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雨の日に、後輩と  作者: 有沢真尋@12.8「僕にとって唯一の令嬢」アンソロ


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第1話 足りない既読

 傘はあまり意味を成していなかった。

 地下鉄を出てから待ち合わせの駅までは徒歩での移動になり、その間に容赦ない横殴りの雨に降られて、シャツもジーンズもぐっしょりと濡れそぼってしまった。

 そもそも、朝から雨は一向に弱まっていない。風が強くなってきたせいで、歩いているだけでも息が詰まるほどだ。


 目指す駅舎は、街のど真ん中で川沿いという立地のせいもあってか、用件のみというそっけなさで改札がほとんど剥き出しになっている。

 足早に通り過ぎていく人々。

 横断歩道を渡って庇の下に走り込みながら辺りを見回すが、数人固まって立ち止まっている一団などいない。

 はあ……と佐伯凛(さえきりん)は息を吐き出して、傘をたたみ、頬にはりついてきた髪を指ではがした。


(この天気だもん、バーベキューなんか中止だよね)


 駅で待ち合わせ、電車で移動してから買い出しをし、川原でバーベキュー。

 社内交流を目的としたレクリエーションという名の休日の浪費。


 部署ごとの実施だと暗黙の了解で流れてしまうこともあるせいか、今回は各部署二名くらいずつで他部署とのミックス。本当の意味で社内交流を目的としているようだった。


 そういうのは、あまり好まれない。時代が違う。絶対に「法的に見て会社側には休日まで社員を拘束する権利はない」と突っぱねる社員は、若手ベテラン問わずいる。家庭持ちにはいい迷惑。

 批判はいくらでもできるが、半年に一回程度の開催ということもあり、案外反発なく受け入れている社員が多いのも凛は肌感覚としてわかる。


 普段の仕事でも他部署に顔見知りがいるのといないのでは大違いなこともある上に、長年勤めていれば部署間での異動もあるからだ。そういうときに細々としたものでも「人脈」があると仕事のやりやすさが違う。つまり「会社に拘束する権利はない」と突っぱねることは正当であるが、それは「得られたはずのものを逃すことになる」という意味でもあり、それに気づいてしまえば「交流目的の社内レクリエーションなど無益」とも言ってられないのだった。


 凛自身もそれはわかっているものの、元来出不精なため、バーベキューという「パリピっぽさ」には乗り気ではなかった。

 だが、この組には「御曹司」が組み込まれていたこともあり、女性社員たちが色めきたっていたのは知っている。部署が違えば話す機会もなかなかないので、ここぞとばかりに……。


 ――佐伯さん。うちの組と変わってください。体育館を借りて卓球ですよ?


 何人かから組替えの打診を受けてもいたが、決定後に個人的な取引に応じてペナルティでもあってはたまったものではないので、すべて断った。というか、あまりにも打診が多かったので、逆に誰か一人の依頼に応じたら後が怖いと思っていたのもある。


 取り立てて「御曹司」には興味がないので、代わってあげられるものならぜひとも代わりたいという気持ちは一杯であったが。

 しかしそれもこれも、この雨ですべて無に帰した。

 おそらく、今朝の早い段階で、この日のために参加者で作ったアプリのグループトークで相談がなされ、中止は決まっていたのだろう。

 それを確認できなかったがために、わざわざ待ち合わせ駅まで豪雨の中出て来ることになってしまったのだ。


(帰ろう……)


 ちらりと渡ってきた横断歩道の方を見ると、赤、青、ピンク、透明、紺、と色とりどりの傘がいっせいに動き出したところだった。

 行かないと。

 傘を開こうと手をかけ、最終確認の為、辺りを見回す。

 そのとき、つばのある帽子をかぶった、赤ベースにチェック柄のシャツを羽織った男性が、帽子を手でおさえつつ、シャツの裾をさっと翻しながら近づいてきた。

 男性は、目の前で足を止め、ちょっと帽子を持ち上げるようにしながら顔をのぞきこんできた。


「佐伯さん……。佐伯凛さんですよね。営業二課の」


 なじみのない声だが、顔は知っている。

 シャツにジーンズという、あまりにも普通の服装で気付くのが遅れたが、よくよく見ると足はすらりと長いし肩は意外に広いし、顔は文句なく整っている。


(御曹司……!)


 切れ長の瞳を細めて、にこりと口元に笑みを浮かべた彼は、耳に心地よい穏やかな声で言った。


「既読が一人足りなくて」


 肩にひっかけていた革のショルダーバッグを開けて、ペールブルーのブック型のカバーがかかったスマホを差し出してくる。


「これ、昨日、会社のデスクに忘れて帰りましたね?」

「……はい」


 致命的なミス。

 休みの前日に、よもや会社にスマホを忘れてしまう、という。

 そのせいで今日のレクリエーションの中止連絡も確認ができなかったのだ。

 既読が一人足りなくてとは、まさしく。

 差し出されたので受け取りながら、凛は噂の御曹司の顔を見上げる。

 口をきいたことは数度しかなかったが、近づいてみて実感したのは背が高いということ。それでこの甘い顔立ちなら、女子社員も騒ぐなぁ、と他人事のように考えてしまう。


「ありがとうございました」


 御曹司、と噂で呼ばれている印象が強いせいで、咄嗟に名前が出てこない。社長の息子だから、社長と同じはず、と記憶をたどる。


時任(ときとう)さん」


 凛より三年遅く入社しているので、後輩である。自分の部署の後輩には「くん」で呼ぶこともあるが、なんとなくどう呼べばいいかわからずに、スタンダードに「さん」で呼んでみた。

