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第4話 お姉さんと見張り役

 例のゲロ事件から数日。


 水萌さんとはただの隣人ではない奇妙な関係となり、一応連絡先は交換したものの特別なやり取りもなく。

 あの日の出来事がまるで嘘のように、一週間は過ぎていった。


 そうして再びやって来た金曜日。

 オレは水萌さんのとある作戦に巻き込まれることになった。


「数日ぶりだね、晴翔くん。一週間お疲れ様。ちょっとお願いがあるんだけど」


 夕方、帰宅途中に道端で出くわした水萌さんは仕事帰りのようでパンツスーツ姿だった。顔色は良さげ。まだ酔ってないな、ヨシ。

 いろいろと、強調される部分は派手に強調されていて人目を引くには十分。手元には妙に立派な紙袋が揺れていた。


「お疲れ様です。久しぶりに現れたと思ったら……なんですかお願いって」

「これからちょっと一杯やろうと思うんだけど」

「……また飲むんですか?」

「またって言うけど実に一週間ぶりだよ? 平日は基本飲まずにバリバリ働いてるんだから。偉いでしょ?」

「偉い偉い」

「うわ適当だ〜。こほんっ……それでね、今日は仕事の区切りもついたから、お疲れ様的な感じでパーっとやりたいなって。でもお姉さんもちゃんと学習してるの。あんな酔い方は良くない! それに、晴翔くんにも心配かけたくない。そういうことだから、今日は見張り役を頼もうと思って」

「見張り役……ですか?」

「そう。私が飲みすぎないように、良い感じのタイミングで止めてくれる人。あと、潰れたときに背中さすってくれる人。あと、たぶんゲロを受け止めてくれる──」

「おい」

「うそだよ、うそにきまってるじゃん。大丈夫、言っても今日はそんなに飲まないから」

「はぁ……どっちでもいいですけど、その見張り役の人に迷惑をかけすぎないようにしてくださいね」

「見張り役って晴翔くんのことなんだけどな」

「……ふぁっ?」


 お願いって、そういうことか……。


「こんなこと頼めるの、晴翔くんしかいないの……!」


 わざとらしく目をうるうるさせる水萌さん。小動物みたいな顔して懇願してくるなんて反則だ。

 というかそんなもん、隣人の大学生に頼むなよ。


 ──そう思った。でも。


「……今日だけですよ?」

「やったー! 晴翔くんってば、ほんと菩薩!」


 結局オレは断れなかった。

 だって久しぶりに水萌さんと会えて、なんだかんだ嬉しい気分だったんだから。


■■■


 どれだけの時間が経っただろうか。


 グラスに残った氷もすっかり溶け、リビングの空気はどこかぬるく、けれど心地いい。

 レポート作業の手を動かしながら、横では水萌さんが変わらない調子で自由にマシンガントークを繰り広げていた。放っておくと一生喋ってくれそうな勢いだ。


 話題のメインは仕事における上司の愚痴。どうやら化粧品メーカーに勤めているらしく、結構バリバリに優秀っぽい。つくづく水萌さんのギャップには驚かされるものだ。


 それから最近トレンドの化粧品、後輩のやらかし、近所のスーパーのポイントカード還元率二倍キャンペーンまでトークは多岐にわたり──時折ツッコミを入れることがオレの役目となっていた。


「ねえ晴翔くん飲んでるー?」

「あ、はい。ちょっとだけ。一応飲める年齢なんで、酔わない程度には」

「あはは、いいぞいいぞー! 楽しいねえ!」

「楽しいですか? そりゃ良かったです」

「晴翔くんはぁ?」

「楽しいですよ。真面目に」

「そっかぁ〜。ふふっ……」


 缶チューハイ三本目を空にした頃、彼女の声が少しトロンとした響きを帯び始めた。

 顔はほんのり赤く上気していて、さっきまでのおしゃべりテンションも少しだけゆるんでいる。


 気づけば時計は、二十三時をまわっていた。


 明日は土曜休みだが時間的にそろそろお開きにしようか──そう思ったところで、カーペットにごろりと転がった水萌さんがぽつりと呟いた。


「……ねぇ、晴翔くん」


 オレはパソコンから視線を外し、ちらっと彼女を見る。


「どうしました?」


 その問いかけに、目を閉じたまま彼女は言う。


「私さ……こんなふうに、誰かと一緒に飲むの、ほんとに久しぶりなんだ」

「……そうなんですね」


 こんなにも美人で、こんなにもおしゃべりで面白くて、こんなにも明るくて、こんなにも人懐っこい人が?


