表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

初恋の怪獣とバラッドを

愛する姉を嵌めるまで

作者: 調彩雨
掲載日:2026/07/29

拙作『推して駄目だったので引くことにした』のコミカライズ配信記念で執筆したスピンオフです

本編ヒロインの妹視点のお話です

また、こちらより先にヒロインの姉視点のスピンオフを投稿しています

単体でもお読み頂けますが先に上記二作をお読み頂くとよりお楽しみ頂けると思います

 五人姉妹で唯一父に似た外見に生まれたすぐ上の姉は、中身も父に似て、少し愚かなひとだった。そして、その愚かさすら愛おしく思う自分はきっと、母の血を色濃く継いでいるのだろう。

 どちらにせよ、愚かな父と、愚かな母の血を継いだ姉妹なのだ。賢くなど、なりようもないのは明らかだった。

 母は愚かなひとで。王女でありながら、その立場の重要性を無視して、美しい以外に価値のない伯爵家の四男を夫に選んだ。実家から得られる爵位のない夫のために、新たに公爵家を興してまで。

 周囲が情報操作を必死に行い、民衆を味方に付けたから、王家や父母が平民から批判されることはなかったが、大きく貴族の顰蹙を買ったのは確かだ。母に対して未だにわだかまりや嫌悪感を持つ貴族もいて、その筆頭が、現宰相でもあるヴァージンバウアー侯爵だ。一大派閥の中心人物でもあるので、同派閥の貴族も彼に倣っている。

 考えるまでもなく、真っ当な感覚を持っているのはヴァージンバウアー侯爵の派閥の方だ。王女の身分で、国益に繋がる縁談を蹴って、ただ自分の好きな相手と結婚しようなんて、許される我儘ではない。そんな我儘を口にする母も、それを許してしまった王家も、よく追い落とされずに済んだものだと言うほどの愚かさだろう。

 その、母と同じ轍を踏ませぬためか、わたしたち姉妹は、幼少期から政略の駒となるように、徹底した教育を受けさせられた。

 その、教育が、いちばん巧く行ってしまったのが、すぐ上の姉。五人姉妹の三女である、シルヴァーナ・アスマントスだった。

 姉が、母そっくりの見た目であったなら、それで良かったのだと思う。王女の娘として、王族の代わりに同盟国に嫁いで、嫁いだ先で巧く立ち回れたことだろう。

 けれど姉は姉妹で唯一、父そっくりの外見で生まれた。我が国の王族の特徴である琥珀のような金髪ではなく、銀の髪を持って。まるで、万人が理想とする姿の人間を絵に描いたかのような、そこにいるだけで周囲の視線を奪う、美しく華やかな外見で。

 見た目に王家の血筋が見えずとも、血統は確かなもの。王女の娘と言う地位は揺らがない。だが。

 姉の見目は、民衆の先導にこそ役立つだろう。他国にくれてやるなどもったいない。国に残して準王族として人気を集めさせ、巧く民を動かすための旗頭にすべき。

 わたしはそう結論付けたけれど、家族は違うようだった。

 常に最善を求め続けるのではなく、ただ、決まりごとをなぞるだけ。愚か者である以上は、身の丈に合った生き方なのだろう。

 逆らうのも面倒だから、反発はしない。けれど。

 もしも機会があったなら、姉の政略結婚など潰して、国に残らせてしまおう。

 そんな自分勝手なことを考える辺り、わたしは確かに、身勝手な母の血を濃く引いているのだろう。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


 そして機会は、あっさりとやって来た。

 従順なはずの姉が、なにを思ったか母のように恋をしてみたいと言い出したのだ。限られた期間だけで構わない、その後は大人しく政略の駒になると。

 姉に甘い母は、その馬鹿げた我儘を聞き入れた。

 許しを得た姉が恋の相手に選んだのは、よりにもよって、母を毛嫌いするヴァージンバウアー侯爵の嫡子である、エイジア・ヴァージンバウアー侯爵子息。

 母の政敵の息子であれば、自分に絆されることはないとでも考えたのだろう。

 姉の書いた筋書きが見えた。

 姉は、誰かに恋なんかしない。そんな普通の少女のような感情を、あのひとは持っていない。持つことを許されていない。だからこの、我儘は。

 未だに残る母の暴挙に対するわだかまりを、解消するための茶番だ。

 自分の我儘で縁談を蹴った母の娘として。心から愛するひとへの想いを断ち切り、他国へ嫁ぐ悲劇のご令嬢。母が自分の子のなかでも、もっとも溺愛する娘であることも後押しして、母の暴挙に顰蹙した貴族たちの溜飲は、多少なりとも下がるだろう。

