗があるのが普通だろう。悠馬としては、恥ずかしげもなくコスプレのままご町内を歩ける友人など持ちたくはない。

「まさか。お風呂場借りて着替えさせてもらった」

 あたかも当然のことのようにあっけらかんと言う。

「人の家で何勝手なことしてんだよ」

「あ、そのへんは大丈夫。お姉さまの許可を取ってるから」

 実の姉を心の片隅で呪った。

 そんな悠馬の気を察することもなく、隆弘は部屋の主の断りもなくベッドをソファ代わりにする。悠馬もいつものように枕をクッション代わりに座る。ちょうど隆弘の左側だ。

「で、返事は?」

 隆弘はずいと顔を寄せて、イタズラっぽい笑みを浮かべた。悠馬はしばらく何のことだか分からない様子だったが、しばらくすると申し訳なさそうに、けれど極上のさわやかな笑顔で言う。

「あぁ、菓子ならないから」

「なぜに!? ハロウィンにはお菓子と相場が決まって……」

 隆弘が言い切る前にげんこつが飛んだ。特に狙ったわけでもなかったが、頭部にジャストミート、鈍い音がした。

 頭を抑える隆弘の横で、悪びれる様子もなく説教をする。

「いきなり人の家に来て菓子よこせはねぇだろ。強盗か」

「強盗だなんて失敬な。ちょっとしたお茶目〜〜な行事じゃあないか」

「そんな年齢じゃないだろ」

「お姉さんはお菓子くれたけど」

 マントの下から袋詰めのクッキーを取り出して見せた。いびつな形でかつ異様な色をしている所を見ると姉の病気が再発してしまったらしい。

「隠し味は氷みつだそうだ。メロン味の」

 恐らくビンテージものであろう。姉の沸きあがる創作意欲に拍手を、友人の未来に追悼の意を心の底から送った。

「せいぜいお腹壊さないようにな」

 隆弘は警告をさらりと聞き流し大切そうに懐に閉まった。怖いもの見たさというか、レシピを知った上であえて試そうという心境が知れない。

 改めて隆弘を見る。

 ハロウィンのような子供だましの行事に、どうしてここまで積極的になれるのか。悠馬からしてみれば時間の無駄以外の何者でもない。

――なんでこんなやつと友だちなんだか。

 ため息をつく。これといって、話すこともない。いつもならテレビゲームで盛り上がるところだが、あいにくと没収されたばかりだ。しばらくは返してくれないだろう。

 妙な沈黙を破ったのは隆弘だ。ベッドに座りなおすと、悠馬の肩をつかみ、そのまま後ろにゆっくりと倒す。悠馬が状況を飲み込めないうちに、肩を押さえつける形で覆いかぶさった。

「……何すんだよ」

「お菓子がないんじゃ、やることは一つなんだけど」

 小さな子を諭すように穏やかな声で言った。唇の端を少しつりあげて、目には鈍い光を持っていた。

 悠馬はしばらく考えて、恐る恐るたずねる。

「……イタズラ?」

「ピーンポーン」

 答えを聞くや否や、シャツの下に指を這わせていくと、悠馬の体がビクンとはねる。隆弘は一瞬ひるんだが、大して気にする様子もなく更に進入していく。

「ちょ、ちょ、ちょい待ち!」

 あごを下から突き上げる形で、隆弘の行為を阻止する。

「いひゃい」

 隆弘は上体を起こすと、あごをさする。

「痛いなぁ、もう。何すんだよ」

「それはこっちの台詞だ!」

「イタズラだって。イ・タ・ズ・ラ」

 隆弘が強引に事を進めようとすると、今度は言葉より先にこぶしが飛んだ。

「くすぐったいって!」

「う――ん、お決まりな言葉はありがたいんだけどねぇ……」

 はぁとこれ見よがしにため息をついてみせると、とつぜん口の中に指を入れてもごもごと動かす。何事かと見守っていると、鋭い犬歯を外した。“吸血鬼の歯”をベッドの隅に置く。