 時任は唇の笑みを深めて「どういたしまして」とそつなく返してきた。


「ええと……。中止を伝えて、これを届けるためにここで待っていてくれたんですよね」


 間抜けな確認だとわかっていたが、念の為聞いてみる。


「他に伝える方法がなかったので」


 凛が手にしたスマホにちらりと視線を落として、面白そうに言われてしまった。


「それは……、なんとお礼を言って良いものやら」


 若干緊張しながら言うと、時任は微笑んだまま口を開く。


「営業の社員がスマホを置き去りにして、人に預かられるのはちょっといけないですよね。情報流出の恐れもありますし」

「はい」


 にこにことしているが、暗に注意されている。


「社内の人間で良かった、ということでもないですよ。同じ会社だからって、味方ばかりとは限りません。社内政治といいますか、足の引っ張り合いは日常茶飯事。外部から手土産持参を前提のヘッドハンティングがきている社員もいるかもしれませんしね?」


 まるで、俺だって信用できるかはわからないですよ? と言わんばかりである。


(いやいや、さすがに社長の息子は同業他社に引き抜きなどされるわけが)


 そもそも、時任に関して言えば一社員から個人情報抜かなくても、見ようと思えば社内の情報など、なんでも見られる立場ではないだろうか。セキュリティにはそこまで詳しくないが。

 とはいえ、社内政治という言葉には若干胃が痛くなる。

 凛自身は出世にそこまで固執していないので鈍感で通しているが、御曹司を取り巻く人間関係はそれなりに複雑だろうというのは想像に難くない。


「以後気を付けます」


 後輩に怒られてるなあ、と思いつつ凛は神妙に言ってみた。

 それから、引き際について考えてみる。本来なら何か軽い御礼でもしたいところだが、なにぶん身体はずぶ濡れで、お茶やランチに誘える状態ではない。

 ならば後日会社で、とは思うものの、レクリエーションが流れてしまったのに親睦を深めているのを周りから変に勘繰られたくはない。そもそも彼も、自分とのランチなどは望んでいないだろう。


(無難にブランドのハンカチでも買って渡そうかな。ハンカチって異性に贈っても特別な意味にはならないよね……?)


 自分の中で結論付けて、どうにかこの場での別れを切り出そうとしたが。


「車で来ているんですけど。近くの駐車場に置いてきたので、こちらまで回しますね。横断歩道では拾えないので、五分たったらあの辺に立っていてください」


 時任に駅から少し離れた場所を手で示されて、思わず目を瞬いてしまった。


「車……?」


 問い返すと、表情らしい表情もなく見下ろされる。


「そんな濡れた服で電車に乗って帰ります? 他に手段がないならともかく、車で来ている以上送りますよ」

「いや、でも車のシート濡らしちゃいますし。電車はそんなに混んでないと思いますし、座らなければ周りの迷惑にも……」


 早口で言っている間に、時任は言葉もなく羽織っていたシャツを脱いで、凛の肩にかぶせてきた。ふわりと温もりに包まれる。

 何をと焦って聞く前に、黒のロンT姿になった時任が身体を折って耳元に口を寄せて来た。


「下着、透けてますけど」


 何も言い返せないで固まった凛の肩に、ごく軽く指先で触れて「いってきます」と言いながら、ほんの少し弱まった雨の中に走り出して行った。


(このシャツも濡れて……、クリーニングして返さないとだめかな~っ)


 常識的に考えれば、そうだ。

 ありふれた形に見えたのに、彼のスタイルを引き立てて見せていたシャツはおそらくブランド品。幾らのものかわからないが、自分で洗濯するのは少し怖い。アイロンもここまで完璧にはかけられないし。

 正直、ちょっと困ったな、と思ったところで爽やかな柑橘っぽい香りが襟からたちのぼる。


(御曹司、香水つけてるんだな)


 ごくささやかな、あるか無きかのその香りに、安らぎと同時に落ち着かないものを感じて、そんな自分自身に戸惑ってしまった。


※ムーンライトノベルズに公開している作品を、全年齢版として加筆改稿中です※



→カクヨムコン参加のため加筆改稿をしていましたが、Rシーンを除いた部分をムーンライト版に上書きすると現在の文章が消えてしまうため、なろう版として投稿することにしました。2020年初出なので加筆すると結構文章が変わるんですが、たぶん初期バージョンになじみのある方もいると思いましてあちらはちらで残そうかと。


完結(Rシーンあり)はムーンライトノベルズ(18歳以上の方向け)にありますが、文字数的にRシーン等を削るとコンテスト規定文字数に足りなくなるので、全年齢版は内容含め初期バージョンとは変わると思います。


コンテスト期間中の完結(10万字到達)が必須ですが毎日更新は無理かもしれません。ゆっくり進みます、応援いただけますと嬉しいです。

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