 本人が、どこまで計算しているかは知らないが、悪くない筋書きだ。

 愚かな姉が自分の価値を、低く見積もり過ぎているから全くもってお話にならないが。

 と言うかそもそも、母のことを蛇蝎のごとく毛嫌いしているヴァージンバウアー侯爵こそが、姉を他国に嫁がせることに反対している勢力の筆頭なのだ。狡猾な宰相は、王女を骨抜きにした父の見目も、その父の見目をよく継いだ姉の見目も、高く評価しているのだろう。

 さすが、父譲りの愚か者。選んだ相手が悪過ぎる。

 わたしは降って湧いた好機にほくそ笑み、出来るだけ周りに不信がられずヴァージンバウアー侯爵家の者に接触する機会を伺った。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


 姉は感情を隠すのが巧い。否。まるで現実すらひとつの演劇であるかのように、常に自分ではない誰かを演じ続けているのだ。

 家族も含めて周囲の者はみな、姉が本気でエイジア・ヴァージンバウアーに恋をしていると、信じきっていることだろう。

 我が姉ながらその才能には舌を巻く。本当に、神輿として担ぎ上げられるためだけに生まれて来たようなひとだ。

 姉を追って同じ学院に入学し、新聞部に入ったわたしを、訝しむ者はいなかった。

 新聞部と言う立場を利用して、取材の名目でエイジア・ヴァージンバウアーと接触を謀る

 姉を案じる妹を演じていれば、みな面白いように機会を譲ってくれた。

「今日は、新聞部の取材を受けて頂きありがとうございます」

「提携校ですから、協力することは当然ですよ。それより、今日はおひとりで?」

 姉とわたしが通うのは全寮制の聖ハイペリカム女学院。対して、エイジア・ヴァージンバウアーが通うのは、全寮制男子校であるセントローレルカレッジだ。防犯のため、中の覗けない高い塀に囲まれ、修道院のような暗さのある聖ハイペリカム女学院に比べて、セントローレルカレッジは開かれていて明るい。

 女学院は建物の性質上暗いだけで、通う生徒まで暗くはないけれど。むしろ姉が頂点に君臨しているからか、今の聖ハイペリカム女学院は華やかで騒がしい。

 逆にセントローレルカレッジは、日差しこそよく入って明るいが、どこか重厚で厳格な空気を持っているように感じた。

「いいえ、ほかの部員も来ております。そちらは先生方や、ほかの生徒への取材を。各自別れてそれぞれ取材した方が、多くの話を聞けますから」

「男子校で単独行動は、不用心では?」

「わたくしは侍従と護衛を連れておりますし、ほかの生徒は数人まとまって、引率の者から離れないように言い含められております。わたくしたち自身だけでなく、あなた方の名誉にも関わる話ですから」

 貴族社会で、食い物にされるのはなにも女性ばかりではない。既成事実を盾に女性側から婚姻を迫る例も散見されるのだ。

「言われてみればあなたのすぐ上の姉君も、常に従者を連れておいでですね。単独で動くことは、決してない」

「姉も政略結婚を義務付けられた身の上ですからね。間違っても商品価値を落とさぬようにと、幼少から言い含められております。あなたからは、そう見えないとしても」

 含みのある言い方に気付いたか、エイジア・ヴァージンバウアーが目を細める。

「取材は建前でしたか?姉君の気持ちに応えない僕に、苦言を言いに?それとも、こちらから諦めさせるようにと言う、依頼をするためにでしょうか」

「どちらも違います。あなたに、忠告を」

「どのような?」

 首を傾げるエイジア・ヴァージンバウアーに告げる。

「姉をあまり、甘くみないことです。あのひとは、ただの馬鹿ではありません」

「それは、」

「ただの馬鹿ではなく、突き抜けた愚か者なのです、あのひとは」

「は……?」

 意表を突かれた顔で、エイジア・ヴァージンバウアーがわたしを見る。この男は今やっと、わたしを真実視界に入れた。

 お似合いだ、と思う。姉とこの男は。どちらも厳重に仮面を被り、仮面に騙された人間を手の上で転がしている。

「姉はあなたに恋などしていません。政略結婚を彩る悲劇を造り上げて、アスマントス公爵家の株を上げたいだけです。ですから姉があなたにどれほど夢中に見えたとしても、信じてはいけません」