「おいっ! んなとこに置くなよ。キタネェって」

「大丈夫だって。ふけばいいだろ」

 悠馬の言葉を気にかける様子も無く、グイと口の周りを拭って、再びベットに両の手を突いた。やはり悠馬の体に覆いかぶさるような形で。

「何やってんだよ。早くどけ」

 声は、届かなかった。瞳の奥に宿る怪しい光が輝きを増した。

 隆弘が右手を浮かせると沈んでいたベットがほんの少し浮き上がる。妙にそわそわして、心もとなかった。

 わけもわからずただ緊張する悠馬には追い討ちでしかない。とにかく息苦しい。

 まとわりついてくるような視線に体がこわばった。

「タカッ! ふざけんなって!」

 悠馬が表情を歪めた。右腕を、さらに締め付けられたのだ。

 ふざけるにもほどがあると、悠馬が怒りを口にしようとした。出てこようとした言葉を押さえ込むように、口をふさがれてしまった。隆弘の、唇で。

 突然のことに状況処理機能が停止してしまったのだろう。やわらかい感触に、いくつものクエスチョンマークがぐるぐると脳内を回り続ける。今どういう状況におかれているのか。それを理解するだけですら、かなりの時間を要した気がした。ほんの数秒の出来事であったのだが、悠馬には長い時間そうしていたように思われた。

 一方隆弘はというと、たいした抵抗が見られないことをいいことに、次の段階へと進もうとする。

 唇の上を這う、ぬるりとした感触に我に返った悠馬は、迷うことなく隆弘の下腹部あたりを狙って蹴り飛ばした。

「いい加減にしやがれ!!」

 体勢があまり良いとはいえなかったせいで威力がかなり削がれてしまってはいたが、多少なりと効果はあったようだ。隆弘は蹴られた箇所を押さえ悠馬から離れる。

「一体何のつもりだ!」

「痛いなぁ、もう。まだ……わからないの?」

 隆弘は悪戯っぽく笑った。いつものそれとはどこか違う、含みのある笑みだった。

 にじり寄る隆弘に、得体の知れない恐怖に襲われた悠馬は両手を突き出す形でけん制する。

「待て待て待て! 何を考えてるか知らないけど、血迷うんじゃない!」

「血迷ってなんかいないって」

 隆弘は眼前に突き出された腕を軽く払った。

「……そうだ! 姉貴もいるし!」

「関係ないだろ。静かにしてれば分からないから」

 息がかかるほどまでに顔を近づける。悠馬は体を横に滑らせて逃げようとするも、隆弘はそれを許さない。

 一仕事終えたと言わんばかりにふぅと息をつく。

「力じゃかなわないんじゃない? 諦めておとなしくしたら?」

 悠馬の振り回す左手をやや乱暴につかむと、そのまま後ろに倒す。いきなり腕をひねられたのだからたまらない。

「――ッこれがおとなしくできるか!」

「じゃあ、おとなしくさせてやろうか。……悠馬」

 低い声でささやかれると、妙な感覚に包まれた。悪寒に限りなく近い、けれどどこか心地の良い、妙な感覚。途端、急に体が言うことをきかなくなった。

 隆弘はにやりと嫌な笑みを浮かべると、そっと顔を近づけた。


「は――い、そこまで!」

 声高らかに扉を開けたのは、セミロングの女性だった。おとなしい色合いの服装がなんとも秋らしい。スカートの裾がふわりと揺れた。

 悠馬の姉、五木明日香その人である。

 明日香は弟が置かれている立場や、弟の友人が何をしようとしていたのかといったことには追求せず、ツカツカと歩み寄る。何が起きるのかと固まって見ていると、隆弘の背中をバシッと一度叩いた。

「ありがとね、タッくん」

「へ?」

 妙な声を出したのは悠馬である。

 姉の明日香はいきなり部屋に来て隆弘を殴るし、隆弘は隆弘で別段気にする様子も無い。いや、それより『ありがと』って何だ?

「もう、タッくんノリがいいんだからぁ。話をふった甲斐があったってもんよ」

「いえいえ。お姉さまの作品、楽しみにしております」

 二人は展開についていけない悠馬の前でガシッと手を組んだ。

 明日香は硬直したままの悠馬に気づくと、歯を見せてにまっと笑う。悠馬は口元をひきつらせた。この笑い方をするときはロクでもない考えしか頭にないということを、十余年の兄弟生活をもって知っているのだ。