 酒の席では引っ張りだこじゃないって?


「それは……なんか意外すね。引くて数多っていうか、めちゃくちゃ誘われてそうなのに」


 正直に口にすると、彼女はふふっと苦笑する。


「それ褒めてる?」

「褒めたつもりです。一応」

「うふ、ありがと。そっかぁ……意外、かな。うん……たしかに誘われることもあるけどね。でも、なんか……違うの」

「違う?」

「会社の飲み会とか、ただの付き合いとか。そういうのじゃないんだよ。私が一緒にいたいって心から思える人と、ただまったりお酒飲んで、バカな話して、笑って。……そういうの、ずっとなかった」


 ぽつりぽつりと紡がれるその言葉にこめられた孤独が、静かに胸に響いた。

 どうして。

 水萌さんは、どうしてオレにその話をするのだろう。


「だから今日は晴翔くんをどうしても誘いたくなっちゃって。ただの見張り役じゃないんだよ? たとえば……きみと、もっと仲良くなりたいとか。それに……」


 一拍置いて、彼女の声が少しだけ細くなった。


「……一人はけっこう、寂しいから……」


 天井を見つめながら話す彼女の目線は、どこか宙を漂っていた。

 酔っているせいか、焦点が定まっていない。

 でも、たしかにそこには強がらない水萌さんの本音があった。


 ──水萌さんにも、こういう顔があるんだ。


 オレの隣にいるのは、たぶんきっと会社ではキリっとして頼られまくってる優秀な社会人で。

 そしてまた、酔ってゲロを吐くようなテンション高めの隣人で。


 でも今は、自分の弱さを少しだけ見せてくれた一人の大人なお姉さんで。


 ……なんだろうな。

 ずるいよな、こういうの。


 そんなこと言われて放っておけるわけがないじゃんか。


「んへ……晴翔くん」


 ふらふらと身体を起こし、こっちをじっと見た。


「はい?」

「今日は付き合ってくれて、ありがとね。そばにいてくれて、愚痴聞いてくれて。……ふふ、君ってば、意外と聞き上手なんだね。また一つ、いいところ知っちゃった……」


 弛緩し切った笑みを見せ、彼女はまたゴロンと仰向けになる。


「お姉さんね……週末が、前より楽しみになったよ。晴翔くんの、おかげかな……」


 その言葉が胸の奥にじんわりと染み込んでいくのがわかった。


 ──なんだよもう。


 さっきから一方的にドキドキさせて。この人はどこまでずるいんだ。


「晴翔くんさえ良ければ、また一緒に飲んでくれる?」


「……まあ、暇だったら」


 素っ気なく返したつもりだったけど、自分でも無意識に、声はどこか優しくなっていた気がする。


「んふ、ありがとね。晴翔くぅん……」


 ころんとオレの方へ寝返りを打つ水萌さん。

 無防備すぎる格好。シャツの隙間から白くて豊満なソレが顔を覗かせ、童貞の理性を驚かす。


 このまま甘えられたら、たぶんオレは……。


「み、水萌さん。それ以上はさすがにっ」

「……zzz」

「寝てるし…………。はぁ……おやすみ」


 気持ち良さそうにむにゃむにゃと眠るお姉さんの身体にそっと優しく、薄めの掛け布団を被せる。

 彼女の耳に、オレの声はもう届いていなかった。


 酔うだけ酔って、言うだけ言って、先に寝る。

 本当に、どこまでも勝手な人である。


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