 思い当たる節があったのだろう。エイジア・ヴァージンバウアーが、目を細めた。やはり、ヴァージンバウアー侯爵の息子だけあって馬鹿ではない。

「なぜ、わざわざそんな忠告を僕に?」

「あなたなら、巧くやってくれるだろうと」

「巧くやる、とは?」

 真面目に話を聞く気になったらしいエイジア・ヴァージンバウアーに、本題を告げる。

「あの、求心力、他国にくれてやるのは惜しいと思いませんか?」

「まさか僕に、あなたの両親の再演をしろと言うつもりでしょうか」

「いいえ」

 首を振る。なにせ姉は、底抜けの愚か者なのだ。

「それでは、駄目です」

「どうして?」

「姉は"政略結婚の駒として育てられ、その教育が巧く行き過ぎた人間"だからです」

 意味がわからない、と言いたげな顔。それはそうだろう。今の姉の行動ははたから見て、政略結婚の駒にあるまじき愚行だし、姉の思考回路は、同じ教育を受けたわたしたちでなければ、予測もつかないものだろうから。

「あのひとは、『期間が過ぎたら大人しく縁談を受けるから、それまでは家の醜聞にならない範囲で自由に恋愛をさせて欲しい』と言って、今の状況を得ています」

「どうして家から諌められないのかと思っていましたが、そんな裏があったのですか。それにしても、褒められた状況とは言い難いですが、っと、失礼」

 目の前にいるのが貶した相手の肉親と思い出して謝罪したエイジア・ヴァージンバウアーに、首を振って構わないと答える。

「母も上の姉二人も、あのひとにはとことん甘いので、許してはいけないことまで許したのです。姉がそれまで我儘ひとつ言わない聞き分けの良い子供だったことも理由でしょうし、わたくしとしては都合が好い状況ではありますが」

「姉君を、他国にやりたくないから?」

「ええ。ご存知ですか?姉が入学するらしいと言う噂だけで、聖ハイペリカム女学院の入学試験倍率は例年の三倍まで膨れ上がりました。姉が入学した後の、わたくしの入試の際は、さらに増えて例年の五倍近かったとか」

 選ばれた上流階級の令嬢のための学院だ。通うために必要な金額どころか、入学試験の受験料だけでもそれなりの高額だ。今、わたしが着ている制服だって、一揃え買うお金で平民一家が何年暮らせることか。

 元々狭き門とは言え、誰も彼もが志願出来るような学院ではない。にも関わらず、姉に近付きたいと言うだけで、志願者が倍増した。

「姉は貴族受けの良くないはずの、アスマントス公爵家の娘であるにもかかわらず、です」

「あなたも、そのひとりでは?」

「ええ。姉のお陰で、とても良くして貰っています」

 実際、社交の場などでチクリと厭味を言われることはある。母の行動は、それくらい貴族の顰蹙を買ったのだ。けれど、姉はそんな口撃など受けたことがない様子だし、女学院ではわたしですら、悪口ひとつ言われない。

「誰も彼もあのひとには、自分の美しい面だけを見せたがる。あのひとが白と言えば、鴉も白くなるでしょう。いずれ宰相となるあなたにとって、この上なく都合の好い能力では?」