 今回も例外ではなかった。

 予想できうるとはいえ、すでに“ロクでもない考え”は実行に移されていたのだから、今さら身構えても意味は無かったのだが。

「まぁ、ここでネタばらしってワケ。嫌がらせ……じゃなくて、ドッキリなのよぉ。ここにプレートがないのが残念!」

 明日香の発言は悠馬をさらに混乱させただけだった。見かねた隆弘が横から説明する。

「ドッキリってのは、さっき俺が悠馬にしたアレやソレやコレのこと。全部お姉さまプロデュースだったってことさ」

「な……ッ」

 ようやく理解した悠馬だったが、言いたいことが多すぎて言葉にならなかった。

 実行するやつもやつだが、トラウマになりかねないイタズラをしかける姉がどこの世界にいるんだ――いや、ここにいたか。悠馬は自分の考えを速攻で否定した。少しむなしかった。

「衣装もシチュエーションも私が考えたのよ。やっぱハロウィンはコレよね。どう? 定番だけど、なかなか良いと思わない?」

「どこがだ! くだらねぇこと考えてんじゃねぇ!」

 悠馬が声を張り上げると、明日香は目を丸くする。腰に手を当ててこれ見よがしにため息をつく。

「やっぱりさ、愛しの弟をいじめてた方が刺激になるのよねぇ。まぁ、気分転換……もとい取材ってとこかしら?」

「何の取材でこういうことになるんだよ」

「ネットで書いてる小説の。友達にもこれがなかなかどうして評判いいのよねぇ」

 明日香は顔を近づけると、猫なで声でささやいた。

「ユウちゃ〜ん。読んでみたい?」

「いや、遠慮しとく」

 どうせロクなものではない。

「それはそれでいいけど。あぁ、逆にこれからも存分に書けるってものよね。執筆意欲が湧いてきたわぁ。それじゃあね、バイバァイ」

 明日香は言いたいことだけを言って部屋を去った。いくつか気になるワードがあったが、追求したところでロクでもないことだろうし、知らぬが仏ともいう。それよりも、今は。

「で、お前は何のつもりで引き受けた……」

 悠馬は怒りを押し殺して、あくまで冷静にたずねた。唇の端に引きつる感があったが、手を強く握りしめて、怒りを顕わにしようとする顔の筋肉の動きを何とか抑える。

 聞きたいことは、もちろん、姉の提案したドッキリの件である。

「いや、ハロウィンつったらイタズラっしょ。お前の姉貴が面白いこと思いついたから、冗談半分にやってみただけ」

「どこが面白いんだ!」

「いやいや、可愛かったよん。なぁ……悠馬」

 耳元でそうささやかれ、体の奥から何かが込みあがってきたのが良く分かった。さきほどの感情とは程遠い、かなり負に傾いた感情だ。

 キッとにらみつけると、隆弘は冗談めかしてなだめる。

「どうどう。これくらいで目くじらをたてるなって。男ならドンとだなぁ……」

 ここまで悪びれる様子もないと、怒る気もうせてくる。

 一度大きくため息をつくと、ある疑問が浮かんでくる。恐る恐るたずねてみた。

「もしかして、立場が逆でも同じことを言えるのか……?」

「イヤ――ン。ユウちゃんってそっちの人だったの? 怖――い」

「だぁぁぁぁ! 気持ち悪ぃ! やめろ、そういうの!」

 悠馬の反応を見ると、隆弘は声を出して笑った。

 思う存分笑うと、隆弘は吸血鬼の牙を回収する。

「本日の目的は達成されたわけだし。じゃあ、また夜に」

「また来るつもりか」

 言葉の端に食って掛かると、いぶかしげな様子で聞き返された。

「吸血鬼っていったらやっぱ夜が活動時間でしょ」

 ぎろりと睨みつけた。隆弘は身構えながら慌てて訂正する。

「冗談だよ、冗談。今夜ホームパーティやるんだろ? ご両親に招待されてるんだよ」

「あんのクソ夫婦……」

 隆弘はこれ以上ないようなさわやかな笑顔で去っていく。

 部屋を出る間際、思い出したように言った。

「そうそう。言っておくけど、冗談は半分だけ、だったからな」

「……はぁ?」

 扉が静かに閉められる。

 窓から見える夕日がやたらとまぶしい部屋の中、悠馬は固まっていた。

 半分が冗談なら、残り半分はなんだったんだ。


 この日、悠馬は大切な友人の一人をなくした――ような気がした。

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