「国を思うままに動かすために」

 わたしの真意を測りかねているのだろう。じっとりとわたしを見据えて、エイジア・ヴァージンバウアーは問い掛けた。

「あなたの姉を利用せよと?」

「この国にとって最も良い道はそれだと、考えているだけです」

「それならそうと、ご両親に言えば良いのでは?あるいは国王陛下に伝えることでさえ、あなたには出来るでしょう」

 首を振る。

「わたくしの両親の愚かさは、あなたこそ重々承知しておいででしょう。国王陛下も、母の愚行を止められなかった方です」

 加えて言うなら三人の姉もだが。

「柔軟な思考と言うものがないのです。こう、と決めたらそのまま突き進むばかりで、臨機応変な対応が全く出来ません」

 二番目の姉は三番目と、立場を交代しても良いと言っているが、あれは国を思ってではなく単なる甘やかしだ。本当に、誰も彼も三番目の姉に甘い。

「加えてわたくしは現状、世間知らずな箱入り娘ですから。そんな立場でなにを言っても、誰に聞き入れられもしません。ですが」

 目が合う。聞き流すばかりの両親たちとは違い、目の前の男はわたしの目を見て話を聞いてくれている。

 姉ほどではないが、整った顔立ちの男だ。ミモザの花を思わせる明るい金髪に、ペリドットのような瞳。金髪に緑の目と言えばわたしと同じなのに、色合いが違い過ぎてとても同じとは言えない。姉とふたり並べば、まるで対のような容姿のふたりに、誰もが見惚れることだろう。

 姉は愚かだが、本物を見極める目はあったのだろう。姉にぴったりの男だ、エイジア・ヴァージンバウアーは。

「あなたならば、聞く耳も持つだろうと考えました。ヴァージンバウアー侯爵閣下は、姉を他国に嫁がせることに反対しているようですし」

 敵の敵は味方、なんて単純な話ではないけれど。

 ふ、と、エイジア・ヴァージンバウアーが口許をゆるめる。

「なるほど?」

 観察する目。真意を、推し量ろうとする目だ。

「それであなたは、僕にどんな役柄を求めておいでですか?」

「もしもあなたが姉の気持ちに応える気配を見せたならば、おそらく姉はすぐ逃げます。現時点でも、縁談は山と来ていますから、いつだって姉は、自由恋愛の許されない立場に逃げられるのです。"せっかく届いた想いを縁談のために諦める哀れな令嬢"を、好きなときに演じることが出来る」

 男の目が細められる。自尊心の高そうな男だ。良いように利用されるなど、許容し難いだろう。

「ですからもしも姉を手に入れたいのならば、行動は慎重に。間違っても、姉から崩せるとは思わないことです。すべてお膳立てして外堀を埋め、逃げ場のないよう檻で囲んだ上で伝えるくらいでないと、あのひとはきっと逃げおおせて見せますから」

「愚かだと言う割に、姉君を高く評価しているようですね」

「周りを良いように動かす手腕にかけて、姉以上の人間を知りません。あの顔と演技力だけで、国王だって動かして見せますよ、あのひとは」

 もしや、とエイジア・ヴァージンバウアーがわたしをうかがう。

「お嫌いですか?姉君のことが」

「嫌いになれたら、どれほど楽だったでしょうね」

 姉のことも、父のことも、心の底から嫌ってしまえたら。

「母と違って姉も父も、嫌うには善良過ぎるのです。嫌いになりたいのに、嫌いになりたいくらい愚かだと思うのに、愛さずにはいられない」

 だから、そう、だから。

 姉は味方の多いこの国を出ず、姉を愛する者の多い場所で、

「……ヴァージンバウアー侯爵子息?」

「いや」

 目を見開いて固まった男に呼び掛ければ、はっとしてうつむき、片手で顔を覆った。

「悪い。見なかったことにしてくれ」

 まるで、取り繕った仮面が剥がれ落ちたような。

「あなた、まさか」

「見逃してくれ。頼むから」

 ぶっきらぼうに告げる声。顔を覆う手の向こう、覗いた耳の端が赤い。

 この男は、恋する振りをして見せる姉に、つゆと見向きもしていなかったように思うのだが。

「とんだ役者ですね、姉もですが、あなたも」

 なんて、ちぐはぐで嘘だらけなふたりだろうか。

 深いため息のあとで、顔を上げぬまま吐き捨てるように言われる。

「笑いたいなら笑うと良い」

「いえ。その、姉を愛する妹としては、きちんと姉を愛している相手に嫁いで欲しいとは、思いますから」

 あの姉を妻にして愛さずにいられる男がいるとは思えないので、重要視していなかったが。

「ですが、その、差し支えなければ、いつから?」

 本当に、ちらりとも、絆される素振りを見せていなかったはずだ。新聞部の情報網は、伊達ではない。

「……黙秘する」

 もう一度ため息を吐いてから、エイジア・ヴァージンバウアーが顔を上げた。すでに、平静を装って見せている。

 そうしてわたしが声を発する前に、エイジア・ヴァージンバウアーは言葉を続けた。

「そんな話をしている場合ではないだろう。時間は有限だ。有効に使うべきだ、と、失礼、有効に使うべきです」

「楽な話し方で構いませんよ」

「姉君よりあなたと親密と思われるわけにも行きませんから」

 確かにそんな泥沼は、絶対に遠慮したい。

 頷いて、話を戻す。あくまで取材の名目の時間。実際に記事を書けるような話をしなければならないことも考慮すれば、時間が限られていると言う主張に、間違いはないから。

「姉が切った期限は、聖ハイペリカム女学院卒業までです。あなたが姉の気持ちに応えるか、姉以外の誰かと婚約でもしない限り、誰か別の男へ相手を変えることもないでしょう。一途な女の方が、世間一般的に良く思われやすいですからね」

「そして一途に長く抱いていた想いを断ち切って、国のために縁談を受ける、と言う筋書きですか」

 察しの良い相手は話が早くて楽だと思いつつ、頷きを返す。

「つまりその筋書きに巧く乗りつつ、結末だけすっかり書き換える方が、逃げられにくいと」

「ええ。まあ、姉はともかく母の方が、約束を破って縁談を早める可能性はあるので、根回しは早めに終えておくべきと思いますが、なんにせよ、姉が縁談を受けるために動き出した頃にひっくり返す方が」

 三番目の姉と父は嫌いになりきれないが、母と上の姉二人に関しては。

「姉は逃げられないし、母たちには打撃が大きいでしょうね」

 はっきり、同族嫌悪の気持ちがある。ついでに言うなら、愚かなくせに助言を聞き入れようとしないことへの怒りも。歳下だからと言って、侮っているのだ。わたしのことを。

「あなたは」

 落とした声で、エイジア・ヴァージンバウアーが問い掛けて来る。

「もしやお嫌いですか、この、国のことが」

「──、」

 それを、曲がりなりにも王族の血を濃く引くわたしが言うことは、本来許されない。

 だが、さきほど目の前の男の弱みを暴いてしまった身としては。

「嫌い、です。母も、上の姉二人も、この国も。わたくしの大切なシルヴィ姉さまの価値を理解もせず、安売りしようとして」

 ともすれば醜聞になりかねない発言を、低く吐き捨てる。

 愛する姉の価値を認めず、姉を利用し、歪めた。大嫌いだ、そんな国。

 だが、きっとどの国よりも姉が愛されるのも、この国なのだ。

 だから、そう、だから。

「だからこそ、わたくしは、姉を託したいのです。姉の価値を理解して、評価してくれる、あなたにこそ」

 わたしも所詮、売られる女。姉以上に価値のない、血筋だけの女。誰もわたしの言葉など真面目に聞かないし、わたしに姉を守る力なんてない。

 けれど目の前の男は違う。ヴァージンバウアー侯爵の継嗣。いずれ宰相の座にすら手が届く男。

 偶然とは言え暴けた心根は、彼が隠したかったであろう本心は、わたしにとってこの上なく都合の好いもの。

「嫌いな国に、大事な姉君を残すと?」

「それでも、姉にとっても、わたくしにとっても、ここが母国ですから。嫌いだからと言って、愛していないわけではありません」

 なぜだか感嘆したような目で、見据えられた。

「面倒な女とでもお思いですか?」

「いえ、そんなことは」

 目を伏せたエイジア・ヴァージンバウアーが、困ったように苦笑した。

「素直に自分の気持ちを認めて口に出来るあなたを、少し眩しく思いました。僕は、そうですね、どうしても、自尊心が邪魔をするので」

 言われてみれば、ヴァージンバウアー侯爵家とアスマントス公爵家は政敵同士だ。そう簡単に気持ちを認めるわけにも行かないだろう。

 いくら都合が良いからと言って、恋する相手に犬猿の仲の家の息子を選ぶ姉の豪胆さに、いまさらながら呆れる。買えるだけ同情を買いたいにしても、さすがに設定を盛り過ぎではないだろうか。

「それでは、難しいでしょうか。あなたに姉を捕まえて欲しいと願うことは」

 視線は下に落とされたまま、エイジア・ヴァージンバウアーの眉が寄る。

「貴族として、自分の矜持より優先すべきものがあることは、理解しています。国益を考えるならば、あなたの姉君は国に残すべきで、現状、その一手を最も取りやすい立場にいるのが僕です」

「物語のような恋は、民衆を味方に付けやすいですからね」

 母の暴挙へ批判が集まることを避けようと、王家が取った手段だ。美しい物語に仕立て上げて、国民の賛同を得たのだ。

 いくら王家や貴族でも、圧倒的多数である民衆を完全に無視は出来ない。数は力。より多くの者を味方に付けた者が、勝者となるのが世の常だ。

 そして。

「美しいものは、それだけで心を動かす」

「ええ。まして姉は"銀の君"ですから」

 馬鹿げた話だ。実在の人間を、物語の登場人物と混同するなんて。けれどプロパガンダには、その馬鹿げた評価も役に立つ。

 エイジア・ヴァージンバウアーがため息を吐く。ため息すら絵になる美男。彼に恋する令嬢はきっと多いだろう。姉に恋する令嬢と、どちらが多いかはわからないが。

「宰相の息子として、逃す手はないと思います。僕個人として、逃したくない、とも」

「では」

「僕に出来得る限りの、手は打ちましょう。幸いなことにおそらく、父は味方になります」

 この上なく心強い、味方だ。なにせヴァージンバウアー侯爵と言えば、王妹である母よりも権力を掌握している、国内貴族最大派閥の頭。国王ですら迂闊に逆らえない、敏腕宰相なのだから。

 ひとまず安堵の息を吐き、それまで後ろで控えていた護衛へ目を向ける。頷いた護衛が、静かにこちらへ歩み寄った。

「今後の連絡は、彼宛にお願いします。わたくし個人に忠誠を誓った、信頼の置ける騎士ですので」

 護衛を名乗らせ、用意してあった一枚のカードを取り出す。中流階級向けのとある酒場の、店名と住所が書かれたカードだ。

「毎週木曜日の午後七時から九時には、必ずそこに彼がいます。用事があればそのあいだに。情報交換も必要ですから、毎月第三水曜日には、顔を出すようにしていただければありがたいです」

「用意周到ですね」

「こうして頻繁に、顔を合わせるわけにも行きませんから」

 そんなことをすれば、姉を出し抜いて横恋慕した妹なんて、面白おかしく噂されかねない。

「あなたにも」

 エイジア・ヴァージンバウアーが呟く。

「国に残って貰いたいところですね」

 それがお世辞なのか本心なのかは、わたしには推し量れなかった。わたしの反応を待たず、エイジア・ヴァージンバウアーが続ける。

「僕も信頼出来る従者に行かせましょう。栗色の癖毛に榛色の瞳の、僕と同じような背格好の男です。歳は二十三、名前は──」

 簡単に段取りを付け、建前である取材も済ませて、別れを告げる。

 口ほどにものを言う目を好奇心に輝かせた新聞部員には、姉を案じる妹の顔で、婚約者も恋人もいないけれど、気になる相手もいないと言われてしまったと告げた。

 すべては、段取り通りに。

 思惑は、わたしの手から離れた。

 はたして彼は、巧く盤上を組み立ててくれるだろうか。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


 姉は予想通り、一途に熱心にエイジア・ヴァージンバウアーに恋する様子を見せ続け、エイジア・ヴァージンバウアーは段取り通り、そんな姉に絆される様子をちらとも見せなかった。

 けれどエイジア・ヴァージンバウアーが、別の誰かと婚約したり、恋人を作ったりすることもなく。

 関係は動かないまま、ついに姉とエイジア・ヴァージンバウアーは最終学年を迎えた。

 約束を守る、と言うことの出来ない母は案の定、期限を待たずして姉へ縁談を持ち込み。期限前だからと突っぱね続けた姉はしかし、最終学年に上がったからかついに折れて、見合いの席に着くことを了承した。

 新聞部でその情報を告げれば、この世の終わりとでも言いたげな反応をする部員たち。

 他人の縁談なんて、気にしたところでどうにもならないだろうに。いくつになろうと噂好きな雀は、騒がしく噂を囀り合うものだ。お陰で新聞がよく売れて、部としてはありがたいことだけれど。

「姉にあれだけ尽くされて、袖にし続けた男など、さっさと切り捨てた方が姉のためですよ」

 この日のために用意していた嘘は、あっさりと喉を通り過ぎた。

 姉はなんの感傷もなく、淡々と見合いをこなして行く。そこに愛や恋はなく、ただ、誰がいちばん自分に高値を付けるかを、冷めた瞳で量りながら。

 政略結婚の相手に、恋してはいけない。そう、教育された姉だから、結婚に夢など見ないのだ。姉にとって結婚とは、あくまで取引であり契約。そこに感情や個人的の意思など、入り込む隙はない。

 壊れている。壊されたから。

 思わず衝動のままに、『だから言ったでしょう』とだけ書き殴って、校内新聞と共に護衛に持たせれば、翌週の返事は『万事つつがなく、あなたの望みのままに』と、いつになく乱暴な文字で寄越された。

 怒っているのは、腹に据えかねるのは、どうやらお互いさまらしい。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


 そして訪れた、すべてをひっくり返す日。わたしからすれば、革命の日であり、叛逆の日でもある、その日。

 書き殴られた返事の通り、エイジア・ヴァージンバウアーは姉を手玉に取って見せた。

 学校行事の舞踏会モドキとは言え公の場で、多くの生徒の注目を受けながら、四曲も続けて踊った挙げ句、連れ立って会場を後にした男女。新聞になるまでもなく、噂はその日のうちに駆け巡り、駄目押しするかのように、次の日には新聞に取り上げられた。眉唾記事ばかりのゴシップ紙だけでなく、大手新聞社も含めた国内の新聞社の多くが、一斉に。

 ご丁寧なことに、いくつかの新聞ではエイジア・ヴァージンバウアーが取材に応じていた。

『相手は他国との縁談を控えたご令嬢。私が想って良い相手ではないと、一度は諦めようと思っていました。けれど実際、彼女が見合いをしたと聞くと、居ても立っても居られず、どうしても、気持ちを抑えきれませんでした。貴族として、失格の行為と、きっと責められることでしょう。それでも、私は彼女を、愛してしまったのです』

 たちまちに、みんな大好きな恋物語の出来上がりだ。主役は美男美女、それも、政敵同士の家。ご令嬢は長年の恋を諦めて、国のために恋する相手とは別の男に嫁ごうとしている。

 同情の声が上がるのに、時間はかからなかった。

 滑稽なのは平民だけでなく、貴族からまで同情の声が上がったことだろうか。

 仮にも貴族ならば、物語のような恋など許されないことなんて、よくよく理解しているだろうに。

 誰も彼もがエイジア・ヴァージンバウアーの手の上で踊らされ、その、手中に囚われた姉は。

 真っ青な顔で、困り果てていた。

 可哀想なひとだ、と思う。

 姉を、ではない。エイジア・ヴァージンバウアーをだ。

 だって誰が思うだろう。事前に伝えていたとは言えだ。

 あれだけ自分に熱を上げていた女が、愛を返されることなんて、これっぽっちも望んでいなかったなんて。

 本当に、ただただ姉は、都合好く利用しようとしていたのだ、エイジア・ヴァージンバウアーと言う男、曲がりなりにも、自分の初恋の相手として選んだ男のことを。

 つくづく、壊れたひとだ。これで本人に悪気はないのだから、ただ本気で恋をしていたつもりだと言うのだから、もう救いようもない。

 誰が思うだろう。誰もが憧れる物語のような恋。それが、嘘八百のハリボテでしかないなんて。

 でも、逃れられないのだ、姉は。でも、逃しはしないのだ、エイジア・ヴァージンバウアーは。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


「おめでとうございます、で、良いでしょうか。それとも、ありがとうございます?」

 新聞部として再びもぎ取った密談の機会。開口一番告げた言葉に、エイジア・ヴァージンバウアーは深々としたため息で答えた。

「それを、先日の呼び出しの内容を知って言っているのなら、とてつもなく良い性格をしているなと思うけれど?」

 二番目の姉にそそのかされた姉は、エイジア・ヴァージンバウアーを呼び出し、自分の本心を包み隠さず明かした。

 もちろん、妹として、その会話の内容は把握している。あんまりにもあんまり過ぎて、絶対に記事には出来ないし、周りに教えもしないと誓っているけれど。

 だって誰が知りたいと言うのだ。理想の恋を成就させ、幸せの絶頂にいるはずのご令嬢が、本当は恋の成就など全くもって望んでおらず、愛だの恋だのを理由に結婚するなんて、まっぴらごめんだと考えているなんて。さらにはご令嬢は『恋の相手も自分に恋などしておらず、ただ国益のために自分に求婚した』と思っていて、だから相手に、自分に求める役割はなにかと、婚姻と言う契約の内容を確かめるため呼び出したなんて。

 夢も希望も、なさ過ぎるだろう。

 この状況の地獄さは、実はご令嬢のお相手が、ご令嬢にしっかり恋しているところにある。

 万全の根回しをして手に入れた愛しの姫から、自分はあなたを愛していないけれど、あなたも自分なんて愛していないでしょう?と問い掛けられたエイジア・ヴァージンバウアーの気持ちを考えると、愛する姉と言えどさすがに責めたくもなる。

「事前に十全にお伝えしてあったので、傷付く覚悟は出来ていたのでは?」

「お陰さまでね」

 顔は笑みだが、目が笑っていない。

「残念ながら、残念なひとなのです、姉は」

「どんな教育をされたら、あんな人間になるのか、親の顔が見てみたいものですね」

 冴え渡る皮肉も、現状の彼を思えばむしろ哀れみ深く感じるが。

「でも、やっぱりおめでとうございますで良いと思います」

 笑って告げれば、胡乱げな視線を返される。

「権利を得られましたから」

「婚約は、まだだ」

「時間の問題でしょう。ですが、婚約の話ではなくて」

「では、なんの?」

 これがきっと、わたしの打つ最後の一手。

「今の姉が愛や恋に価値を見出さないのは、王家と母による十八年の教育の成果です」

 突然の話題に、エイジア・ヴァージンバウアーは訝しげな顔だ。

「ですがこれからは、婚約者、そしていずれは夫として、あなたが姉に影響を与えられます。その、たったひとりしか得られない権利を、並み居る婚約者候補からかっさらって見せたのです、あなたは」

 姉のため、否、姉を嵌めるために、告げる言葉。自尊心の高いこの男は、きっとこの言葉を無視出来ない。

「王家と母の教育を、あなたは何年でひっくり返せるでしょうね」

 思惑通り、男の目に、火が宿る。

「なるほど?」

「姉を愛に、溺れさせて見せて下さい。ヴァージンバウアー侯爵子息、いえ」

 金緑の、宝石のような瞳を見据え、呼び掛ける。

「未来の義兄上あにうえ?」

「よろしい、乗りましょう、その挑発に」

 わたしは愛する姉を嵌める。策をろうして、目の前の男をめいっぱい利用して、持てる力を、存分に発揮して。

 だから、だから、ねぇ、お姉さま?

「エイジア・ヴァージンバウアーの名に誓って、溺れるほどの愛を、シルヴァーナ・アスマントスに」

 どうかわたしの策に嵌って。愛を知り、愛を浴びて、幸せになって。

 いずれわたしは国を去る。王女に代わる政略の駒として、他国との縁を強める楔にされる。できることならその前に、姉の幸せを見届けたいものだ。

 愛する姉を嵌めるまで。

「そのときが、一日でも早く来ることを、願っています」

 心強い味方に笑みを向け、わたしはそう告げた。

拙いお話をお読み頂きありがとうございました


本編を応援して下さった方々に感謝を込めて


8月5日にエイジア視点のスピンオフ短編を投稿予定ですので

よろしければそちらもどうぞ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
自分を棚に上げて娘にそんな教育をする母の心の内が知りたいような知りたくないような。
愛を知ったシルから、彼女が愛を返されるその話しが この先の未来で、 読みたいから。 ほし5で。 4日の話しも もちろん 凄く楽しみ!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